もうっ、お仕事なんて嫌い!

 今日程そう思った事は無い。何故ならアミレスちゃんとのせっかくのお出かけが! 潰されたから!!
 こんな重大な予定がある日に限って仕事を押し付けてくるなんて……本当に許せない。あの貴族達め。
 滅びの歌でも歌ってあげましょうかと何度思った事か。
 それでも仕事は仕事。こんな急に押し付けられた仕事なだけに、今日中に片付ける必要があって。
 本当に仕方無く、誠に遺憾ながら、私とお兄様は暗い面持ちで百回近くため息を吐きながら一日中仕事に向き合っていた。

 今頃アミレスちゃんはメイシアさんにまとわりつかれながら歩いてるんだろうなぁ……うぅ、どうして私はこんな所でこんな事を……っ!
 机の上で書類とにらめっこしつつ、私はしくしくと涙を流しておりました。
 それはお兄様とて同じで、懐の拡声魔導具に頻繁に手をかけては、『誰にこの仕事を押し付けるのがベストか……』『呪詛吐いたろか』『今頃あのいけ好かない王子と……っ』と黒い顔でブツブツと呟いていた。
 拡声魔導具まで使って、何をなさるつもりで? でもいいですわねお兄様、私も協力しますわ!
 いつ呪いの歌が必要になるかも分からないので、私は定期的に喉を潤し、準備万端の状態を維持した。だが残念な事にその時は来ず、結局日が暮れるまで仕事をしていた。

 なんとか今日中に仕事が終わり、お兄様と二人でとぼとぼと帰路につく。
 一緒にお出かけが出来なかったからその事を改めて謝ろう──と、いう大義名分で東宮を訪ねたところ、侍女の方に案内されて客室に通された。
 ここが、アミレスちゃんがずっと暮らしている宮殿……! とお兄様と二人で目を輝かせてキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。
 客室に入ると、そこには既にアミレスちゃん……と、珍しく私服のイリオーデさんとルティさんがいた。

「二人共いらっしゃい! 遊びに来てくれて嬉しいわ!」
「お邪魔してます、王女殿下」
「お邪魔します」

 いつもより機嫌がいいアミレスちゃんに少し戸惑いつつ、お兄様と並んで挨拶する。

「それで、どうしたのこんな時間に? 私としてはいつ来てくれても構わないのだけど……」
「いけません王女殿下。ここは貴女様の居城です、軽率に他者を入れてはなりません」
「あまり時間が遅すぎるのは流石に非常識かと思いますので、いつでもと言うのは」
「──この通り、ちょっと厳しい人達がいるもので。何か急を要する案件なのよね?」

 従者お二人からの視線をチクチクと感じながら、お兄様はおずおずと要件を伝えた。

「あのぅ……その。今日、王女殿下との約束を破ってしまったので、その旨の謝罪をと思い……」

 そんなくだらない要件で? と、従者お二人の視線が物語る。何故か同席しているシュヴァルツ様も、呆れたような面持ちで紅茶を飲んでいた。
 だからか、萎縮してしまったお兄様の体がどんどん小さくなっていっているように見える。

「謝罪なんてしなくていいわよ。確かに、一緒にお出かけ出来なかったのはちょっと寂しいけど、仕事なら仕方無いし」

 や、優しい〜〜〜〜〜っ!!
 私とお兄様は、アミレスちゃんのあまりの眩しさに全く同じ表情をしていた。

「あっそうだ! 二人さえ良ければなんだけど──……」

 この後、アミレスちゃんが言い放った言葉にその場にいた誰もが驚き、目を丸くした。
 イリオーデさん達の開いた口が塞がらないうちにと、私達はアミレスちゃんの提案を食い気味に受け入れ、諸々の準備を終えた後。

「わ〜〜! 凄い似合ってるわよ、ローズ!」
「本当? な、なんだか畏れ多いなぁ」

 なんと私はアミレスちゃんの衣装室にいた。
 アミレスちゃんは驚くべき事に、『せっかく二人が遊びに来てくれたんだから、いっその事今日は泊まっていかない? 寝間着(パジャマ)パーティーしましょうよ!』と突然提案したのだ。
 それにあたって、急遽皇宮にお泊まりする事になった私には着替えがなく、アミレスちゃんから寝間着(パジャマ)をお借りする流れになった。
 夕食を食べ、アミレスちゃんの服をいくつも着させて貰った。どれも新品のようで、汚したりしないかとドキドキとしながら袖を通したぐらいだ。

「ローズって全体的に私と同じような色味だから、私の持ってる服がだいたい似合って良かったわ」
「髪も目もアミレスちゃんと近い色で、私もすっごく嬉しいよ。えへへ」
「ふふ、実質お揃いね。しかしその寝間着(パジャマ)……本当に似合ってるわ。このままあげようか?」
「えっ、アミレスちゃんの服を貰うなんてそんな!」

 でも貰えるなら本当に欲しいです。あわよくば、アミレスちゃんが既に着た事のある服でお願いします……!

「いいのよ、これぐらい。それに……ほら、私って兄しかいないでしょう? その所為か姉妹ってものにちょっと憧れてて。だからこんなふうに相手の服を選んであげられるのが楽しいの。ああでも、ローズが姉妹だったら私は妹になるのかな」
「アミレスちゃんが……妹……」

 ここで私の妄想癖が助走をつけて頭を殴ってきた。
 アミレスちゃんに『お姉様』ないし『お姉ちゃん』と呼ばれる自分の姿を想像し、それはそれで全然いい。寧ろあり! と興奮気味になり、頬が溶けた氷のようにでろーんと緩んでしまった。

「さて。それじゃあ私も着替えようかしら」

 にやにやと妄想する私を置いて、アミレスちゃんはそそくさと着替えた。彼女が着替え終わった頃合に私もようやく現実に戻り、そしてアミレスちゃんの格好を見ては驚愕する。

 ……──何、そのちょっぴりえっちで可愛い格好は!? と。


♢♢


 仕事を押し付けられて荒んだ俺の心は、一瞬にして癒された。

「レオ、お待たせ〜」
「あああ、アミレスちゃん、本当にその格好のまま行くの? やっぱり駄目だってぇえ!!」

 ルティさんにぶかぶかの寝間着(パジャマ)を借りて、談話室で怖い大人達──イリオーデさんとルティさんとシュヴァルツ様に囲まれる事しばらく。
 慌てるローズを連れて現れた王女殿下の格好に、談話室にいた男達は全員言葉を失っていた。いや、何故かルティさんだけは耳を赤くして困ったような表情でため息をついていたけど。
 王女殿下は大きなシャツ一枚の下に黒いタイツ……ニーソックス? を履いて、厚めのストールを羽織っただけの格好で現れたのだ。

「〜〜ッ主君!! その格好はおやめくださいとあの時言いましたよね!? 何故、何故よりにもよってそのような格好でこんな空間に……!」
「でも、基本的にいつもこれで寝てるんだもの。寝間着(パジャマ)パーティーなんだからいつも着てる服で来るべきでしょう?」
「ですから我々が買ってきた寝間着を着て眠ってくださいと! 何度も進言しましたよね!?」

 ルティさんの努力も虚しく、王女殿下は何で? とばかりに首を傾げていた。そんな彼女の様子を眺めつつ、シュヴァルツ様がボソリと零したそれに俺は度肝を抜かれる。

「……──やべェな、ちょっと興奮してきた」

 とても顔の整った悪魔が、真剣な顔でそんな事を言うものだから。
 俺は慌てて立ち上がり、放心するイリオーデさんの横を通り抜けて王女殿下に声をかけた。

「王女殿下っ! ぱっ、寝間着(パジャマ)パーティーしましょう! 俺、凄い楽しみにしてたんです!!」

 俺の必死さが伝わったのか、王女殿下はひょいっと顔をこちらに見せて爽やかに笑った。

「そうね、早速始めましょうか。そういう事だから、今日の業務は終了! イリオーデもルティもシュヴァルツも下がっていいよ。というかシュヴァルツは何でここにいるの?」
「そりゃァお前が、このオレサマを差し置いて他の男と夜を共にしようとしてやがったからな。邪魔しに来た」
「うわ傍迷惑ー……貴方、服も含めて大きくて場所取るし早く帰ってよ」
「ククッ……オレサマを邪険に扱った挙句、邪魔者扱いするとは上等だ。そんなに男と夜を共にしたいならオレサマが一晩中愛してやってもいいんだぜ?」
「のーせんきゅー」
「聞いた事ねェ単語だけど、拒否られてる事だけは分かるわ」

 そして爽やかな顔で、王女殿下はシュヴァルツ様の背を押して部屋から追い出した。イリオーデさんとルティさんも不本意だと言いたげな表情で、王女殿下に命令されて渋々部屋から出る。
 これで、談話室には俺達兄妹と王女殿下だけとなった。

「ふぅ。それじゃあ、眠くなるまで寝間着(パジャマ)パーティーといきましょうか!」

 暖炉の音を聞きながら、俺達は温かい飲み物を手に色んな話をした。
 帝国のこれからについて話したり、好きな本について話したり。一緒に祭りに行けなくて沈んでいた俺達の気分は、このたった数時間でいとも容易く浮上した。
 楽しくて楽しくて仕方無かった。
 少し下を見るだけで王女殿下のおみ足が視界に入ってしまうので、決して王女殿下のお顔から目を離さないようにしていたけれど。
 これは、ローズも同じようだった。
 そうして数時間も暖かい部屋で話していると、いつしか眠気に襲われて。ローズが椅子に座ったまま眠ってしまったのだが、王女殿下は優しく毛布を掛けてあげていた。
 その後、俺達も眠くなるまでは話しておきましょう! となんとか王女殿下を説得して、そのまま彼女と二人で話す事三十分。
 少し眠たくなってきたな……と目を擦っていたら、王女殿下が目ざとくそれに気づき、

「あら、眠たいの? うーんそうね……ローズも寝てるし……レオ、ちょっとこっちに来なさいな」
「え? 分かり、ました」

 何やら手招きしてきた。
 緊張から鼓動を大きくして、恐る恐る彼女の隣に座る。ぴんと伸びた背筋で、一体これから何が起こるんだと期待に胸を踊らせていると、王女殿下の手が俺の頭に伸びてきて……。

「──ッ!?」
「肩じゃあ身長差があって辛いだろうから、私の足を枕にしていいわよ」

 俺の頭は、王女殿下の太腿の上に置かれた。
 柔らかく温かい彼女の膝枕と、視界の端のニーソックス。そして俺の頭を優しく撫でる王女殿下の手が、たまに耳に当たって変な気分になってしまう。
 ねぇまってよ、何で俺は今好きな女の子に膝枕されてるの、おかしいって。いやめちゃくちゃ嬉しい状況なんだけどもはや混乱が勝る。
 緊張と興奮とで眠気など吹き飛んで完全に覚醒し、王女殿下が「あれ、寝ないの?」と言うまではこの状況を享受し続けた。

 俺はきっとこの時間を忘れない。しばしの間頬に感じられたあの感触を、忘れる訳にはいかない。
 俺はテンディジェルの人間として見たものを可能な限り全て覚えている。この先も、この事だけはしっかり記憶しておこう。うん。
 別に下心なんてないからね。本当にないよ?