俺は筆の先に絵具をつけ、ひとつ深く息をした。

 「はな」

 「ん?」

 「醜い奴に美しいものは描けるかな」

 「顔は関係ないよ」

 「いや、中身」と返してから、それをわかった上であのように答えたのかもしれないと気づいた。

 「顔は心を映すっていうよ。わたしはそれを信じてるけど……水月は綺麗な顔してるよ」

 「欲望にまみれた、陰湿で陰険な奴に見えない?」

 「欲望にまみれてるの?」

 「欲望というものを具現化したら……」俺は黙って何度かうなずいた。「こうなるだろうね」

 俺は欲望の塊だ。誰かに認められたい、褒められたい、素晴らしいものとして美しいものとして見られたい。幼い子供が望んで大人の気を引こうとするようなものならかわいいものの、生まれた頃よりずっと成人の方が近いほど生きた男が願い望めば、あまりに醜く、愚かで気味が悪い。

 誰かに認められることでしか、褒められることでしか、存在していることを自覚できない。この無垢というよりは無知な、かわいらしいというよりは幼い精神は、依存という言葉とあまりに近い場所にある。愚かな醜い欲望は、体の奥に巣くい、丈夫で立派な他者に依存させる。

 「へえ」と彼女は笑った。「欲望って美しいのね」と。

 「水月はなにを求めてるの? 水月の中には、どんな欲望があるの?」

 俺は強く唇を噛んだ。もうさっぱり打ち明けたようなものなのに、腹の底にある醜さを吐きだしたあとの彼女の、はなの反応が怖い。

 「……誰かに、……認められたい……」

 滲んだ視界を振り払うように笑ってみる。

 「愚かな天才は寂しがり屋でね。人に認められることが、褒められることが人生における至上の喜びと信じて疑わないんだ」

 「じゃあ、人間ってみんな天才なのね」

 思わず彼女の顔を見た。滲んだ視界を、濡れた目を隠すことをすっかり忘れていた。

 はなは優しく美しく、ふんわりと微笑む。

 俺は今になってやっと、笑いながら首を振って肩を持ちあげて、「でも愚かだ」といって涙を隠した。

 「なにが悪い? ばかでも天才なんだよ、上等じゃないの」

 「でも認められない。褒められることなんてそうありはしない」

 「だから認められるまでやるのよ。ばかだから、天才だから」

 俺はなんとか笑い顔を保ったまま首を振った。ひどく感じの悪い仕草かもしれない。けれども、彼女の優しさの前で泣くようなことはしたくない。それではあんまりに不恰好だ。

 「ばかと天才は紙一重っていうでしょう。わたしはむしろ、紙一重どころかばかと天才は同じだと思ってる。それしか知らないばかは天才って呼ばれる。認められるのよ、褒められるの。で、天才はなんだってそれしか知らないような人生を送ってきたと思う?」

 声をだせば震えそうで、俺は黙って片眉をあげた。

 「認められたいから。褒められたいからよ。よくやったね、すごいねっていわれるために、それだけを極めたの。それでばかだと笑う奴があれば笑わせておけばいい。だってその人はその天才を認知してるんだもん。認めてるのよ。そんなのもう勝ちじゃない、天才の。認められたくて頑張って、結果、悔しくてばかだと笑うことしかできないくらいに認めさせてるんだから」

 はなは一息に喋ると、一拍置いて「水月」と俺の名前を呼んだ。

 「どうして恥ずかしがるの? 認められたいことのなにが悪いの。褒められたいことの、なにがお咎めを受けるようなことなの」

 その口調は、立派な大人がまっさらな子供を諭すような、優しい、心地いい重みのあるものだった。

 「その欲望はなくしちゃだめだよ。人間、それが命みたいなもんだもん。誰かを認めさせるために頑張るの。それで頑張るためにごはん食べて、元気つけて気合い入れて、頑張って汗かいて汚れた服を洗うの。

頑張りたいけどごはん食べるのはしんどいなってときに、おしゃれな服を買ったり、かっちょいい靴を買ったりするの。それで着飾って元気つけて気合い入れて、せっかく新しいの買ったのに汚れちゃったなあって洗濯して、おなか空いてることに気づいてごはん食べるの。

その全部がしんどくなるまで、その全部に意味が見いだせなくなるまで、そうやって頑張るの。それができなくなったら、できるようになるまで休むの。誰にもごちゃごちゃいわれない、気づかないうちにちょっとずつ散らかっていった自分の部屋で、思う存分休むの。布団の上で横になることでも、壁に寄りかかって座ることでも、できることだけやって、休むの。

誰かに認められるために、また頑張れるように」