「あぁ……やはり、この匂いはあの花じゃな。我が昔姉上と共に作り上げたあの花畑にも咲いていた、あの……」
「流石はナトラだな。その焼き菓子には、オセロマイトで咲く香りがいい花の花びらを乾燥させてすり潰したものをふりかけてみたんだ。ナトラの琴線に触れてしまうような、花を冒涜するような行為かもしれないが……」

 マクベスタが申し訳無さそうに眉尻を下げると、ナトラはツインテールを小さく揺らして顔を左右に振った。

「いや、我は気にせん。花はいずれ枯れるものだし、どうせ朽ちるのならばその馨しき生き様を人の記憶に遺して逝ける方が、花々にとっても本望であろう。どんな形でもよい。少しでも、そのような花が──自然(みどり)があったのじゃと人間(おまえたち)が覚えていてくれるのならば、それこそがこの世界を彩る為にある自然の本懐というものじゃ」

 少し熱くなった顔を手で仰ぎつつ、私はナトラとマクベスタの会話に耳を傾けていた。
 ナトラは緑の竜──自然を司る上位存在。自然そのものの代弁者と言っても過言ではないナトラがそう断言したから、マクベスタは安心した面持ちになった。
 そして、満を持してナトラはそのギザギザの歯でドーナツにかぶりついた。

「む! マクベスタ、これは美味いぞ! 何より花びらの潰し方が絶妙じゃ……よくここまでこの花の香りを引き出せたな。やはりお前はこういう作業が得意なのか?」
「花と工芸の国だからな、オセロマイトは。オレの母親が特段、香油作りや花について詳しかったというのもあるが」
「……くふふ。そうか、花の国か。あの地はまだ花で満ちておるのじゃな」

 ナトラが噛み締めるように微笑む。それをとても優しい瞳で見守るクロノの口元もまた、少しだけ弧を描いているように見える。
 もしかしてナトラ達にとってオセロマイトの地は何か特別な意味を持つのかもしれない。そんな事を考えていると、新たな招待客が到着した。

「アミレス様! 本日はお招きいただきありがとうございます」
「お久しぶりですね、姫様。マリエル・シュー・ララルスがご挨拶申し上げます」
「メイシア、ハイラ!」

 雪原を歩き現れたのはメイシアとハイラだった。二人共、アルベルトに招待状を見せるなりすぐこちらに来て。

「素敵な薔薇園ですねアミレス様。もしかして、今日のお茶会の後に薔薇の花束を作ってわたしにくださったり。なんて……えへへ」
「え? 薔薇が欲しいなら好きなだけ持って行っていいよ。あ、でもナトラの許可取らなきゃな……」
「むぅ、アミレス様はやっぱり鈍感です。そこがまた魅力的なんですけど」
「えぇ?」

 薔薇が欲しいんじゃないの? 自分じゃ花束にするの大変だからやって欲しいって事かな。まあでも、棘が刺さったら痛いもんね。確かに、それなら痛覚が若干麻痺してる私がやった方が効率的かしら。

「「「!!」」」
「ねぇちょっとそこの人外男子達、『その手があったか!』って顔やめない? 多分アイツの事だから薔薇百本の花束を送られたところで『わあ、綺麗ね』で終了するぞ」
「……不本意ながらカイルの意見には同意だ。不本意だけど、確かにアミィはして欲しい時に限って全然深読みとかしてくれないからね。本当に不本意だけど」
「不本意の化身かよ」
「まァ、ムカつくがカイルの言う通りだな。なんなら数年前に青薔薇の花束あげたけど普通の反応だったわアイツ。青薔薇見て目ェキラキラさせてたのは見ものだったけどよ。にしてもカイルの言う通りってやっぱ気に食わねェな」
「遺憾〜〜!」

 何やら、人外さん達+カイルで談笑しているようだ。

「俺はアレだけどな。別に大した意味は無いっつーか……ただ赤い花に囲まれてる姫さんが見てみたいってだけなんで」
「それならボクはアミィを星で囲みたい」
「精霊共ってやっぱやべェな。アイツの安全の為にもアミレスは魔界に連れて──」
「「行かせるかよクソ悪魔」」
「……ハンッ、おっかねェなァ〜〜精霊サンは」

 シュヴァルツの言葉に、シルフと師匠が食い気味に被せる。しかし何の話をしてるんだろうかあのヒト達は。
 私を花で囲むの? もしかしてもう私が棺桶に入る時の話してる? ……流石にそれはちょっと早いんじゃないかなあ。
 棺桶に入れる花は普通に白がいいし。

「姫様。メイシア様が特別な茶葉をお持ちくださったそうなので、僭越ながら私が姫様の紅茶をお入れしても構いませんか?」
「アミレス様からの滅多にないお誘いでしたので、奮発しちゃいました」
「あらそうなの? ありがとうメイシア、貴女のお陰で久々にハイラの紅茶が飲めるわ!」

 そう話しているとハイラに仕事が取られたとでも思ったのか、アルベルトが捨てられた子犬のような顔で俯いていた。
 そんな彼に駆け寄り、「貴方は珈琲を入れてくれるじゃない。いつも美味しい珈琲をありがとね、ルティ」と足をプルプル震わせながら背伸びして、彼の頭を撫でてみる。
 何やらゴッドハンド疑惑のある我が手で頭を撫でると、高確率で満足感を与えられるらしいのだ。
 私の何気無い一言で彼の尊厳を傷つけてしまったようなので、アフターケアも欠かさない。出来る上司に私はなってみせますとも。

「っ、は、はぃ……!」

 流石に私みたいな子供に頭を撫でられるのは恥ずかしいか。大人だもんね、ナトラやシュヴァルツとは違──うん? そういえば、シュヴァルツはなんであんなに素直に喜んでたのかしら。いい歳した魔王なんでしょ、あのヒト。
 頬を桜色に染めるアルベルトが恥ずかしさの中で困ったように目と口をキュッと閉じるので、何だか大型犬を相手にしているような気分になり、自然と口角が上がったかと思えば白い息が宙に舞う。
 第六感が働いたのか、はたまた本能なのか……信号に突っ込むトラックのようにセツが横から突撃してきた。
 だが私は強い。度重なるナトラとシュヴァルツの突撃により体幹が鍛えられたので、これしきの事で倒れやしない。
 かまってとばかりに尻尾を振るセツの顔をわしゃわしゃわしゃわしゃと撫で、私のワンちゃんはあなただけよ〜〜と暗に伝えていたら、

「──王女殿下!」

 突然イリオーデが跪いた。

「急にどうしたのイリオーデ。膝でも痛めたの?」
「いえ、我が肉体は万全にて。ご心配には及びません。それより、その……私は貴女様の剣、貴女様の騎士です。ならば──王女殿下の犬……と評しても差し支えはないかと愚考しました」

 前触れのない話題の飛躍(フライアウェイ)。これにはその場の誰もが疑問符を浮かべた事だろう。

「貴方が私の犬?」
「はい。貴女様に忠誠を誓う犬めにございますれば……分不相応な望みと心得ますが、浅ましくもお願い申し上げたく思うのです」

 なんか凄く仰々しい。もしかして、この流れで何かとんでもない頼みをされるんじゃ……!?
 唸るセツを宥めつつ、固唾を呑んで彼の次の言葉を待つ。

「私も、日々の忠誠の証が欲しいというか……貴女様より、格別の褒美を賜りたく存じます。その、例えば、先程ルティやセツにしていたように…………」

 もにょもにょとイリオーデは話す。
 よく分からないけど。本当によく分からないのだけど……もしかしてこの美丈夫は──、

「頭を撫でて欲しい……って事?」

 誰かに、甘えたかったんじゃないのか?