「いや、君が謝ることじゃない。おじいさまも、お母様もあれだけ優秀だっただが、こう……」

「父はどうも、経営の才能はないようで」

「まあ、それは置いておこう。それで、買収されるという噂も耳に挟んだ」

「間違いではありません、ですが」

「問題はそのあとだ。
 結局はその買収を、八神が手助けすることで見送ることになった、というのは本当か?」

 驚いて目を見開いた。まさか、そんなことまで知っていたなんて。まだうちの社員にも回っていない情報じゃないか。私ですら、知ってから一週間も経っていない。

 心で悩む。ここで認めては、社内まで一気に噂が広がってしまうかも。まだ今後どうなるか分からない中で、混乱を招くような真似はしたくない。かといって、嘘をつくのも正しいやり方ではないような気がした。嘘は信頼を失いかねない。

 私は素直に認めた。

「まだ社内でも知らないものが多いので、どうかここだけの話でお願いしたいのですが……それは本当です。八神がうちに援助を申し込んできました」

「まさか」

「ですが、まだ確定したわけではないといいますか、こう、条件が色々複雑なもので」

「いいかい、そんな話は乗ってはだめだ」

 焦ったような声がした。鬼頭さんは、やや机に前のめりになりながら、語尾を強くして言う。

「絶対に、だめだ」

「え? あの、もう半分乗ってしまってるといいますか、父が」

「八神が君のところを助けるなんて、ありえない」

 その口ぶりに何か引っかかった。まるで、五十嵐と八神について何か知っているような言い方。私はすかさず尋ねた。

「何かご存じなんですか? あちらの言葉によると、八神の現社長が、祖父に世話になったからその恩返しがしたい、という話だったのですが」

「恩返し? 何かの間違いでは。恨みこそすれども、恩なんて思っているとは到底思えん」

 恨みという言葉に、心臓がヒヤッとした。朋美と居酒屋で話した内容が蘇る。私も前のめりになり、食い気味に聞いた。

「どういう意味ですか!?」

「……これはかなり昔の話だ。まだ、あんたのとこのおじいさんが……源さんが若く、必死にこの会社を切り盛りしていたころ」

 源、というのは私の祖父の名前だ。正確に言えば源一、という名前だ。だが、仲のよい友人や仕事仲間からは源さんと呼ばれていたことを知っている。この人もそのうちの一人なのだ。

「源さんは、短期間だが八神から仕事をもらっていたことがある」

「え!?」

 初耳だった。八神とうちみたいな小さな会社が? 鬼頭さんは私の驚きに、言葉を付け足した。

「あの頃、八神は今ほど大きくはなかったんだよ。とはいえ、失礼だが源さんの会社よりはずっと大きかったし、存在感もかなりのものだった。きっとこれから成長する会社だろうな、と」

「そうだったんですか……」

「当時八神で働いていた、若い女性がいてね。たしか……町田さんという方だ。源さんはその町田さんという方と主に仕事の話をしていたんだが、とても誠実で真面目で、よくできた人だと褒めていたんだ」

「町田さん、ですか」

「だがある日、町田さんが八神で突然クビになったので、担当が変わりますと連絡を受けてね。
 あんな真面目な人が切られるのが不思議だと言って、直接町田さんと話したそうなんだよ。
 それで聞いてみたところ、彼女は取引先の偉い男にセクハラを受けていて、ずっと耐えていたそうなんだ。だが、ある日我慢の限界が来て、相手を突き飛ばして逃げたらしい。
 それにより相手は怪我を負って、さらに取引も中止。それに怒った社長は、責任を取らせるために町田さんを辞めさせたというわけだ」