謎の穴が空中に開き、そこから魔物が雪崩込んでくるようになってから二日経った。
 この二日は、はっきり言って地獄のような時間だった。
 倒しても倒しても強い魔物が次々と現れるというのに、兵士達を全員安全な結界内にまで下がらせたから戦力も激減。その穴を埋めるべく、戦える私達が夜も休まず戦い続けていた。
 その所為か……下位万能薬(ジェネリック・ポーション)の空き瓶が戦場にゴロゴロと転がるようになった。

 私も、メイシアも、マクベスタも、フリードルも、イリオーデも、アルベルトも、何故か外にいる諜報部の皆さんも……皆がかなり疲弊している。
 数分に一度下位万能薬(ジェネリック・ポーション)を飲まなきゃやってられないぐらい魔法を乱用し、魔物の群れが帝都に向かわぬよう何とか前線を維持させていた。
 空を飛べる敵はメイシアとマクベスタに任せ、地を這う敵は私達近接担当がなんとかする。
 やはり人数差の事もあって前線が徐々に押し戻されてしまい、臨時拠点付近にまで前線は下がってしまった。
 その所為か稀に臨時拠点に牙を剥こうとする魔物がいるものの、あちらはナトラが結界の外で防衛に当たってくれている為、安心していい。

 魔界による災害の為か直接的な介入が出来ないと、悔しそうにシルフは言っていたが……それでもたまにちょっとした治癒魔法を使ってくれて、それが本当に助かっている。
 シュヴァルツだって何度か障壁を張って私の危機を救ってくれた。
 そんな皆の協力があって、私達は今もなおこうして戦えている。
 かなり辛いけど、まだ耐えられる。
 このままなんとか前線を維持して、どうにかしてあの穴を塞ぐ事が出来ればきっと────。

《目標、確認。攻撃を開始します》

 とても綺麗で、体の芯から冷えきってしまうような、無機質な声が降って来た。

「何で、こんな時に限って干渉して来るんだよ……天使共が!!」

 シルフの叫びが耳に届くと同時に、私達は上空を見上げてその姿に目を奪われていた。
 一対の翼を羽ばたかせる純白の神使──……天使と呼ぶべき存在がそこにはいた。

「かみ、さま……」

 何十体もの天使をこの目で捉えた途端、体から力という力が抜けた。その場で膝から崩れ落ち、早鐘を打つ心臓を落ち着かせる事も出来ぬまま、ただ呆然と純白の翼を見つめていた。

「っアミレス!?」
「どうしたんだアミレス・ヘル・フォーロイト!」

 どうやら、力が抜けたのは私だけだったらしい。
 マクベスタとフリードルが、血相を変えて駆け寄って来た。だけど私は指一本動かせず、今にも眩い光線を放たんとする天使から、目を逸らす事を許されないままだった。

 サカラエナイ。サカライタクナイ。
 アラガエナイ。アラガイタクナイ。
 ダッテ、カミサマハワタシニトッテ。
 ナニヨリモ、ダイジナソンザイダカラ。

「アミィっ、逃げろ! 天使共は、人間諸共魔物を消すつもりだッ!!」

 シルフの叫び声が聞こえる。だけど、私は何も出来ない。

「アミレス、早く逃げ────っ!?」
「お前は……どうして、泣いているんだ?」

 マクベスタとフリードルの瞳に、焦燥や困惑が色濃く滲む。
 どうやら私は泣いているらしい。
 だけど、その理由は分からない。まだ分かりたくもない。

「にげ、て。わたし……いい、から……」

 天使が絶望の音色を奏でようとする。
 上空に浮かぶ天使達が、一斉に矢をつがえたのだ。今にも私達に向け放たれそうな、輝く無数の矢。早く逃げて欲しくて、頑張って口を動かし拙くも訴えかける。
 だけど、

「お前を置いて逃げる訳がないだろ! もう逃げる事が叶わないのなら、何がなんでもお前だけは守ってみせる!!」
「……っ、お前ごときの命令を、何故僕が聞く必要があるんだ」

 二人はどうしてか、逃げてくれない。

《──天使よ、全てを駆逐せよ》
「クソッ、あの若造共め!! 何度我を怒らせれば気が済むんだッ!!」

 天使の矢が放たれたと同時に、ナトラの怒りが爆発して大地が震動した。
 魔物の死骸を押し上げて地面が隆起し、地面を突き破って緑が芽生えた。それらは太く大きな木へと急成長して私達を覆うように幾重にも折り重なる。
 だが天使達の一斉掃射は折り重なった木々を焼き、貫き、私達の元へと届かんとする。
 もう無理だ──と目を閉じようとした時。
 完全に目が閉じられる直前に、誰かの影が視界の端に映った。

之なる犠牲は(ヘイト・オブ・)誰が為のもの(コントロール)!」

 そう、少年の声が響く。
 肌を焼くような熱と、吹き飛ばされる程の衝撃波。そして、目が潰れてしまいそうな光によって私は暫く状況が掴めなかった。

「何が、起きたの……?」

 掠れているものの、少しずつ視界も元通りになってきているし、何より体が言う事を聞く。
 まだ上手く力の入らない体を全身を使って起こすと、私のすぐ傍にはマクベスタとフリードルがいた。二人はまるで、私を庇うようにして気を失っている。
 先程何かの衝撃波に吹き飛ばされたのに、私は怪我という怪我をしていない。それはきっと、この二人が庇ってくれたからなのだろう。

「っ、みんな……!」

 白夜を杖代わりにしてよろめきながら歩いていく。
 ボロボロと崩れ落ちてゆく巨大な木のドームの中では、メイシアやイリオーデや諜報部の人達も倒れていて。
 でも全員胸が上下している事から、無事である事は分かった。その事に安堵しつつ、私はある一点を見て顔から血の気が引いた。
 木のドームの中心に近い場所でボロボロになって倒れている人に気づき、慌てて駆け寄る。

「シュヴァルツ……!!」

 その途中で足が絡まり顔から倒れそうになった。しかし、影の中から現れたアルベルトが受け止めてくれて事なきを得た。

「主君、ご無事ですか!? 申し訳ございません、俺が……自分以外の人間も影の中に連れて行ければ……っ!」
「アルベルト……いいの、いいのよ。とにかく今は、シュヴァルツの所に!」
「シュヴァルツ君の所──畏まりました、俺がお連れ致します」

 泣きそうな瞳に喝を入れ、アルベルトはそのまま私を抱えて小走りでシュヴァルツの元に向かった。
 私の予測が正しければ……私達がこうして無事なのは、きっとシュヴァルツのお陰だ。衝撃波に吹き飛ばされる直前に見えた影も、聞こえた声も、どちらもシュヴァルツのものだった。

「シュヴァルツ、ねぇシュヴァルツ! 返事してよ!!」

 アルベルトに頼んで降ろしてもらい、うつ伏せで倒れているシュヴァルツの体を揺さぶる。
 よかった、まだ呼吸はある。とりあえず少しでも呼吸しやすいように仰向けにしないと!
 アルベルトに「シュヴァルツの体を仰向けにしたいの、手伝って!」と言い、シュヴァルツを仰向けにしてその酷い傷跡に言葉を失う。
 顔どころか彼の体が半分近く焼け爛れ、見るも無惨な姿になっていた。
 私達を守ってこんなにも大怪我をして、私よりも小さな体でなんとか息をしている姿があまりにも痛々しくて。怪我をしたのはシュヴァルツなのに、私まで体中が痛く感じてしまう。