家の門を入り、ふと意識を引かれて見てみると、葉月が和室で花を生けていた。表情はよく見えないけれども、嫌なものは感じない。

 なんとなく足音を忍ばせて近づき、縁側に腰をおろすも、「水月」と声があがった。

 「朝ぶりだね」とふざけると、なんでもないように「おかえり」と返ってきた。

 「庭の花たちが伸びちゃっててさ」と葉月はいった。「あんまりにかわいそうだったから切ってきたんだ」と。

 「……葉月」

 「なに?」

 「描いていい、それ?」

 「どれ」

 「それ。今生けたやつ」

 葉月はただ清らかに表情を明るくした。「ああ、描いてよ」と明るい声があがる。

 「すごい……ああ、これで完成するんだ……!」

 「ん?」

 「俺の力不足といっちゃえばそれまでだけどさ、こうやってみてもなんかしっくり来ないんだよ。でもそうだ、水月が絵にしてくれれば、そこでやっと、この花たちは完成するんだよ! 伸びるだけ伸びてくたびれてた花たちが、花器の中で生きて、水月の絵でやっと、一番綺麗な姿で咲けるんだ!」

 葉月は「ああ」と掠れた声をこぼし、泣きそうな声で「そんなに嬉しいことはない」とささやくようにつぶやいた。

 「葉月は花が大好きだね」

 「俺はここで教室を開く。でも、……水月が描いてくれるなら、そのために生けてもいい」

 胸の奥があたたかくなった。それも楽しそうだ。

 「いいね、それ」

 「でも水月は、俺の生けた花なんか描いて楽しいか?」

 「楽しいよ、きっと。かわいい弟の生けたかわいい花を描けばいいんだろう?」

 「残念だけども、おまえにかわいい弟はないよ。あるのは生意気な半身だけだ」

 「上等だね。生意気な半身の生けたいかにも生意気そうな花を、生意気な俺が生意気に描く」

 「なるほど、世界に通用しそうなもんができそうだな」と葉月は意地悪く笑った。

 「で、一件あたり四割くらいもらえるかね?」

 「一万なら四千円? 強気だな」

 「一万で売るのか?」

 「まさか」と俺は苦笑した。葉月も「そうだよな」とうなずいた。

 「もう少し高い方がいい。二万でも買うだろう」

 「ばかか」

 「おあいにく」と葉月は肯定とも否定ともつかない調子でいった。

 「ただ俺は間違えない。俺には人を見る目がある。おまえが本物だということに間違いはない。そりゃ二万でも安いよ。五万でも十万でも売れるはずだ」

 「それはばかだよ、買い被りだ」

 「俺が過大評価してるんなら、おまえ自身は過小評価してる。おまえがなんていおうと構わない、ただ俺はおまえがこんなところで燻ってていい男じゃないと信じる」

 信じられても、と苦笑しようとして、また、小四の頃のことを思い出した。お化けがでそうだなんてとんでもない理由を押し通して一緒に風呂に入ったときのことだ。水月がわかってくれても、と葉月はいった。俺は苦笑したのだった。

 「……ねえ、葉月」

 「なに?」

 「俺が本物じゃなくても、葉月がいってくれるようなすごい人じゃなくても、……幻滅しない?」

 葉月は鼻で笑った。

 「うるさい奴だ。そんなくだらないことは、実際にすごい奴じゃないと、本物じゃないと証明してからほざけ。見ての通り俺は本物じゃない、決してすごい奴じゃない、それでもおまえは幻滅しないかと、そういえ」

 それとも、と彼は静かにいった。

 「それともあれか、俺が水月を誇るとき、水月は苦しいか」

 「……自分が立派じゃないことが怖いだけだ」

 「おまえは立派だ。世界がそれをわからない場所だったとき、俺はどうしておまえに幻滅できる? ただ、よく頑張ったというほかになにができる? もう俺を責めろとはいわない、罰を求めない。俺はそのとき、決して間違っていないから」

 葉月はしっかりしているといったはなの声が蘇る。本当だ。葉月は綺麗なまま、強くなった。それが葉月自身の強さなのか、はなに与えられたものなのかは、俺にはわからない。

 俺はいつだって、弟をよく見られていない。弟は知らないうちに自分を責め、知らないうちに強くなっているのだ。

 俺は葉月に「そうか」と答えて、靴を脱いでそのまま和室にあがった。