「あの……もしかして、西城さんは母のお知り合いなんでしょうか?」

口の中がカラカラに乾いて、言葉がスムーズに出てこない。

西城さんは、自分の顔の前に祈るような恰好で両手を組み私をまっすぐ見つめた。

その手は微かに震えている。

ゴクンと唾を呑み込み、私も西城さんの顔を見返した。

膝の上に置かれた私の手も震えていた。

「……知っているよ。よく知ってる。樹ちゃんのお母さんの名前は(さち)だね。本条 幸さん」

「どこでお知り合いに?」

必死に振り絞った言葉も揺れている。

「もう随分と前、恋人同士だった」

西城さんの瞳は真っ赤に潤んでいた。

恋人?

母の恋人。

たった一人の……私の……父?

まさか、まさかだよね。

私の父と出会うきっともっと前の話に違いない。

「樹という名前は僕が付けた」

彼はそう言うと視線を落とし、その頬に涙が伝うのがわかった。

私の名付け親って。

どういうこと?

母と私の存在を知りながら、今の今まで距離を置いて、今更私の父親だなんて告白しようだなんて。

いくら、プロ棋士だろうと、そんなこと許されるわけがない。

十歳の時、母が私に囲碁を与えてくれた。

もしかして、そういう意味があったの?

信じられない。

憎んで憎んで憎み切れないはずの人の存在を私に知らしめるようなことを母がしたってこと?

「母は、あなたのせいで亡くなったと……私は思っています」

体も声も手も全てが震え、心臓は激しく鼓動を打っていた。

「私はあなたが許せない。失礼します!」

私は立ち上がると、自分のバッグを胸に抱え飛び出すように店を出た。

流れ落ちる涙を彼には見せたくはなかった。

それが私の父に対する意地でもあったから。

涙を拭いながら通りを走り抜ける。嗚咽が出そうなほどに苦しい涙だった。

会いたくなかったのに。

胸に抱えたバッグが震えている。私の鼓動とシンクロしてしばらくスマホが鳴っているとは気づかなかった。

走りに走って人通りから外れた駅前の路地に滑りこむ。

まだ鳴りやまないスマホをバッグから取り出した。

神楽さん、からの着信。

どうしよう。

出てはいけないのに、こんなにも心が鳴いている。彼の声が今聞きたいって。

助けてって……。

震える手でスマホを掴み耳に当てた。

「……はい、樹です」