「はな」と、その短い名前を呼ぶのに、ひどく勇気が要った。顔も首も熱くて、胸の奥が、心臓が、まるで普段気にかけていないのを怒っているように、ばくばくと、ここにいるのだと叫ぶように鼓動している。

 「ん?」と無邪気な声が応じた。改めて、自分が穢れているように思えてならない。その綺麗な肌に、大きく澄んだ目に、その、美しく魅惑的な声に、全部、全部に自分のそばにあってほしい。より正確にいえば、彼女を形作るその美と愛嬌のすべてを、自分のものにしたい。

いや、彼女は人間であって、誰のものにもなりはしない。わかっている。わかっているつもりだ。けれども、どうかどうかと、自分のそばにいてほしい、自分をそばにおいてほしいと願ってしまう。どうか誰も、彼女の魅力を知らないでいてくれと願ってしまう。

 「どうした?」と小首をかしげる姿に体が震えそうになる。ああなんて、なんてかわいらしい人なのだろう。

 やわらかそうな肌に触れてみたいと望むのと同時に、激しい恐怖のような、ためらいが襲う。触れてしまえば、この美しい()は散ってしまうのではないか。初めからなにもなかったかのように、消えてしまうのではないだろうかと。

その美しさを汚してみたいと思うのと同時に、それは許されないという確信めいた不安がくゆる。わかっている。負の衝動には従うべきだ。人命でもかかっていないかぎり、やって後悔するくらいならばやらずに後悔する方がずっといい。

 でも——。

 知りたい。

 はなにもっと近づきたい。
 はなをもっと、知りたい。

 はなに触れてみたい。やわらかそうなかわいらしい頬に、華奢なかわいらしい肩に。

 それができないのなら、けれどももう少し近づけるのなら——。

 「はなの絵を、……もっと、見たい」

 はなはぷっと噴きだした。

 「なんで水月が恥ずかしそうにいうの。見られる方がずっと恥ずかしいってば」

 さらに顔が熱くなる感じがして、俺は黙って顔を背けた。

 「でも、見てもらわないとね。友達(、、)に見せるだけで恥ずかしがってるようじゃ、画展なんて開けないもんね」

 「ああ、まったくだ」と苦笑しながら、俺はこの恋情が、はなに知られることなく枯れていく定めにあるのを知った。