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「父上、お呼びでしょうか」

 皇帝陛下の執務室の扉を叩いたのは、皇帝直々に呼び出されたフリードルであった。
 その部屋では珍しくエリドルが一人だけで待っていた。
 いつもなら隣に見える側近の姿が、今は無い。その事に違和感を覚えながらも、フリードルはエリドルの執務机の前に立つ。
 そして、フリードルが部屋に入ってくるやいなや、エリドルは話を切り出した。

「今日お前を呼び出した理由は言うまでもなく、来たる魔物の行進(イースター)に関してだ。お前も、これの発生を予見していたのだろう。だからこそお前に大役を与えんと、こうして呼び出したという訳だ」

 淡々と、絶対零度の声が言葉を紡ぐ。その一言一言が、フリードルには呪いのようにも感じられた。

(本当に、かの災害が発生してしまうとは。起きたとしてももう少し先の話と思っていたんだが……)
「──は、何なりとお申し付け下さい。父上」

 個人的な興味で調べていた事柄が、現実となった。その事に不安を抑えきれないものの、生憎と弱音を吐く暇など彼には無い。
 国の為、民の為。皇太子たる彼は、その身を粉にしてただ前へと進む事しか出来ないのだ。

「此度の戦いにおける騎士団及び兵団の指揮──我が帝国の統帥権を、お前に委任する。次期皇帝として最善を尽くし、我が国の為となる采配をせよ」
「───ッ!」

 フリードルは、思わず息を呑んだ。

(まさ、か……たかだか十六歳の僕に、統帥権を委任するだなんて。だが、これが父上から僕に寄せられた最大級の期待なのだとしたら。僕がすべきは、ただ一つ)

 幼い頃を忘れ、物心着いた頃より次期皇帝として冷酷な環境で生きて来た彼にとって、エリドルから寄せられた期待というものは、事実上初めてとも言える父親からの愛だった。
 それになんとか応えようと、フリードルは決意を固くする。

「そのご期待に応えられるよう、フリードル・ヘル・フォーロイトの名にかけて──……必ずや、この国を守り抜いてみせます!」

 胸に手を当て、フリードルは宣誓した。
 その後も少しばかり魔物の行進(イースター)に関する話を続け、話が一区切りついた頃。
 フリードルは、躊躇いがちにエリドルへと質問を投げかけた。

「差し支えなければお伺いしたいのですが……ケイリオル卿はどちらに行けばお会い出来るのでしょうか。少し、彼に相談事がありまして……」
「ケイリオルは数日程前から反逆者への粛清の為、エンデメンス領並びにその共犯のバルサンコ領へと向かっている。相談事とやらは彼奴が帰って来てからにすれば良い」
「そうですか。では、そのようにします」

 ここで部屋を後にしようかと考えたフリードルであったが、ふと、思い止まる。

「重ねてお伺いしたいのですが」
「何だ」
「……父上は、この魔物の行進(イースター)の間──どうなさるのですか?」

 しんと静まり返る室内。
 予想外の質問に、死角を突かれたかのように固まって、エリドルは小さく呼吸だけを繰り返していた。
 三十秒程、彼は少しだけ目を丸くしてフリードルの瞳を見つめていた。
 あるいは、幼い頃の自分とよく似た顔の、息子と呼ぶべき少年を見つめているのやもしれない。

「私は魔物の迎撃に出る。ディジェル領は先日の騒ぎで人出が足りてないだろうからな」
「父上自ら戦場に……!? ──っだから、僕に統帥権をお与えになったのですか」
「その通りだ。国の事は任せたぞ、フリードル」
「はい。お任せを」

 そして、フリードルが早速魔物の行進(イースター)対策班の設置等に向かった後。
 エリドルは幾度となく人を斬った愛剣を手に立ち上がった。椅子に掛けていたマントをはためかせて、彼もまた部屋を後にする。
 帝都北部の外れにある、宮廷魔導師達の集まる魔塔と呼ばれるもの。
 厩舎で愛馬に跨り、エリドルは一人でそこへ向かう。
 その道中。無情の皇帝は、静かに瞳を細めていた。

(……──今度こそ、私もお前の元に逝けるといいのだが)

 その皇帝は死にたがっていた。
 どうにかして、誰かの手で殺されたかった。
 自死も、最善を尽くさない事も許されない彼にとって、戦争は自分を殺せる者と出会う為の手段に過ぎない。
 此度の魔物の行進(イースター)とて、エリドルにとっては死ぬ為の手段の一つでしかなかった。
 もはや王位になどなんの興味も執着も無い彼は、早くから皇帝の業務をフリードルに経験させ、統帥権を与えて国民からも認められるよう仕向けた。
 念願叶って自分が死ぬ事が出来たのならば──その後の事を、全てフリードルに任せる為に。

 瞬間転移を扱える魔導師に命じ、その身と剣一つでフォーロイト帝国における魔物の行進(イースター)の最前線とも言えるディジェル領へと転移した。
 そして、無情の皇帝は十数年ぶりに戦場の怪物に変貌する。
 戦場の怪物として最善を尽くしてもなお、己を殺してくれるような──……そんな強大な存在が現れる事を信じて。


 今、狂乱の宴が幕を開ける。
 人ならざる異形の魔物達に許された数百年に一度の収穫祭────魔物の行進(イースター)が、久方振りに人間界へと猛威を振るう。