俺の集中力の頼りないところは、部活でも遺憾なく発揮される。動きが乱れるたびに先輩が「花!」と怒鳴るのは悪循環でしかない。どんなに「長くて全部は呼んでいられない」と思っても、頑張って花車と呼んでほしい。いや、花車じゃなくてもいい。『()』以外だったらなんでもいい。

 俺は怒鳴られれば怒鳴られるだけ、台の上を軽やかに弾む巨大な真珠のような球を追えなくなった。

ラケットを振ればとりあえずあたりはするものの、それはただ相手のコートに球を返しているだけで、ちょっと勢いをつけて返されれば簡単に点をとられた。

 審判をやっていた先輩に「花」とまじめな調子で呼ばれ、俺はぎくりとしたのを隠して「はい」と答える。「ちょっとこい」と覚悟した通りの言葉がつづき、黙って先輩の前に立つ。

 「お前、この頃変だぞ。悩みでもあるのか?」

 「いえ……」

 「誰も幸せにならん嘘ならつくな」

 先輩の口癖だった。はったりは本当に、嘘は冗談にしろ、ともよくいう。とにかく、本当ではないことを口にしたらいい結果をくっつけろということらしい。

 「二年に上がってからだ、動きが悪くなったの」

 「はい」

 先輩はくすりと笑った。「お勉強ができないならお兄さんが教えてやるぞ」

 「勉強ができないのは一年の頃も同じですよ」と俺は苦笑する。勉強に対する集中という意味では、確かに二年に上がってからできなくなったが。

 「先輩はもう俺に構ってられるような時期でもないでしょう」

 「ばかにすんな、俺は安条先生にナンパされてほいほいついていくことにしたんだよ」

 「え、まじですか。ええあの、北高の?」

 「ばかにすんなって」と先輩はなんでもないように笑う。

 県立と市の名前を冠に、北高等学校という平凡な学校名だけれども、北高といえば卓球の強豪校だ。

 ——そうか、推薦きたか。

 「俺さ、向こういったらお前のこと売りこんでおこうと思ってたんだよ」

 「過去形ですか」

 「なんでそう安心したような声だすかなあ。辞めんの?」

 少ししてから、安心なんかしてないですよと否定するべきだったと気がついて、俺は諦めるのと同時にこっそりと深呼吸した。

 「……先輩、魔女っているの知ってます?」

 「日本じゃあ聞かないな。ヨーロッパの話だろう?」

 「いや、日本にもいるんですよ。人の集中力を吸いとるような恐ろしい魔女」

 先輩は一拍置いて、噴きだすように笑った。「そうか、魔女がいるんだな」

 先輩は楽しそうにいうが、その魔女、それはそれは恐ろしい存在だ。

 「勉強も部活も、睡眠も邪魔してくる化け物です」

 「なるほどね。食欲も奪って、精神的に掻き乱してくる化け物だ?」

 「ええ、貴重な一日を何度も何度も奪ってくる、罪深い化け物です」

 「ほーう……。花車にもそういうところ、あるんだ」

 「どういう意味です」

 「まあ……そうなあ、化け物につけこまれるような隙」

 「俺は強くなんかないですよ。魔女につけこまれたくらいで、こんなに掻き乱されてるんですから」

 「ふうん……」意味深に微笑むと、先輩は俺の肩に手をのせた。「まあ、今はその魔女に踊らされてろ。で、踊り疲れたら俺んとこにこい。ユニフォームの色は問わない」

 「はい」と答えるのに時間がかかった。終わった、と理解した。先輩はきっと待っていちゃくれない。俺が掻き回されている間にどんどん遠くへいって、俺に自分の愚かさを知らしめて、やがて後ろ姿も見えなくなる。

 「田崎も性格悪いなあ……」と別の先輩がつぶやくのが聞こえた。「ばか、よせって」とまた別の先輩の声がつづく。

 目の前の先輩は「気に入らんな」というと、「ちょっとあいつら潰してくる」といい置いて卓球台へ向かって歩きだした。

 「ばか、ほらきたじゃんか!」「やっべ」と賑やかな声が聞こえてくる。

 足元へ視線を落とした俺は、田崎先輩に「花」と呼ばれて、狂おしいまでに体の奥を掻き乱される。

「二対一で五点先取だ」という声は「すげえキレてんじゃん」「お前のせいだよ」という声を無視して、俺に「お前審判な」と命じた。「テンポよくいくからぼさっとしてんじゃねえぞ」と。