母に東京支社の件をいい加減どうにかしろとどやされた。

父が死ぬ直前に購入した東京の小さいビルが、会社にとって不良債権になっていることは、俺も重々承知していた。

支社長の人選云々で随分話を先延ばしにしているが、本質はそこにないので、どうしたらいいのか自分でもよくわからなくなっている。

一番の問題、それは彼女が東京採用だということだ。

東京支社が開設されれば、当然彼女は東京に異動させなければならないだろう。

俺はどうしても彼女を手放したくない。

「母さん、結婚したい人がいるんだけど」



最高の解決策が思い浮かんだと思ったのに、何故か問題が大きくなったような気がするのは勘違いなのだろうか。

彼女を手放さずに東京支社の話を進めるには、彼女との結婚が一番かと思ったのだが、、

まさか母があそこまで結婚に反対するとは思ってもみなかった。

結婚そのものに反対なのか、それとも彼女のことが気に入らないのか。

母は興奮するあまり、途中から何を言ってるのかよくわからなくなってしまった。

ちょっと心配になるレベルだ、更年期障害というやつだろうか、病院に連れて行くことも検討した方がいいかもしれない。

書類仕事を進めながら昨夜のことを考えていたら、彼女が経理関係の書類について確認を求めてきた。

いつも俺が処理している書類を何故彼女が?と思ったが、深く考えずに受け取り、そのまま自分が処理すると伝え下がらせた。

しばらくして、じじいが社長室に顔を出し、話があるからと、わざわざ応接室に呼び出された。



「お前、母親となんかあった?」

なんで知ってるんだ?

驚きを隠せてない俺のことを無視して、じじいは話を進める。

「今日分室からあの子に電話が来たの、聞いてない?内容までは知らないけど、あれは相当酷そうだな」

マジか、母さん。

「10年くらい前に社長が事務の子に手出しちゃった時のこと、憶えてる?お前の母親がぶちギレて今日みたいな電話毎日のようにかけてきてさ。結局その子辞めちゃったからその後のことまでは知らないけど、あれ大変だっただろ?」

あの時のことはよく憶えている。

母は毎日電話越しに浮気相手を口汚く罵り続け、彼女が辞めた後は弁護士を雇い、ありとあらゆる方法を用いて、最後の最後までその人を追い詰め続けた。

母があんな風になるとは思ってもみなかった。

そうか、言われてみると昨日のあの感じはあの時の母と同じかもしれない。

道理で病院に連れて行こうか迷うレベルだったわけだ。

「お前何したんだよ?あの子大丈夫か?」

昨日のあの様子から言って、一筋縄ではいかないだろう。

俺ひとりでは、多分解決できない。

しょうがない、じじいには引退をもうしばらく待ってもらおう。

「彼女と結婚したいと伝えました」

「え?それだけ?」

「はい、昨夜狂ったように反対されておかしいなとは思ってました」

「てか、お前達、いつの間にそういう関係になったわけ?」

「いえ、特にそういう関係にはなってませんが」

「ん?だって結婚するんだろ?」

「結婚したいんです、これから彼女をその気にさせるところです」

信じられんという目線を送ってくるじじいは無視して、ことの次第を説明する。

俺が彼女のことを好きで、絶対に手放したくないこと。

東京への異動を阻止するために結婚に思い至ったこと。

更にじじいの目線が冷たくなるが、構わず続ける、ここからが重要だ。

「母を説得するのは多分無理なので、俺が彼女と東京に行き、物理的に母と距離を置くという手段を取りたいんです、最悪縁を切ることも視野に入れて」

「そうなった場合、本社を東京に移転して、ここを関西支社として部長にお任せしたいんです」

「外部から支社長を招くつもりで考えていましたが、部長に支社長をやってもらえるなら、本来それが一番理想的ですから」

じじいは俺の突然の申し出に、頭を抱える。

「ん?本社移転するなら結婚は必要ないよな?ん?結婚しないなら本社の移転も必要ないのか?あれ?」

じじいめ、完全に混乱してるな。

「彼女との結婚は遅かれ早かれ絶対にするので、そこは深く考えなくて結構です」

「関西支社長を引き受ける、俺が聞きたいのはその言葉だけです」

「了承して頂けるなら、本社移転の件は俺が全力で推し進めますし、その他の面倒なことも責任を持って引き受けましょう」

「部長は用意された支社長の椅子にただ座るだけですよ?」

「アホ!悪魔の囁きか!」

じじいに頭を思い切り殴られた。

「やるならそんな人形みたいなもんにはならんよ、ちゃんとやる」

「ありがとうございます」

俺達は笑顔で握手を交わした。

「ああ、あの子のこと、ひとりで突っ走らずに、ちゃんとしろよ?」

そんなこと、言われなくてもわかってる。