じんわりと目に涙が浮かんでいる私に気づいたのか、理人さんが心配そうに言う。

「京香さん? 落ちそうにないので、それは処分して、近くの店で何か買って着替えを」

「……なんです」

「え?」

「母の形見なんです」

 ぽつりと呟いてしまう。

 言うつもりなんてなかった。絶対に言わないつもりだった。でも私の心にそんなことを気にする余裕なんて存在しなかった。

 他の母の形見を、会社を、守れなかった自分に対して、これは罰なのかもしれないと思った。あんなに大事にしていたものを、私は何一つ守れていない。天国で母は怒っているんじゃないかと感じる。

 するとナプキンを持つ私の手を、理人さんが止めた。いつの間にか、背後に回ってきていたのだ。

「無理に擦ってはいけません」

 ふと顔を上げる。理人さんは真剣な表情で、私を見ていた。

 そしてすぐに私の鞄を手にすると、そのまま立ち上がらせる。見れば、榎本さんはまだその場に呆然と立っており、小さく首を振った。

「わ、わざとじゃないんです、ほんと、す、すみませ」

「行きましょう京香さん」

 謝る彼女を見事に無視し、理人さんは手を引いて歩き出す。とりあえずそれについていくしか出来ない自分は、何も言うことなく足だけ動かした。

 理人さんはそのまま店を出た。そして迷うことなく、まっすぐどこかを目指して足早に歩いていく。

「少し行ったところに、僕もよく使うクリーニング屋があります。腕は確かです、そういった大事なものは、適当なところに任せてはいけない」

「え」

「時間も経っていなければ綺麗に落ちますよ。大丈夫、元通りになります」

 私を安心させるように優しい声で言い、一度だけ振り返って、彼はそう微笑んだ。私は小さく頷く。

 今は彼に嫌われる目的なんて忘れて、ひたすらシミのついたワンピースで歩いた。すれ違う人が時々こちらを見てくるのが、なんだか居心地が悪かった。