「それにしても、小杉さんはこのサロンでは一、二を争う強さなのに負けるなんて珍しいですね」

そう言いながら、西城さんはただものではないのかもしれないと思う。

碁石の勝敗を確認しながら、小杉さんは苦笑した。

「そりゃ西城さんはプロ棋士だからね」

「え?プロ?って、まさか先日もテレビで対局していた西城 徹(さいじょう とおる)棋士ですか?」

思わず瞬きを十回くらいして西城さんの顔を凝視した。

だって、こんな小さな田舎のサロンに有名なプロ棋士が来ることなんて滅多にないんだもの。

西城棋士といえば、昨年も大きなタイトルを獲って話題に上っていたはず。

「そんなに驚いた?」

西城さんは笑いながら私の顔を見上げる。

「ええ、とても!高いところから失礼しました」

慌てて、横の椅子に腰を下ろした。

「よかったら僕と一手お願いしてもいいかな?」

西城さんは優しく私に尋ねる。

「私なんかでよろしいんでしょうか?」

「無論、こちらこそようやく会えてうれしいよ」

「え?」

「いやいや、ずっと小杉さんから樹ちゃんがかわいくて強くて、プロ目指せばいいのにっていう話を聞いていたからね」

「あ、そうなんですね。お恥ずかしい……」

私は額のおくれ毛を耳にかけ頭を下げた。

プロ棋士と碁を指すのはもう随分と久しい。幼い頃出向いた囲碁のイベントで少し打ったくらいかな。

西城さんの碁を打つ手はとても美しかった。

年齢は、そういってない。六十歳くらいだろうか。

優しい目元、笑うと少し八重歯が見えてチャーミングだった。

そしてプロらしい風格と威厳が彼を纏っている。

なぜかプロ棋士さんなのに気取ったところがないせいか、普段以上にリラックスして打っている自分がいた。

だけど、最後はやはり私の完敗。

当然の結果だったし、とても楽しい囲碁の時間で気分爽快だった。

「ありがとうございました!」

「いやー、樹ちゃんなかなかやるね。途中ヒヤッとすることが何回かあったよ」

「そんなぁ」

私は嬉しい気持ちになりながら首をすくめる。

「ここにはよく来てるの?」

西城さんは碁石を片付けながら私に尋ねた。

「最近は仕事が忙しくてあまり来れてません」

「そうか。僕も月に一回か二回くらいだけどここに来させてもらってる。よかったらまたお相手お願いするよ」

「どうしてこちらのサロンに?」

一瞬の沈黙の後、「どうしてかなぁ」と小さく笑った。

時計を見ると、おおっ!もうこんな時間じゃない。

碁は、時間で区切れないからね。結構時間が経っていたことに驚きつつ急いで帰り支度をする。

私は西城さんと小杉さんに挨拶をすると、美咲の待つマンションへ向かった。