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「おい、無能国王はいるか?」

 ハミルディーヒ王国の王都にある城。その一室に、扉を蹴破り一人の男が入室した。
 毛先の色素を失った黒い髪に、紅く鋭い瞳。珍しく貴族らしい服装に身を包んだ辺境伯、アンヘル・デリアルドのあまりにも乱暴な登場に、兵士達が困惑の中で剣を構えた時。
 バサバサバサァッ、と紙の束が床に落ちる音が。

「──アンヘル!?」

 実兄であり王太子であり若くして時期国王となったキールステン・ディ・ハミルの手伝いをしていて、偶然その場に居合わせたカイルが目玉が飛び出そうな程驚愕する。

「ん、何だおまえ。誰だよ」
「アッ……えっと、俺はカイル・ディ・ハミルって言いますぅ〜〜」
「何こいつ、ヘラヘラしてて気色悪いな」

 攻略対象とのまともな初対面という事で、カイルはペコペコと低姿勢で名乗った。しかしアンヘルの反応はいまいち。
 膝を突いて天を仰ぎ、「自己紹介ミスったぁあああああああああああああ」とカイルは頭を抱えて叫んでいた。
 うるせぇなこいつ。と軽く引きながらも、アンヘルは叫ぶカイルを尻目に執務机に座る男──キールステンの前へと歩を進めた。

「無能国王はいないのか?」

 そして、同じような言葉をもう一度口にする。
 爵位としては伯爵位であるものの……ハミルディーヒ王国とフォーロイト帝国の国境付近の広大な領地を治める辺境伯にして、ハミルディーヒ王国の発展に貢献して来た吸血鬼伯。
 王家より、かの家の魔導兵器(アーティファクト)なくしてこの栄光は無いとまで言われる程の血筋。
 故に、デリアルド家の人間は王族に対しても多少の無礼は黙認される。あくまでも多少だが。

 アンヘルのそれは割と度を超えているのだが、何せ五百年程前にデリアルド伯爵家の吸血鬼の大半が突然死を果たし、今やその一族の持つ技術の秘奥と知識を継ぐ者はアンヘルただ一人となってしまった。
 下手にアンヘルに死なれては、ハミルディーヒ王国としても多大なる損害を被る事となる。なので、アンヘルがどれだけ社交活動をサボり怠け国王による召喚さえも無視しようとも、彼は注意を食らうだけで罰せられる事はなかった。
 それは今も変わらず。
 アンヘルが子を成すつもりが全く無いと宣言した以上、王家はアンヘルの態度を許さなければならない。アンヘルの機嫌を損ねては、魔導具も魔導兵器(アーティファクト)も作って貰えなくなってしまうから。

「……父は、少し前から蟄居している。なので父に代わり、継承順位一位の僕がこうして父の仕事をしているんだ」
「ああー……前にそんな感じの事を執事が言ってたような気がするな。まあ国王じゃなくても、今現在王権を持ってる奴なら誰でもいいんだがな」

 面倒臭い。と顔に書いてある。
 そんなアンヘルの顔を見上げ、キールステンはおずおずと口を開く。キールステンも兵士達もカイルの奇行には慣れているので、特にそれに触れる事無く話を進めたのだ。

「デリアルド伯爵、今日は何の用なんだ? 滅多に領地から出て来ない貴方が、呼び出してもないのにわざわざ城に来るなんて……ただ事ではないのだろう」

 キールステンの葡萄鼠の瞳がアンヘルの紅い瞳を捉えた。
 守るべき国と、民と、家族がある。
 その思いから既に王としての風格というものを備えつつあるキールステンに、アンヘルは少しばかり感心した。

「単刀直入に言う。魔物の行進(イースター)と思しき異常事態が発生した。どうやら、白の山脈から魔物が溢れ出しつつあるらしくてな。さっさと対策しないと南部領は全滅しちまうから、こうしてわざわざ言いに来てやったんだ。感謝の証としてスイーツを寄越してくれてもいいんだぞ」

 あまりにもアンヘルがあっさりと話すものだから、その場に居合わせた者達は……初めは理解が追いつかなかった。

「なっ……なんで魔物の行進(イースター)が今起きるんだよ!?」

 だがしかし。誰よりも早く、カイルが反応する。
 ふざけるのをやめて、カイルは真剣な面持ちを作っていた。その顔には冷や汗がいくつも滲んでいて。

「そんな事俺が知るか。とにかく魔物の行進(イースター)の対策ぐらいちゃんとしておけよ、次期国王とやら」

 役目を果たしたとばかりに、アンヘルは踵を返して退室した。どこまでも自由な男である。
 当然、残されたカイルとキールステンは頭を抱えた。特にカイルに至っては、本来よりもずっと早く発生したそれに平常心を失っているようだった。

(俺達が色々と展開を変えて来たからか……?! だからこうして魔物の行進(イースター)が早まったのか? もしこれに合わせてゲームの開始まで早まったら…………本編の時期がズレて、ワンチャンあるかもって思ってたマクベスタルートの海辺デートイベが起きねぇかもしれねぇじゃん!! アミレスとデートしてるとこを出歯亀するのめっちゃ楽しみにしてたのに!)

 アミレスは真剣に思い悩んでいたというのに、この毎日推し活オタクはまったくの平常運転だった。

「……──ル。カイル、どうすればいいと思う? 僕一人じゃあいい案が思いつかなくて。おまえの意見も聞かせて欲しいんだけど」
「っえ? ああ、うん。分かった一緒に考えるよ……」

 どこか物憂げなカイルを見て、キールステンは眉尻を下げる。

(カイルは大人しくて平和主義な子だ。魔物の行進(イースター)なんてものが起きていると知って、怖がっているんだろう……カイルがもう一人で我慢して傷ついたりする事がないよう、僕が兄としてカイルを守らないと)

 盛大な勘違いである。
 無能な振りをし、猫を被っていたカイルをキールステンがそのように認識していても決しておかしくはないのだが……だとしても美化フィルターが何枚もかかっているような。
 王太子として幼い頃から周りの期待に応え続けなければならなかった彼にとって、どんな姿を見せても笑って受け入れてくれる気の良い弟とは、それ程に可愛い存在なのだろう。
 若き秀才と呼ばれる王太子と無能と呼ばれる隠れた天才王子による様々な対策が、後に魔物達の猛威から国を守る事となるのであった。