秋染祭の代わりとなる冬染祭、と言われましても私にはこれといって予定はありませんでした。

 それもその筈。先の魔物の行進(イースター)だけでなく、一ヶ月後に控える国際交流舞踏会や突然発生したこの祭りと……とにかく帝国財政に関するイベントが数多くあった。
 財務部部署長の座を退いたとは言えども、我がララルス家が長らく帝国財政を取り仕切ってきた事に変わりはなく。
 ここ暫くは、新たな財務部部署長と共に帝国財政について頭を抱える事を強要される日々でした。
 ただでさえ慣れない領地運営で頭を抱えていたのに、まさか帝国財政に関与させられるなんて。本当に、ケイリオル卿は恨んでも恨みきれません。

「いやー相変わらず盛り上がってますね、冬染祭。皇太子殿下様々だ。こんなに盛り上がってるのに今日で終わるなんて、ちょっと寂しいですねぇ」
「イアン、私の前で皇太子殿下を褒めるとはどういうつもりですか。褒めるならば姫様を褒めなさい」
「す、すいませんでした……」

 冬染祭最終日。
 比較的人が少ない道を馬車で進み王城に向かう途中、遠くにちらりと見える大通りを見てイアンがしみじみと呟く。
 しかしそれが個人的に不服な内容だったので、すかさず訂正を入れる。
 皇太子殿下なんかより、姫様を褒めるべきでしょう。全人類。
 そう、イアンの謝罪を聞いていたら、

「あのー……侯爵様。あたし、本当にこれからお城に行くんですか? ご存知の通り礼儀作法壊滅的なんですけど……」

 手伝いで連れて来た侍女のサルナが、引き攣った顔を真っ青にして体を小刻みに震えさせた。

「大丈夫ですよ、サルナ。誰も貴女の礼儀作法など気にもとめません」
「本当? でもそれはそれでちょっとムカつくような……」
「──まあ、貴女も知ってるかと思いますが。城には高給取りの騎士や文官、武官に未婚の貴族も多くいるので玉の輿を狙うにはうってつ…………」
「いよぉおおおおおおしっ、やるわよーっ! 目指せ玉の輿! イケメンで金持ちの旦那見つけてやるんだから!!」

 本当に扱いやすいですね彼女は。
 サルナは長く酒場で働いていた影響か、人の特徴や癖を見抜く能力が異様に高い。なので様々な帳簿や書類の管理にあたって、やむを得ない事情を除いて代筆等の不正が行われていないかを彼女に確認させていた。
 すると、これまで私も家令も気づかなかったような代筆に彼女は気づいたので、此度の城での仕事にも連れて来たのです。
 城なんて無理! と騒ぐ彼女に、『貴女の優秀さを見込んでの命令です』と告げたら鼻を高くしてすぐさま出かける準備をしていた。
 そして今回のこれである。扱いやすさが段違いですね……純粋と言えば聞こえはいいですが……要は単純なだけですからね。

 使用人のような格好をさせたイアンと、ララルス邸の侍女服を着たサルナを伴い登城し、こうして祭り最終日にも関わらず仕事をしに来た訳ですが。

「あら、ハイ──……んんっ、マリエルじゃない!」

 城の廊下で、なんと姫様にお会いする事が出来た。
 姫様は私に気づくと笑顔で声をかけて下さった。周りの目も気にしてか、わざわざマリエルと名前を正して。
 姫様にはハイラと呼んで欲しいところですが、ここは周りの目もありますからね。仕方無いでしょう。

「御機嫌よう、姫様。本日もお元気そうで何よりです」
「貴女こそ元気そうで良かったわ。最近益々冷え込んでるから、体調管理には気をつけなさいよ? ハイ……マリエルったら自分の事は二の次にしがちだもの、心配だわ」
「自分の体調が悪い事にも気づかず特訓ばかりの姫様から、そのような配慮を賜るとは……姫様のご成長は季節が移ろうように目まぐるしいですわね」
「う、流れるようなお小言……」

 渋い顔を作る姫様を見て、私の口からは軽い笑い声が零れた。
 この空気がとても懐かしく、愛おしい。私にとっては姫様と過ごす時間が何よりも大事で、かけがえのないものなのだと実感する。

「お嬢様が笑った……」
「侯爵様が笑った……」
「マリエル嬢が笑った……」

 姫様と微笑み合っていると、イアンとサルナとランディグランジュ侯爵が失礼な事を口走った。
 というか、ランディグランジュ侯爵もいたんですね。姫様しか目に入ってなかったので気づきませんでしたが、イリオーデ卿もルティもいますね。
 しかし何故、ランディグランジュ侯爵が姫様と一緒に?
 訝しげに彼を見つめていたら、途中で目が合って。

「や、やあ。マリエル嬢。こんな所で会うなんて奇遇だな」
「……そうですね。時にランディグランジュ侯爵は何故姫様と共に?」
「王女殿下と……ええと、陛下からの招集の帰りにたまたまお会いして、イルの事について話してたんだ」
「そうなんですか。イリオーデ卿について……」

 ちらりと件のイリオーデ卿に視線を向けると、彼は少し困ったような表情を作っていた。恐らく、実兄と姫様が自分の話題で盛り上がるのを傍で聞き続けていたのでしょう、気まずそうにしています。
 ついでと言っては何ですが、そんなイリオーデ卿を横目で見て煽るようにニコニコと笑うルティの姿も目に入る。
 相変わらず彼等は仲が良いらしい。

「マリエルはどうして城に……ってお仕事か。そちらの人達は貴女の使用人ね。いつも私のマリエルがお世話になってま……いや、もう私のマリエルじゃないか」

 途端に姫様の声が元気の無いものへと変わった。その表情は、傷ついている事を悟らせないような貼り付けた笑顔になっていた。
 そんな顔を見て、私は。

「いえ、いいえ! そのような事はございません、姫様! 私は……っ、私はいつまでも姫様のものです。姫様の為に生きる貴女様の……姫様だけの、私ですよ」

 姫様の前に跪き、彼女の手を取って感情のままに言葉を紡いだ。
 そうだ。たとえハイラでなくなったとしても、私が姫様の侍女だった事に変わりはない。その事実と、姫様と過した輝く宝石たちのような思い出は、確かに私の中に残り続けていますから。
 姫様が許して下さる限り、私は貴女様のマリエルでいられるのです。

「……もう。貴女はいつもそうやって私を甘やかすんだから。でも、嬉しいから否定はしないもんね。いつまで経っても──マリエルもハイラも、私の大好きな人なんだから。私のって言っていいのかは分からないけれど」
「寧ろ、『マリエル・シュー・ララルスはアミレス王女殿下のもの』と喧伝していただいても構いませんよ」
「そんな事をしてしまったら、貴女が婚期を逃してしまうわよ?」
「問題ありません。跡継ぎだとかは妹に任せるつもりですので」

 ゆっくりと立ち上がりながら、姫様と談笑する。
 私はこれから先も姫様の為に生きる。こうして今は侯爵として生きているけれど、家門の再建と領地の運営が安定し、妹がちゃんとした婿を取れたら……私は妹とその婿にララルス家を任せて姫様の元に戻るつもりです。
 元々、姫様の後ろ盾となるべく奪った爵位なので、妹への洗脳──ごほんっ。教育が済んだ今、私がこの座に座り続ける必要は無い。
 ただ、どうせなら私に出来る限りの事をしてからこの座を離れるべきだと思い、こうして日々働いているだけであって。
 そういう訳で、実は姫様の侍女(ハイラ)に戻る準備も常に出来ておりますの。

「……イアン。あんたあの王女様に勝てるの?」
「いやぁ……分かってはいたけど、厳しいなぁ……」
「まあ、うん。元酒場の看板娘らしく、何かあったら相談乗ってあげるわよ。言い値で」
「金とんのかよ。ま、そん時は世話になりますわ、サルナ」

 サルナとイアンが後ろでよく分からない話をしている。姫様に勝つとか何とか、何を無駄な事を話しているのか。

「……はぁ」
「無謀だぞ、アランバルト」
「俺は何も言ってないが、イル」
「いい歳して夢を見るな」
「……だから、俺は、何も言ってないって」

 イリオーデ卿とランディグランジュ侯爵も何やらコソコソと話をしている様子。何でしょう、今日はそういう日なのでしょうか。

「主君、そろそろ各部統括責任者殿との約束の時間ですよ」
「あっ……ランディグランジュ侯爵とも話してたから、そんなに時間が経ってたのね」
「はい。なのでそろそろ皆さんともお別れの方を」
「いつも時間を気にしてくれてありがとう、ルティ」
「当然の事をしたまでです」

 懐中時計を手に恭しく腰を曲げるルティを見て、羨ましく思う。
 元は私の役目でしたのに、と。
 ああ……やっぱり今すぐにでも侍女に戻りましょうか。
 侯爵の仕事なんかよりも、侍女業の方が私の性に合っている。あれこそが私の天職なのだと、使用人や侍女の仕事を見る度に思ってしまう。

「それじゃあね、マリエル。今度はゆっくりお茶でもしましょうよ。久しぶりに貴女の入れた紅茶が飲みたいわ」
「喜んで。今一度、姫様の為に紅茶を入れさせていただきますわ」

 私の喜ばせ方をよく知る姫様は、別れ際に私の手を取りふにゃりと笑ってそんな事を言ってきた。それを受けて心の底からせり上がってくる喜びに、またもや頬が緩むのが分かる。
 そんな私達を見て、ルティが不満げな表情で黙り込んでしまった。私がいなくなってからは、彼が姫様の紅茶を入れていたようですし……嫉妬でしょうか。
 ふっ、まだまだ青いですね。そのような若さで、八年姫様をお支えしたこの私に勝てるとお思いで?
 そんな事を胸中で考えていると何やらそれが顔に出てしまっていたらしく、ルティは悔しげに口の端を歪めていた。

 姫様やランディグランジュ侯爵と別れ、私も仕事に向かう。
 後ろでは肩を落とすイアンをサルナが慰めていた。この二人、こんなに仲良かったんですね。
 まあ、そんな事はどうでもいいです。
 ひとまず目の前の仕事を片付けましょう。そうやってさっさとララルス家を再建し、妹に信頼のおける婿を用意して、爵位を譲る。

 そして──……私はもう一度姫様の侍女になり、姫様のお傍でこの命を散らすのです。