彼は運転手に顔を近づけると「向かって」と小さく告げる。

フカフカのシートの上に座らされた私たちを乗せたセダンはゆっくりと動き出す。

寸分の揺れを感じることのない安定した走りは、やはり高級車なのだろう。

こんな車に乗ったこともない私は窓の向うの景色に若干の優越感さえ感じていた。

あー。もう、だめだめ!

こんな状況に酔いしれてるなんて、神楽さんの思うツボじゃない?

私は意を決して彼の横顔に向かって威勢よく言い放つ。

「降ろして下さい。これはれっきとした誘拐です!」

運転手がバックミラー越しに私を見やり吹き出すのを堪えたのが見えた。

「嫌なら乗らなければよかったのに、たやすく君は乗ったじゃないか。同意としか受け取れなかったが。なぁ、井筒?」

彼は運転手に声をかける。

井筒という名前らしい運転手は苦笑すると、「私にはよくわかりませんが」とだけ答えた。

「どこへ向かってるんですか?」

「まぁ行けばわかるよ」

行けばわかるって……まさかホテルに連れ込む気じゃないでしょうね!

これだから男って野蛮でどうしようもない生き物だって言われるのよ。

こんな私を相手にしなくたって、神楽財閥の孫ならいくらでも相手はいるでしょう?

急に不安になり、扉の取っ手に手をかけ叫んだ。

「降ります!」

「危ないだろ!」

彼は咄嗟に私に覆いかぶさるような姿勢で扉にに手をかけた私の手を掴む。

神楽さんの顔が私の正面にあった。

いい香りがする。

まるでキスするみたいに近い。キスなんて、学生の頃一度だけしたっきりだけど。

いやいや、何考えてるの!彼の顔を正面に見つめながら次第に顔が火照ってきた。

「何?顔真っ赤だよ」

神楽さんはまたもや不敵な笑みで私の顔を覗き込む。

「もうやめて下さい!」

私は両手で顔を覆うと首を横に振った。よからぬことを考えていたことがバレたみたいで恥ずかしい。

「亮様、もうそれくらいで勘弁して差し上げてはいかがですか?」

運転手が微笑みを湛えたまま仲裁に入ってくれた。