僕はほとんどお酒を飲んだ事がなかった。
 何度か信徒から寄付されるお酒を飲んだ事もあったけれど、すぐに気持ち悪くなったし、特に美味しいとも思わなかった。

 そんな僕がアンヘル君の元にお酒を持って駆け込んだのは、本当にただの気まぐれ。
 そこまで飲むつもりはなかったんだけど、アンヘル君が黒い笑顔でワインボトルを口の中に捩じ込んできたから、凄まじい量のお酒を飲む羽目になった。
 僕はただ、ちびちびと飲みながら待ち望んだ姫君のお茶会に思い馳せたかっただけなのに。
 アンヘル君は『かーっははははッ!』と高笑いしながら、泥酔する僕を指さしていた。ジタバタしながら笑い泣いていたから、昨夜は多分アンヘル君もかなり酔っていたと思う。

 朝を迎え、二日酔いで最悪の体調を付与魔法(エンチャント)で見た目だけでも誤魔化して、僕はアンヘル君と共にお茶会に向かった。
 でも、正直なところ……最初から頭が半分ぐらい働いてなかった。ずっとふわふわしていたし、凄く眠たかった。その所為か途中から何を話してたかあやふやになっている。
 迎え酒をして戻る意識。先程まで、なんだか物凄く、醜態を晒していた気がする。
 そんな漠然とした不安に襲われながらも、僕は魔王を殺そうと奮闘したのだが……結局魔王を殺す事は叶わなかった。
 僕が弱いからじゃなくて、姫君に殺しちゃ駄目って言われてたからだし。殺して良かったら殺せたもん。

 我ながら情けない弁明を繰り返しつつ、魔王を追いかけ回していたら……姫君がアンヘル君の隣に座ろうとしていた。それに気づいた僕は急いで割り込み、姫君がアンヘル君の隣に座る事を阻止する。
 無事に妨害出来た安心からか少しばかり意識が遠のく。遠のく意識の中で、薄らとアンヘル君と姫君の会話が聞こえてきた。
 アンヘル君が混血(ハーフ)なのは何故なのか。そんな悩みを、姫君はいとも容易く解決してしまったらしい。

 すごいなあ、流石は姫君だ。
 賢いなあ。素敵だなあ。
 そんな風に、半分夢に浸る僕は呑気に考えていた。するとどうやら話題は僕の事になったようで。

「それにしても……ミカリア様ってお酒とか飲むのね。本当に意外だわ」
「引く程弱いがな。こいつも一応人間だし、それなりに娯楽は嗜むんだろ。どうでもいいけど」
「適当だなぁ」

 大好きな二人の和やかな会話が聞こえてくる。それはとても心地よく、僕を眠りに誘う。
 だがそこに、眠りを妨げる邪魔者が割り込んで来た。

「ぶっちゃけさァ、聖人とか要らないよなって魔王(オレサマ)思うワケよ。だって魔族的にはすげェ邪魔だし、聖人(それ)

 耳障りな音。もういっその事喉を潰してやろうかと思うような不愉快な声が、この和やかで尊い空気を壊してしまった。

「お酒臭いなぁ……あと、それ絶対国教会信徒の前で言っちゃ駄目だからね。ミカリア様は人類の希望なんだから」
魔族(オレサマたち)の絶望でもあるけどな」
「ああ言えばこう言う……そんなに嫌いなら関わらなければいいじゃないの」
「じゃァお前がアイツと関わんのやめてくれよ」
「なんでよ」

 ふつふつと苛立ちが募る。目を開けば視界に入ってしまうであろう魔王を──あの憎い男を……僕は殺したくて仕方が無い。

「ダイイチさァ、人類最強の聖人なんて所詮ただの偶像だろ。そんなの周りの奴等の自己満足だし、本人の存在価値皆無じゃね?」

 何かが、芯まで冷えきったような気がする。
 僕の事を何も知らない悪魔が──……忌まわしき魔王という存在が、なんの権利があって聖人(ぼく)を否定するんだ?
 全身の血が沸騰する。頭から爪先まで、怒りという感情が僕を支配しようとする。
 目を開いて、悪魔を捉え、この手で消滅させなければきっと気が済まない。そんな確信すらある怒りが、僕の中に渦巻いていた。しかし、

「……ねぇ、シュヴァルツ。貴方が悪魔だって事も、魔王だって事も分かってる。天敵とも言える聖人を嫌っている事も分かるわ。──でも。だからって、それが人を貶していい理由にはならないわよ」

 彼女は僕の味方をしてくれた。それだけで少しは溜飲も下がるというものだ。

「人に限らず誰にだって悪口は言っちゃいけないの。時には、ほんの些細な一言で……大惨事に発展する事もあるんだから」
「はァ……? だがこれが事実だろ。事実を言って何が悪いんだ。聖人なんて象徴(モノ)に、一体どんな存在意義があるんだ? つもるところ、聖人なんて大層な名前をしてるだけのただの操り人形じゃねェか。人類が皆平等に平和を享受出来ますように〜〜なんてくっだらねェ理想の為の使い捨ての道具。オレサマ、そーゆー人形みてェなツマラナイ人間は大っ嫌いなんだよ」

 本当に何が悪いのか分かってなさそうな口調。
 ほら、だから言ったじゃないか。悪魔と人間は決して理解し合えない。悪魔なんて、人間にとっての害悪でしかないんだって。