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「行ってしまわれましたね、お客様。いやしかし……アンヘル様が初対面の相手にあそこまで世話を焼くとは、珍しい事もあったものですね」

 黒衣を着た人形に連れられ、ミカリアが国教会に戻った後。ソウディガーがおもむろに呟いた。

「確かにそうだねー。本当にびっくりしたよ、突然国教会の聖人を連れて帰ってきた時は! あの時のじいちゃんの顔色といったら……ぷぷっ、今思い出してもおもしろーい!」
「ジオール……お前も当事者になれば分かるだろう。あの時のワタシの気持ちが……」
「鈍感だってよくアンヘル様に言われるけど、俺もちゃんと分かるのかなー?」

 ケラケラと笑うジオールを、ソウディガーが優しく窘める。
 まさかあいつがこんなにも俺達の懐にあっさりと入り込むとは思わなかった。
 だって、あいつは国教会の聖人サマだから。
 聖人とやらは清廉で、尊く、何よりも高潔なものだと聞く。だから、助けてやったところで俺が吸血鬼だと分かれば問答無用で殺してくるかと思って……ソウディガー達に被害が及ばないようにあいつの様子を俺一人で見に行ったんだが。
 なんというか、思ってたよりも柔軟な人間だった。国教会にも恩だとかそういう考えは一応あるらしい。

 今まで俺の前に現れた聖職者はだいたい顔を会わせるなり対話も無く殺しにくるし、なんなら暗殺しようとしてきた。
 だから、その聖職者の親玉とも言える聖人もてっきり同じとばかりに思っていたが……意外にもあいつは俺達に理解を示し、あっという間にうちの馬鹿共と仲良くなっていた。
 まあ、あいつも人並みに怪我してるし……何より久々の客だとソウディガー達が楽しそうだから別にいいかと思い、放置していたら。
 あのガキ、なんか知らんうちに俺の手伝いを始めていた。
 まあそれはいい。ジオールの言う通り、後は光の魔力さえあれば完成するところまで、魔導具制作は進んでいたからな。

 それからというものの。魔導具開発を経てあいつと関わる機会が増え、俺はそれなりにあいつと過ごす時間が不快ではなくなっていた。
 大抵の人間と過ごす時間は不快かつ苦痛でしかないのだが、あのガキが……もう顔も名前も覚えていない腹違いの弟妹にどこか似ているからだろうか。
 どうしても、放っておけなくなった。
 何もかもに目を輝かせて好奇心のままに触ろうとして、本当に危なっかしいったらありゃしない。あれのどこが国教会の指導者なんだ?
 完全無欠の聖人サマと聞いて、多少は警戒していた俺が馬鹿らしく思えてくる。
 こわ〜い聖人サマと思いながらいざ蓋を開けてみれば──中に入っていたのは、ただの箱入りの子供でしかなかった。

 本当に……あいつを拾った時は、特に何も考えてなかった。
 ただ、なんとなく助けた。それこそ、夢見が悪いとかその程度の理由で。
 後の事なんて考えてなかったし、ソウディガーやジオールの言う通り初対面の相手──それも天敵とも言える聖人にあそこまでしてやる必要なんてなかった。
 だから、なんとなくなのだ。
 理由も理論も何も無い、ただの思いつき。そんな一時(いっとき)の衝動で、俺はあいつを助けてやった。

 でも、まァ……後悔はしてないな。あいつのお陰で、完成する事はないって思ってたいくつかの魔導具が完成したし、色々とアイデアも湧いてきた。
 いつも退屈な仕事ばかりのソウディガー達も、久々にやりがいのある仕事が出来たと張り切っていた。
 意外な事に損よりも収穫が多かったこの一ヶ月。
 本人が帰ろうとしないから……まあ、役に立ってるし好きなだけ滞在させてやるか。ちょっと喧しいけど。
 とかなんとか、俺はお菓子片手に考えていたのだが。

 ──流石に国教会が捜索してたか。そりゃそうだよな、あいつ聖人だし。捜さない方がおかしいか。
 誰かが俺の邸に侵入したので、とりあえず現場に向かったところ。扉の向こうから、話し声が聞こえてしまった。
 それは、どこか胡散臭いあのガキの本音そのものだった。
 度々あいつから感じていた幼さと違和感。その正体が分かり、俺は落胆した。

『……何で、会って一ヶ月とかそこらの奴等の為に泣いてんだよ。あのガキは』

 子供ってのは自分の為に泣くのが仕事だ。他人の為に泣くのは大人になってからでいい。
 あんな、まだ酒も飲めないガキが一丁前に他人の為に泣いて、夢を諦める事なんて……あってはならない。
 そう、声しか思い出せない母親(だれか)が言っていた気がする。
 優しくしてやる必要も、世話を焼いてやる必要も俺にはない。
 だけど、ほんの僅かでもあいつに対して親しみを感じてしまった以上、俺は──あいつが夢を捨てる事が、許せなかった。
 俺みたいな呪われた奴にはもう何かも分からない、その夢ってやつをまだ抱ける未来ある子供が……それを他人の為に諦める事実が、受入れ難くてしょうがない。

 だから知人と言った。
 友達という存在が聖人に不要なものだとしても、知人なら別に問題無いだろ。まあ、知らんけど。
 知人なんて生きてりゃ誰にでも出来るものだ。それは聖人サマだって同じだろう。
 そう言ったら、あいつ、心底嬉しそうに笑いやがってよ。この先面倒事が増えるだろうけど、まあ、退屈しのぎにはなるかなって。
 暇を持て余していた俺はそう思った訳よ。

「……──だからってさァ、誰がこんなの予想出来た?」
「急にどうしたの、アンヘル君。もしかして僕も不老不死になって喜んでくれてるの?」

 ふふ。と上品に笑い、あれから成長し停滞した(・・・・)ミカリアは紅茶の上澄みに唇をつけた。
 あれから十数年。国教会では次々と大司教や高額寄付者が暗殺され、その事件の関係であいつは暫く来なかったのだが…………あの日から二年程経ってからだろうか。
 あいつは毎度毎度、訳の分からないネタを引っ提げてここにやって来るようになった。

「不老不死って……おまえ何したんだよ。竜や精霊の血でも飲んだか?」
「ううん。それが僕にもよく分からなくて。気がついたら数年前から全然姿が変わらなくてね、ちょっと魔眼の持ち主達に色々と視てもらったんだけど……どうやら特訓の果てに体の大部分が人間じゃなくなったみたいなんだ」

 ミカリアはなんて事無いように話すが、それはどう考えても異常──本来起こり得ない事だ。

「……おまえ、それ笑って話す事じゃねぇだろ。しかも不老不死って、そんな気軽に寿命を放棄するなよ、後悔するぞ」
「そう考えなかった訳ではないけどね、アンヘル君がいるから別にいいかなーって」

 退屈しのぎになるかなとは思ったさ。でも誰がここまで、ミカリアが面倒事を持ってくると予想出来た?

「ああクソっ、選択間違えた……!」

 本当に凡人の域を超え、聖人として不老不死になったミカリアは、それからもずっと同じ容姿のままだった。
 ……どれだけミカリアの相手が面倒で、厄介だとしても。
 ──俺だけは、絶対にあいつの不安も懊悩も無視してやる。
 あいつが夢を叶えようが、欲望を抱こうが俺にとってはどうでもいい事。どれだけあいつが俺に遠慮しようが、知ったこっちゃねぇ。

 いつか来る終わりの日に、ミカリアが普通に死ねるよう……知人として俺はあいつの事をいつまでも夢見がちなガキとして扱う。
 聖人でもなんでもない、ただのガキとして。
 この選択が間違いではなかったと……あの日の俺の為に証明してやらないと。
 これは、まったくもってミカリアの為なんかじゃない。
 これは、俺が間違ってなかったと証明する為のものだ。

「──あれっ、アンヘル君が若返ってる!?」
「……そういう気分なんだよ。いちいち気にするな」
「流石にこれは気になるって。急に知り合いが若返って気にしない方が無理あるよ」
「だから、そーゆー気分なんだよ」
「説明になってない……けど、なんだかアンヘル君と同年代になれたみたいで嬉しいな」

 久々に来たかと思えば、ミカリアは俺の姿を見て目を丸くしたそばから照れ臭そうにはにかんだ。
 ただ、なんとなく……たまには姿を変えようと思っただけ。
 俺は見た目を自在に変えられる。元々、蝙蝠や性別を変える程度の変化能力自体はどの吸血鬼も持つが、俺のそれはその域を余裕で超えた、まさに変幻自在の能力だった。
 何せ俺は、この世界(・・・・)()存在する(・・・・)あらゆる(・・・・)もの(・・)に変化出来る固有能力を持っているからな。
 吸血鬼の能力が安定するまでは体も成長するが、能力が安定したら俺達は不老不死となる。
 だから、あまり周りに舐められないように適当〜にいい感じの年代の姿にしていた。

 だけどこの姿にもそろそろ飽きてきたので……久しぶりに姿を変えた。
 しかし、老いていると甘いものが重く感じるし、幼いと酒の入ったものは購入出来ない。ならばその中間をいく年代で……と考えた結果、たまたま(・・・・)二十代ぐらいの男性体になったのだ。

 そう、全部たまたまなんだ。
 俺もあいつが出会った事も、知人になった事も、こうして不定期に会う事も。
 全部、ぜーんぶ偶然(たまたま)
 わざわざ気にとめる必要も無い、長い一生のうちの幾つもある、偶然なのだ。
 まァ……そんな偶然だからこそ、少しは大切にしようと思えてしまうのは──……俺も、歳を取ったからなんだろうな。