榎本さんは今度は顔を真っ青にさせた。八神を敵に回してしまう恐ろしさにようやく気が付いたようだ。この人、自分の立場をあまり自覚してないんだな。

「この人は僕が選んだ素晴らしい人です。あなたとは比べ物にならない。まっすぐで強く、最高の人だと思っています、心の底から」

 そう言った理人さんは、私の目をしっかり見た。ついこちらが固まってしまうほどの、真剣な顔で身動きが出来なかった。でも体とは反対に、心臓だけがうるさく暴れている。

 ……なに、その、堂々とした発言は。私なんてクソみたいな女なのに。

 そこへようやくオーナーがやってきた。呆然と立ち尽くす榎本さんに、静かな口調で話しかける。

「失礼いたします、ほかのお客様のご迷惑になります。申し訳ありませんがお引き取り願えますか」

 気づけば多くの人たちがこちらに視線を向けていた。まあ、こんなふうに騒いでしまっては、そりゃ目立つだろう。私は無言で頭を下げておく。

 榎本さんは何も言い返せないまま、ふらふらとした足取りで私たちに背を向ける。もはや抜け殻のようだった。

 私はため息をつき、席を座りなおす。せっかく美味しかった料理の味も忘れてしまいそうだ、と思ったとき、榎本さんが持っていたハンドバックが、わずかに残っていた赤ワインのグラスに触れた。わざとではなく、本当にたまたま当たってしまった、というような感じだった。

 あっ、と思った時にはもう遅い。ワイングラスはバランスを崩して私の方に倒れ、中に入っていた赤ワインが勢いよくこぼれだした。真っ白なテーブルクロスが朱色に染まる。さらには、しぶきが着ていたワンピースに飛び散った。

 私が着ていた母のワンピースに水玉模様が記される。

「京香さん!」

 私は慌ててそばにあったナプキンですぐに抑える。けれど赤ワインの色ははっきりと布に染み込み、まるで薄くはなってくれなかった。頭の中はパニックで、泣きそうになる。

 お母さんの形見なのに。これ一枚しか手元にはないのに。