それはひとえに、アミレスから『あんなスイーツが食べたい』『こんなスイーツが食べたい』と色々アイデアを伝えられたからだった。
 そんな可愛らしい願いを聞いたホリミエラとメイシアが、アミレスの願いを叶えてあげようとついに製菓事業に本腰を入れたのである。
 ただ製菓事業に本腰を入れただけならば、これまでの菓子店となんら変わらない。
 ならば、パティスリー・ルナオーシャンの何がアンヘルをそこまで感動させたのか。

「ルナオーシャンの掲げる『一人でも多くの人へスイーツを届ける』という経営理念……それに俺は深く感銘を受けた。何せあの店は口先だけでなく実際に、これまでならば考えられないような低価格で、一定の質を保ちスイーツを販売している。これにより、帝国では平民も気軽にスイーツを食べられるようになったそうじゃないか。まあ、これの実現には帝都中での職種増加と賃金の値上げによって平民達も安定した収入を得られるようになった事も大きく影響していると聞くが……それはひとまず置いておいて。これは革命だ。間違いなく、ルナオーシャンの成した事は後のスイーツ業界に大きな影響を及ぼすことだろう。だから俺は、これを成し遂げたシャンパー商会に心から感謝しているんだ」

 それは、シャンパー商会だからこそ実現出来た事だった。
 一定の質を保ちつつも量産し、低価格で客に提供する──。
 そんな子供が描いた夢物語のような革命を起こしたシャンパー商会と、そのきっかけとなった一人の少女。それに、心からスイーツ文化を愛するアンヘルは心より感動していたのだ。

「今の話を聞く限り、アミレスが教祖と言われる理由にはならないような。辺境伯殿の話だと、教祖と呼ばれるべきなのはシャンパー商会なのでは……と、オレは思ったんですが」

 ぼーっとしてたらアミレスの迷惑になるかも……と考え直して一応話を聞いていたマクベスタが、疑問をそのまま言葉にする。
 その疑問に、誰だこいつ? と思いながらアンヘルは答えた。

「王女様を教祖と呼んだ理由か…………俺はこれでもハミルディーヒの人間なんでな、今まではフォーロイトにうちの人間を送って帝国スイーツについて情報収集させるのも、問題になりかねないからと半年に一度に留めていたんだよ」
(それでも半年に一度情報収集させてたんだね、アンヘル君)
「だがそうも言ってられなくなった。ルナオーシャンが出来てから半年程が経ってからだろうか……風の噂でそんな店の概要を聞いてな、やむを得ずうちの人間にとことん調査させたんだ。それで、ルナオーシャンについて調べるうちに俺は知った。ルナオーシャンのスイーツの大半には原案者がいて、ルナオーシャンがそもそもその原案者のスイーツを販売する為だけに作られた店なのだと」

 そこで、アミレスは何となく事の次第を察する。

(あー……そっか。デリアルド家の騎士は諜報員としても優秀ってゲームでも語られてたものね。だから、シャンパー商会のセキュリティを掻い潜って私の事まで突き止めたのか)

 その通り。アンヘルはルナオーシャンについて調べる中でアミレスの存在に気づいた。
 元々、フリードルの誕生パーティーの一件で、アンヘルはアミレスを他の子供とは違う……と認識していた。
 それに加え、ルナオーシャンの件でアミレスがスイーツへの造詣が深く、スイーツ業界に革命を起こしたルナオーシャンの原点に位置する存在なのだと知ったアンヘルは。

「だから俺は、王女様に会いたかった。そしてあの調査結果が本当なのか確かめたかった。いざ王女様に会い、王女様がルナオーシャンのスイーツの原案者だと本人の口から聞いて……俺は思ったんだ。ルナオーシャンがこれからのスイーツ業界の先導者ならば、新たな一大ジャンルを築き上げるきっかけとなった王女様は、もはや教祖に等しいと。そう、ルナオーシャンという名の新興宗教の教祖……と言った方が分かりやすいか。俺はあんたの考えたスイーツと、あんたによって作られたルナオーシャンという宗教に心酔した、言わば信徒なんだ」

 スイーツを心から愛するあまり、かなりぶっ飛んだ思考回路になっていた。
 ここまでくればもはや甘党と言うより、ただのスイーツ狂いである。

「これで、王女様に会いたかった理由と王女様を教祖と呼んだ理由の説明になっただろうか」
「は、はい……分かりました。ミカリア様の前で教祖だなんだと言うぐらい、辺境伯様がものすごくスイーツを愛している事は」
「ん? なんでここでミカリアの名前が……って、そうか、おまえそう言えばなんかの宗教のお偉いさんだったな」

 忘れてた。とばかりに手をポンッと合わせるアンヘル。それを見て、ミカリアも流石にショックを受けた。
 ミカリアは大陸西側で主に信仰されている天空教の総本山、国教会の事実上のトップ。
 歴代で最も尊く信心深い、人類最強の聖人。
 ──それが、ミカリア・ディア・ラ・セイレーンなのだ。
 彼と百年近く付き合いを続けている吸血鬼のアンヘルならばそれも当然理解している筈なのだが……何やらアンヘルはうっかり忘れていた模様。
 この長い関係を知り合いとしか言えない理由というものを、何故かアンヘルは忘れていた。それはひとえに──……この曖昧で適当な関係が、彼にとって最も心地よいものだからなのだろう。

(アンヘル君……そんなに僕に興味無いの……?)

 ミカリアの悲痛な心は、アンヘルに届かない。
 ずっと、ずっとそうだった。
 アンヘルはいつだって……出会ったばかりの頃から、ミカリアの心配や懊悩なんて何一つ考えやしなかった────。