ともだち
泣きながら目を覚ました。目からたくさんのしずくが流れて、枕がぬれていた。
こんなに悲しい夢は、ずっと見なかったのに。あの頃の事はずっと思い出さなかったのに。
あれは、あたしがいくつ位のときだったんだろう?
幼稚園くらいかな?
ママが亡くなってから、二年もしないうちにおじいちゃんが亡くなった。
前の日まで、あたしをひざの上に乗せて元気だったおじいちゃん。
朝おばあちゃんが起こしたら、おじいちゃんは天国に旅立った後だった。
誰もが突然の事に、驚いていた。
あたしはしばらく信じられなくって、『夢の湯』に行っては番台におじいちゃんを探した。
ママが亡くなってからはあたしはおじいちゃんの後をくっついて離れなかったから、みんなあたしの事を心配していたようだ。
だけどおじいちゃんが戻ってこないとわかった時、幼いあたしは心の中で誓っていた。
もう誰も好きにならないって。
みんな、あたしが大好きな人は遠くに行ってしまう。天国に行ってしまう。
だから、あたしは人を好きになる事をやめよう。そうすれば、悲しむ事も泣く事もない。
それから、あたしは泣かなくなった。友達も作らなかった。
一人で大丈夫だった。寂しくなんかなかった。それで良かった。
だけど、今は明日がこわい。
自分が自分でなくなるようで。
どうして?あたしはあたしに聞いてみる。
ずっと一人だったじゃない。友達なんていらなかったじゃない。
夏香は、苦手だって面倒くさいって思っていたんじゃないの?
そう思うあたしの胸に、夏香のくったくのない笑顔がひろがっていく。
あたしの胸をしめつけるその笑顔に会えない事が、こんなにも悲しい。
夏香は、くるくると笑う。すぐに笑ったかと思うと怒ってふくれっつらになる。
気がつくと、夏香のペースに巻き込まれて、あたしまで笑っている。
笑う事を避けてきたあたしのポーカーフェイスを、簡単に崩してしまうから苦手だった。
でもあたしはその時、なんて楽しい気分になっていたのだろう。
いまさらなくしそうになって、初めて気がつくなんて。
外は風が、がさがさと枝を震わせる音がしている。春一番が吹くって言っていたっけ。
その音はやむことなく、つづいていた。
朝まで眠れないなと思いながら、あたしはいつしか悲しみのまま眠りについていた。
ガチャ、扉の開く音。あたしはめずらしくお姉ちゃんが起こしに来た音で目が覚めた。
「あら、今日はすんなり目が覚めたのね。おはよう!」
おねえちゃんは、あたしの部屋のカーテンを開ける。この間まで暗かった朝は、ちゃんとした日の光で挨拶している。布団から起き上がったあたしを見て
「どうしちゃったの?」
とおねえちゃんが聞いてくる。
「べつに~」
あたしは答える。
リビングのこたつでは、パパがもう朝ごはんを食べていた。
めずらしく早く起きたあたしを見て
「なんだ、どうしたんだ?葉月がちゃんと起きるなんて」
あたしだって、ちゃんと起きることだってあるよ。みんなして物珍しそうに。
「おはよ~」
とだけ言って、あたしはトースターとパンを持ってきた。
「なんだ、ご飯食べないのか?」
というパパに
「あたしは、朝はトーストが食べたいの!」
と言ってトースターにパンを入れて、コーヒーをセットした。
「なんだなんだ、コーヒーか?」
「見りゃ、わかるでしょ。醤油に見えるか?味噌汁に見えるか?」
すこぶる機嫌の悪い葉月です。
おねえちゃんとパパは顔を見合わせて、黙ってる事に決めたみたい。黙々とご飯を食べ始めた。
あたしは、こんがりと焼けたトースターにバターをぬってかじりついた。
その頃には、コーヒーのいい香りが部屋に充満していた。
ゆっくりと、カップにコーヒーを入れてミルクを入れる。白いミルクとこげ茶色のコーヒーがゆるやかに混ざり合って、微笑んでいるみたい。
少し苦いコーヒーがあたしの身体をゆったりと目覚めさせてくれる。
ああ、そうだよね。自分ですれば良かった。こんなに気持ちのいい朝も来るんだよね。
ふぅ~っとあたしは、カップの中にため息を落とした。祈りにもにた、ため息だった。
あたしはいつもより早く家を出た。
木々は突風にあおられしなり、茶色くなって残っている枯葉が吹き飛ばされそう。
風と一緒に冬が飛んでゆく。いらないものすべて、吹き飛んでいくといい。
風は強かったけど、暖かくたくましくふいてきた。うん、春一番だな。
その日、あたしは少しだけ強くなっていた。
校庭では、チラホラと朝練している人達が見えた。
時折砂ぼこりが舞って、目の前が白くなる。
いた。
夏香が走っていた。
あたしは、着替えて夏香に向かって走っていった。
朝日に輝く夏香に向かって走った。時折目の前を、砂ぼこりがさえぎるけど夏香を見失いはしなかった。
夏香は、一緒に走り出したあたしを見て一瞬戸惑ったようだったけど、何も言わなかった。
一緒に息を合わせて走る。強い風に目を伏せるけど、胸を張った。
ただ、走る。何も考えずに走る。夏香と一緒に走る。そして走っている自分が好きだった。
いままでで一番楽しかった。何も言わず、あたし達は校庭のはじをぐるっと回って行く。テンポの良い息と、ざっざという土をける音だけが聞こえた。
校庭の端にあらい息を投げ出して、二人で座った。
「葉月が朝練出てくるなんて、もう今日は雪だね」
「うん」
うなずくあたし。
「わたしさ、葉月が走ってる姿すごく好きだった。前だけ見てるって感じがしてさ!」
「うん」
風が砂ぼこりをあげて通り過ぎていく。ずっと空高く舞い上がる。
「夏香、ごめん」
あたしが言った言葉は、ザザザっと言う春一番に消された。
聞こえたか聞こえなかったかわからないまま、夏香が口を開く。
「あおいがさ、田嶋さんがさ、このままだったら葉月はわたしのこと友だちだって思ってないんじゃない?って言ったんだ」
「うん」
夏香が笑い出した。お腹を抱えて笑い出す。
「はははは、葉月さっきから、『うん』しか言ってないよ」
「そう?」
もともとあたしは、あんたと違っておしゃべりじゃないんだよ。
夏香の愛くるしい笑顔が、たまらなく可愛かった。うれしかった。夏香の笑顔が見られた。
「ははは、わたし葉月のおばあちゃん家が銭湯だって、知ってたよ。葉月が教えてくれたじゃない」
「えっそうだっけ?」
「そうだよ。しつこく家まで着いてった時高い煙突見て、あれなんだろうって言ったら『おばあちゃんのやってる銭湯だ』って。でも、番台に座ってるのは知らなかったけどさ」
夏香は大きく息を吸い込んで
「先輩も田嶋あおいも知ってるのに、わたしが知らなかったのは、少々くやしいです!!」
空に向かって風が舞い上がるように、大声を上げた。そして笑った。
くったくのないあたしの大好きな笑顔。
「ごめん、夏香」
夏香は、あたしの目を見て言った。
「ありがとう。朝練出てきてくれて」
春一番はその日一日中、吹き荒れた。
そこら中に春をばらまいて、夜になるまでおさまらなかった。
でもあたしは知っている。
まだまだ、寒い北風が吹く日があるって事。
だけど、春は必ずやってくる事も。
季節はいつでも、気がつかないけれど少しずつ少しずつ先へと進んでいるって事も。
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