一日、二日、十日、二十日、一ヶ月。
 俺はずっと、いっそ死にたいと願う程の艱難辛苦に襲われていた。

 痛みから溢れていた涙はいつしか枯れ、痛くて咆哮していたから喉は壊れ、血管は焼き石に押付けられるように痛み、筋肉は丁寧に引きちぎられているように痛む。
 内臓がぐちゃぐちゃに握り潰されたように痛い。爪先からすり潰されていったように痛い。関節全てに杭を打たれたように痛い。生きたまま猛獣に食われたように痛い。目が日光に貫かれたように痛い。
 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!
 あまりの理不尽な痛みに、眠る事も思考する事も死ぬ事すらも許されなかった。

 なんで、なんでおればっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだ。おれが何したんだよ、おれはただ、産まれてきただけなのに。
 なんでおれは死ねないんだ。なんでおれは混血(ハーフ)なんだ。なんで、おればっかり──……。

 暗い(くら)い絶望の中。いつしか、俺は忘却という自己防衛の手段を手に入れていた。痛みという、生きる上で重要なものの一つに数えられる感覚というものを、俺は忘れる事にした。
 意図的にやったというよりかは、生存本能がそうしたと言うべきだろう。それによって、一時は俺の中にもう一人の(オレ)がいた。いわゆる多重人格というやつだ。
 それがありとあらゆる痛みなどを請け負ってくれたお陰で、俺はなんとか絶望から這い上がる事が出来たのだ。

 元々日記をつける習慣があったからか、俺はあの絶望が記憶として残っている間に全て日記に記していた。痛みを忘れ、不感になろうとも……あの時の感情はまだ記憶に残っていたのだろう。
 当時の日記には、そこまで事細かに書く必要があるのか? ってぐらい一ヶ月の絶望が全て記されていたのだ。
 まあ、その後の日記を暫く見て行ったら、その十年後とかには俺の中の(オレ)は絶望を負いすぎて消失し、自己防衛の為に俺は何もかもを忘れるしかない状況に追い込まれていたのだが。

 だから、今でも日記をつけている。魔導具の作り方や今までの研究開発結果、スイーツの事とか関わりのある人間の事とか。
 代々吸血鬼一族(デリアルド)に仕えていたらしい人間の一族が、生き残りの俺に大人しく仕える事になったとか、全然思い出せない異母弟妹に似たガキがよく俺の屋敷に来るようになったとか。
 その日あった事や、感じた事、全てを毎晩日記に記していた。そして次の日の朝、それを一通り見て何があったのかを確認(思い出す)。これが、いつもの流れだった。
 寝て起きたら自分を守る為に俺は記憶を失う。一週間分の記憶を毎日念入りに失い続けるものだから、最近の事なんてほとんど覚えていられない。

 今でも触覚は機能していないし、感情の起伏もあの一ヶ月以降控えめになってしまった。
 だが、この状態が俺という存在が最も楽に生きられる瞬間なのだから仕方無い。死なない選択肢を選んでいる以上、俺はおれ(・・)の為に生きなければならないのだ。

「純血の吸血鬼だけが死んで、混血(ハーフ)の吸血鬼だけが生き残った……?」

 王女様は真剣に悩んでくれていた。
 こんなクソしょうもない話にも、このお嬢さんは真面目に頭を働かせてくれるらしい。しかも、俺のような面倒な存在にも他と変わらず普通に接してくれる。それが、存外嬉しいと思えるのだ。
 そらぁ、あの夢見がちなミカリアが惚れ込む訳だ。

「吸血鬼一族の連続死は確か約五百年前……そこでアンヘルだけが生き残ったのは、混血(ハーフ)だからなの? でもなんで吸血鬼一族が突然……」

 考えてる事が口から出てるのに気づいていないのか、王女様は腕を組み顎に手を当て、一心不乱にぶつぶつと思考を繰り返している様子。
 そんな時緑の髪の子供がやって来て、王女様の膝に滑り込むように飛び乗った。

「うわぁっ、どうしたのナトラ」
「気になる話が聞こえて来たからの。五百年前の吸血鬼がどうとか言うておったな?」
「うん、そうだけど……何か知ってるの?」

 その子供は王女様の膝の上で、足をブラブラと動かしている。王女様はそんな子供の頭を撫でつつ、顔を覗き込んで話しかけた。
 そして、子供は身の毛もよだつような言葉を口にした。

「うむ。だってそれ、我がやったから」

 ────は? 

「ど、どういう事? ナトラがやった、って……」
「フンッ、悪いのは吸血鬼とやらじゃ。我と姉上が何千年とかけて作り上げた花畑を、吸血鬼とやらが踏み荒らした。我の権能が強く浸透している花々を己の欲が為にあやつ等は刈り取ったのじゃ」

 花畑? 花? 確かに、昔……強力な魔力を宿す花を乱獲して、魔導具開発に活かしていたとか……デリアルドの大人達が言っていた、ような。