わたしは席で何枚か、かつ丼の写真を撮った。「描くの?」という水月に「どんな構図がいいかな」と答えた。

 穏やかで満たされた放課後がつづいた。

 水月は描き、わたしは座った。
 水月は見、わたしは見られた。

 水月がわたしの顔を観察するとき、わたしは息をとめた。勝手に息がとまった。
 水月はすっと顔を近づけてくると、わたしの目を、じっと覗きこむようにした。

 息はとまっているのに、心臓は驚くほどうるさい。地鳴りのように、雷鳴のように、どきどきというより、ごうごうと唸っているように聞こえる。こんなに近づいてしまっては、水月にも聞こえてしまっているのではないかと怖くなる。

 水月はふと、そっと微笑んだ。

 「……綺麗だ」
 「黙って……」

 「ひどいなあ」と水月は苦笑した。

 「いや、はなはね、本当に綺麗な目をしてるんだよ」

 「黙って描けないの……?」

 「コミュニケーションだよ」

 「そんなの要らない……」

 「人は呼吸しなきゃいけない。吸ったら吐かなきゃ、吐いたら吸わなきゃいけない」

 「なんの話」

 「はなを見てると深く息を吸ったような感じになる。綺麗で綺麗で、胸がいっぱいになるんだよ。ちょっと吐かないと苦しい」

 「黙って吐けないの?」

 水月はカンヴァスの上に筆を踊らせながら苦く笑った。「俺が胸押さえて、はあはあいいながら悶えてるの見たい? あまりおすすめはしないよ」

 わたしは頬や首をやけどしているかのように感じた。ひどく熱い。手をぎゅっと握って、カンヴァスに色をのせる彼から目を逸らす。

 「水月は、……なんでそういうこというの……?」

 「どういうこと?」

 「なんで、冗談ばっかりいうの……」

 「ここしばらくいってないよ」

 「本気なわけ? わたしを、……そうやって……」

 「はなはかわいいよ。なんでそんなに謙遜するの」

 「そんなんじゃない。……本当に、水月がおかしいんだよ」

 「確かに俺は、どちらかといわなくても変わり者だとは思うよ。でも、綺麗なものを綺麗だと思ったりいったりするのが、そんなに否定されることだとは思わない」

 「……からかってるんじゃないの?」

 「違うってば」と水月は笑った。いい加減、しつこいと思われているのだろう。

 見ればカンヴァスから視線をあげた彼と目が合った。

 「どうしてそんなに、からかわれてると思うの? 俺は確かに、性格は悪い方だけど、好きな人に悪意を持って接するような奴じゃない」

 「……本気でかわいいとか思ってるの?」

 水月は穏やかに、けれどどこか悲しげに微笑んだ。「嘘は、つくのもつかれるのも好きじゃないよ。……そして、伝えたいことが伝わらないことに耐えるのも、あまり得意じゃない」

 「でも、なんで水月みたいな人が……」

 「高望みしてるかな」と肩をすくめる水月に、わたしは苦笑する。

 「やっぱりからかってるんだ」

 「それだけはなが魅力的なんだよ」

 ものすごく、くだらないことをいってもいいだろうか。

 「わたし、傷つきたくないんだけど」

 水月はふっと笑った。「傷なんかつけない」

 また顔が熱くなる。本当に、彼は変な人だ。本当におかしい。

 「……どこがいいの」

 「全部」

 「なにも知らないのに?」

 「これから知っていけばいい」

 どこかでやったことのある会話に、わたしは「誰かさんにそっくり」と苦笑する。

 「誰?」

 「知りたい?」

 「とっても」

 「水月が喧嘩を売った人」

 ぴたっと彼の動きがとまった。水月はゆっくりと天を仰ぎ、ひとつ、深く呼吸した。そしてなにかを振り払うように頭を振り、カンヴァスに向き直った。