校舎と体育館を結ぶ渡り廊下は、すぐそばの地面を叩く雨に少しひんやりとしていた。頭の中に今朝のできごとが蘇る。

 あの女、今日はずっと雨だとかいっていたな。

 傘をさすのが嫌で家を早くでたといっていた。

 けれどもこう降ってきてしまったものだから、あの白っぽい色の傘をさして帰ったんだろう。

 生白い脚をスカートと靴下の間に覗かせて、歩いて帰ったのだろう。

 白い運動靴に結んだ、鮮やかな赤の紐を見せつけて帰ったのだろう。

 今頃あの安っぽい絵を解説している文庫本でも読んでいるのだろう。

 いかにも女子らしい整頓された部屋で、熱心に読んでいるのだろう。

 ああ……。

 気に入らない。

 廊下なら、窓枠に置かれた小さな観葉植物でも眺めて歩いた方がずっと有意義だというのに、ただ外で雨が降っていただけで頭の中に割りこんできて、いつまでもいつまでも残りつづける。

 雨が降ったのがなんだという。今朝、あの女が今日は雨が降るらしいといったことがなんだという。わざわざ思い出してやるほどの価値などないはずだろう。

 体が、顔が熱い。あの女に直接、気に入らないといってやりたい。

 こんなにもいらいらするのは初めてだ。他人がここまで中に入ってきたのが初めてなのだ。これまでずっと、苦痛を感じない程度の関係を築いてきた。

友達はいたけれども、互いの家にいくほど親密ではなかった。学校で自由に班を組んだりするときに一緒に行動するくらいのものだった。

 俺にとって他人は、対象は、水月だけだ。考えても、踏み込まれても、不快だったり苦痛に感じたりしない。

 昇降口の傘たてから自分の傘を引き抜く。あの女が今朝たてた、白っぽい色の傘は見当たらない。

 頭の中にちらつく今朝の光景に内心で悪態をつき、昇降口をでた。ぱらぱらとやわらかな雨音は、湿った風になって頬を撫でる。

 「葉月」と声がして見れば、柱に寄りかかった水月がいた。体と柱の間で、鞄が息苦しそうにしている。

 「なにしてんの」

 「愛しい弟を待ってたんだよ。こっぴどく叱られて、へこんで帰ってくるんじゃないかと思ってね」

 「ばーか」

 「それともあれか、室内トレーニングでしごかれて震える太ももを休ませず、へこんだ弟のそばにいてやることもしないで一人で帰った方がよかったと?」

 「別にへこんでないって」

 「どうだか」と水月は愉快そうに笑う。

 「この頃動きが鈍いとか、気合が入ってないとか、いわれたんじゃないの?」

 「そりゃお前だろ」と笑い返すけれど、胸の奥はどくんと跳ねた。

 「俺は部活中に余計なことを考えたりしない。かわいい弟ともその間だけはお別れだよ」

 「俺だって水月のことを考えたりしてない」

 水月はブレザーのぼたんを指先で弄んだ。「葉月には俺より気になる人がいる」

 俺はその変ないい方に苦笑するしかない。「そんな浮気疑ってる恋人みたいな」

 「気になってるっていうより、気に入らない人かな」

 俺は水月のにやけ面を睨んだ。「楽しそうだな」

 「まさか」と、彼は大げさに『心外だ』とでもいうような表情を作った。

 「近頃、弟の様子が変なもんだから心配してるんじゃないか」

 俺は息をついて、水月の脚を見た。室内トレーニングでしごかれたというわりに、余裕そうに足首を重ねている。

 「太ももの震えは落ち着いたか」

 「震えは落ち着いてきたんだけど、どうにも筋肉痛がひどくてね」

 俺は兄のふざけた言葉を無視して「帰るぞ」といって傘を開いた。