母がいる頃からずっとうちで働いてくれていた徳島さんの優しい表情が辛い。いつだって私のことを心配してくれていた。彼がいなかったら、とっくにうちは終わっている。父が継いでから、実質的に徳島さんが会社を回してきたと思う。

 私は泣きそうになったのを何とかおさえる。

「大丈夫です。いつもありがとうございます。徳島さんはいつも優しくて、本当申し訳ないくらい。お母さんが生きてたら、もっといいお給料とかも出せたのに、そんなこともできないで」

「君が気に負うことじゃない」

「それでも辞めずについてきてくれた徳島さんをはじめ、みんなには本当に感謝でいっぱいです。なんといえばいいか」

 そう、ずっとうちに付いてきてくれた。こんな会社、とっくに見捨ててもいいのに。

 私は何も恩返しができない。

 徳島さんが顔を歪ませた。

「五十嵐さん」

「あ、持ちます。すみません気が付かなくて」

 彼が持っていたファイルに手を伸ばす。だがいくつか分けてもらうつもりが、自分の心の戸惑いが体にも出てしまったのか、徳島さんの手から取ったファイルをそのまま床にぶちまけた。派手な音を立てて落下していく。

 あわててしゃがみ込んだ。

「すみません、何してるんだろ」

「大丈夫だよ」

 二人で落ちたファイルたちをかき集める。するとそこに一つ、白い紙がまぎれていたことに気が付いた。あれっと思い、なんとなくそれを拾い上げる。

『退職願』

 そう、書かれていた。

「……え」

 口から小さな息が漏れる。同時に、それが素早く手から奪われた。視線を向けると、バツが悪そうにしている徳島さんが、封筒をポケットに押し込んでいた。

 私は呆然としてそれを眺める。見間違いならいいのに、と現実逃避をする。でも今のは紛れもなく、徳島さんの字だった。

 彼はファイルを集め終えると、悲し気に呟いた。

「ごめん。言おうかな、と思ってたけど……」

「……辞めるんですか、うち」

 私の問いに、頷いた。
 
 頭を鈍器で殴られたようだった。

 長くうちの会社に勤め、『お母さんにはお世話になったから』『いつか五十嵐さんが継いだら、またいい場所に戻してね』そういつも笑っていた徳島さんが、うちを去るだなんて考えていなかった。

 何も言葉が出てこない。