だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜

「メイシア! この度は招待してくれてありがとう」
「いえ……こちらこそ、お忙しい中招待に応じ、ここまで足を運んでくださりありがとうございます。アミレス様」

 このパーティーの主催たるシャンパージュ伯爵家の人間が笑顔で応対した事により、周囲は唖然としていた。
 相手が皇族である事を考えれば何ら不思議ではないのだが、何せメイシアはシャンパージュの魔女、業火の魔女、薔薇姫と呼ばれる程の棘のある少女として有名だった。
 滅多に表情は変わらず、その容姿も相まって本当は人形なのではと噂される程。

 そんな彼女が満面の笑みでアミレスに駆け寄り、挨拶をしている姿は……大好きな飼い主が帰宅した際の子犬のよう。
 ここで、業火の魔女の噂を知る者達は愚かにもようやく気がついた。彼女が執心するたった一人の人物──それが、アミレス・ヘル・フォーロイトなのだと。
 二人の様子を見ればそれしか答えが出て来ない。なので、これまでに一度でも野蛮王女と口にした覚えのある者達は、ここでハッと顔を青ざめさせていた……。

(この少女が、メイシア・シャンパージュ嬢……噂通りの容姿だ。でも、そんな事より──)
(本当にお人形のような可愛らしさだわ。この方が薔薇姫…………ん? もしかして、もしかしなくても。この感じはこの子も──)

 レオナードとローズニカの心が重なる。どこか不安げな面持ちで二人はメイシアをじっと見つめ、

(彼女、王女殿下の事が好きなのでは!?)
(アミレスちゃんに恋してるよね?!)

 あっという間にその懸想を見抜いてしまった。
 アミレスと話すメイシアの赤い瞳には、もはやアミレス以外の人物など映っておらず。同じように誰かに恋をする者が一目見れば、メイシアがアミレスに恋焦がれている事など瞬時に察する。
 それぐらい、彼女は恋心を隠そうともしていなかった。

(……うん、メイシア嬢ばかりアミレスと話していてずるいな。ここは一つ、この兄妹をけしかけてみるか)

 なんともずる賢い事だ。マクベスタはちらりとテンディジェル兄妹を一瞥し、修羅場を引き起こそうと画策した。

「アミレス、そろそろ彼等の事も紹介したらどうだ?」
「ああ! 後回しにしてしまってごめんなさい二人共……!」

 さらりとアミレスの肩に手を置いて、ボディータッチを試みる。それに気づいたメイシアが、今にも燃やしてきそうな鋭い目でマクベスタを睨むも、マクベスタは素知らぬ顔で無視した。

「メイシア、紹介するわね。こちら私の友達のレオナードとローズニカよ。で、こちらも私の友達のメイシア。皆仲良くしてくれたら嬉しいな」

 まるで子供のようだった。幼子が自分の友達同士にも友達になって欲しいと思うあの心理で、アミレスはにこやかに他己紹介を行ったのだ。

(レオナードとローズニカという名前。そしてあの曇天のような髪色……例のテンディジェル大公家の兄妹ね。シャンパー商会としては、大きな取引をしているディジェル領とは良好な関係を維持するべきなんだけど──……)

 マクベスタを睨みつけるのを一度やめて、メイシアはレオナード達へと視線を移す。

(何だか凄く、嫌な予感がするわ。商人の勘がそう言ってる。この人達とは意見が衝突してしまいそうだって)

 メイシアの僅かに色の異なる瞳から光が失われる。目付きもそうだが纏う雰囲気がガラリと変わった為、レオナード達は少しばかり目を丸くした。
「はじめまして、メイシア・シャンパージュです。テンディジェル大公家の方々とお会い出来て嬉しいですわ」

 笑顔が怖い! そう、レオナードとローズニカは小さく喉笛を鳴らした。
 メイシアはその可愛らしい顔に営業スマイルを貼り付けていた。勿論、目は全く笑っていない。
 彼女の中に突如舞い降りた嫌な予感というものが、彼女を厳戒態勢へと引き上げたのである。
 つまり──最初から臨戦態勢という事だ。

「こ、こちらこそ。シャンパー商会には以前よりたいへんお世話になっております。俺はレオナード・サー・テンディジェルです……王女殿下直々に『帝都に来て』とお誘いいただき、帝都にやって参りました」

 だがレオナードも負けてはいない。
 以前の卑屈なレオナードならこのように反論出来なかっただろう。
 しかし、今の彼は違う。アミレスの影響で自分に自信が持てるようになったレオナードは、何となく喧嘩を売られている事を理解してその喧嘩を買うような真似が出来るようになっていたのだ。

「……アミレス様直々に、ですか。それはもう、とても優秀な方々なのでしょうね」
「シャンパージュ嬢にそう仰っていただけるとは、社交辞令でも嬉しいですね。俺はともかく、妹のローズの歌を王女殿下がお気に召して下さったとかで……どちらかと言えば、友達としてお招きして下さったものとばかり考えてます」
「友達として…………」

 メイシアがボソリと呟くと、その瞬間会場の室温が五度ぐらい上がったような錯覚を覚えた。
 しかし気の所為かと思い直すぐらい、それは本当に瞬く間の出来事だった。
 わざとらしくアミレスとの関係性をほのめかして来たレオナードに、メイシアは確かに苛立ちを憶えた。しかし、それは刹那のうちに鎮火されたのだ。

(友達だから何? わたしはアミレス様直々にお嫁さんにしたいって言われたんだもの、たかがお友達程度の立場で満足するような人達、わたしの敵ではないわ)

 メイシアはとても強かった。メイシアから喧嘩を売って、レオナードにそれを買われての舌戦だったが……この通り、メイシアが戦線から退く事でこの戦いは終着した。
 業火の魔女、メイシアは考える。
 そもそも土俵が違うのだから、わたしがこうして目くじら立てて相手をしてさしあげる必要もないのでは? ──と。
 薔薇姫、メイシアは考える。
 この方達へは軽い牽制程度で済ませるべきよ。だって、ディジェル領は大きな取引先だもの。──と。
 そして、メイシア・シャンパージュは考える。
 ぽっと出のこのお二人より、マクベスタ様の方がずっと危険な恋敵(ライバル)だわ! さっきだってさり気なくアミレス様に触れて……っ! ──と。
 この少女はとても、自分の恋に素直でひたむきだった。

「アミレス様のお友達なのであれば、わたしも是非、仲良くしていただきたいのですが……よろしいでしょうか?」

 先程までとは打って変わり、メイシアはとても明るく柔らかな口調で話した。それにまた肩を跳ねさせ、二人はおずおずと頷いた。

(アミレス様のお友達と親しくしておけば、きっとアミレス様はお喜びになる。なら、わたしはアミレス様の笑顔の為にこの方々とも仲良くならないと)

 ニコニコと。決して笑みを絶やす事無く、メイシアは思考を巡らせる。その際熱の篭った表情でちらりとアミレスの方を見たのだが──、

「マクベスタ、あのケーキも美味しそうじゃない? 後で食べましょうよ」
「そうだな。向こうのスイーツも美味しそうだぞ、アミレス」
「わぁ、本当ね。流石シャンパージュ伯爵家のパーティー……!」
「イリオーデ、ルティ、もし良かったらケーキをいくつか見繕って来てくれないか? この通り、見てたら色々と食べたくなって来たんだ」
「それもそうね。頼んでもいいかしら、二人共?」

 アミレスの意識は、いつの間にか明後日の方へと向けられていた。
(なっ──! マクベスタ様め〜〜っ!!)

 それは、アミレスがメイシアの紹介を終えたばかりの頃。
 彼女達がバチバチと火花を散らし始めたばかりの時に、マクベスタがサラッとアミレスの意識を立食用テーブルに向けさせたのだ。
 そして二人で遠くのテーブルを眺めつつ、あれ美味しそうだね。と談笑していたのである。
 しかもこの男、何気にイリオーデとアルベルトをアミレスから引き離そうとしていた。なんという強かさか。

「王女殿下のお望みのままに。先程仰っていたものをお持ちすればいいのですね?」
「ええ、皆の分もよろしくね。あっそうだ、自分の分もちゃんと取ってくるのよ? せっかくなら皆で食べたいし」
「主君がそう仰るなら……かしこまりました、すぐ戻って参ります」

 マクベスタの画策通り、護衛の二人がアミレスの傍を離れた。しかし作戦が成功したにも関わらず、

(相変わらずお前は、皆、皆って……まあ、そこがお前らしいんだが。あわよくば二人で、と無駄に策を巡らせたオレが滑稽じゃないか)

 マクベスタは胸中で愚痴を零していた。だがその表情はどこか柔らかい。
 画策が無駄になったというのに、マクベスタは少し嬉しそうだった。躁鬱になってからは暗く澱んでいたその瞳が、熱を宿して細められている。
 見る人が見れば分かるだろう──、この時マクベスタがたたえていた微笑は、彼女に恋焦がれる人間のそれなのだと。
 それを、あのメイシアが見逃す筈もなく。

「マクベスタ様、ちょっとあちらでお話よろしいですか?」

 義手でマクベスタの肩を鷲掴み、青筋の浮かぶ黒い笑顔でメイシアは声をかけた。

「別に構わないが、その手を離してくれないか? 肩の肉が抉れそうなんだが……」
「あら、なんの事でしょうか?」

 メイシアがわざとらしくニコリと微笑むと、

「二人で何か話があるなら、私がここから離れようか? 主催側のメイシアがあまり会場を離れる訳にはいかないでしょうし」

 何も知らないアミレスが、ここで急に気を利かせた。いやはや、察しがいいのか悪いのか……。

「いえっ、大丈夫ですわアミレス様! それに少し会場から離れても、ここにはお父さんとお母さんがいますし。とにかく、こちらのむっつり──……ごほん、狼男をお借りしますね」
「そうなの? まあ、行ってらっしゃい」
「はい、行って参ります。ほら行きますよケダモノさん」

 狼男? と小首を傾げるアミレスに見送られ、メイシアはマクベスタの腕を強く引っ張りずんずんと進んでいく。
 その際も勿論義手で強く腕を掴んでいたのだが、マクベスタはそれを特に気に留める様子もなく、小さく「ケダモノって……」と呆れたように呟いていた。
 そんな二人の背中を見つめながら、アミレスは思う。

(私の知らないうちにあんなに仲良くなっていたとは……嬉しいな……)

 それはまるで保護者のような慈愛に満ちた微笑みだった。
 そこに、怖い恋敵(ライバル)がいなくなった事で自由となったレオナードとローズニカが避難するようにやって来た。

「アミレスちゃんのお友達って、皆凄い人だね……色んな意味で……」

 ローズニカはアミレスの腕にぎゅっと抱き着いて、ボソリと初対面の感想を零した。誰も彼もが初対面から攻撃的で、彼女にとってかなりの衝撃だったらしい。
 一方その頃。テラスへと出たメイシアとマクベスタは、秋風に当たりながら神妙な面持ちを作っていた。
「マクベスタ様、何か弁明はありますか?」
「別に、弁明するような事はしてないんだが」
「どの口が仰いますか! しれっとアミレス様と二人きりになろうなどと画策していたでしょう!?」
「……バレてたのか。確かにそのように策を弄したが、結果はこの通りだ。別に弁明する程の事では」
「アミレス様と二人きりになろうとするその心がまず不純なんです。なので結論から言いますと、マクベスタ様はふしだらなのです。好き嫌い以前に、大事な友達にそんな人が近づく事を良しとする人間は少ないでしょう」

 メイシアが淡々と語るそれを、マクベスタは静かに聞いていた。

「ですので、アミレス様に下心を抱き行動に移した事への弁明をわたしは求めているのです」
「……成程。そういう事なら、弁明させてもらおうか」

 メイシアの言葉に納得したらしく、マクベスタはふぅとため息を吐いて彼女に向き直った。

「メイシア嬢の言う通り、確かに下心はあった。誰だって、想いを寄せる相手と二人きりの時間を過ごしたいと思うだろう。だが、それだけだ。オレは少なくともそれ以上の事なんて望んでいない。ただ二人きりになって、ほんの一時でもオレの事だけを考えて欲しいと……そう思っただけだ」

 淀んだ目を柔らかく細めて、マクベスタは穏やかにされどキッパリと言い切った。
 しかし、ついつい見蕩れてしまいそうな若き王子様の微笑みを真正面で見てもなお、メイシアは不機嫌に頬を膨らませていて。

「そんな事言って、本当はアミレス様で良からぬ妄想とかしてるんじゃないんですか? あわよくば……なんて考えてるんしょう、どうせ」
「メイシア嬢は男達(オレたち)を何だと思ってるんだ?」
「アミレス様に牙を剥くケダモノと思ってますが、何か」
「……何もしていないのにそんな風に扱われるのか。流石に風当たりが強すぎるんじゃないか」
「妥当かと」
「妥当なのか」

 堂々たる出で立ちで腕を組み、不機嫌に眉を顰めるメイシア。そんな彼女を見下ろして、マクベスタは困ったように笑った。

(──良からぬ妄想、か。した事がないと言えば嘘になるな…………仕方無いだろう、オレだって男なんだ。妄想の一つや二つはするとも)

 こんな事、メイシア嬢に話せば確実に大目玉を食らうだろうな。と少し視線を泳がせながら肩を竦める。
 マクベスタとてもう既に十七歳。人生を狂わせるような初恋に溺れてからというものの、それまではなかった色事への興味関心も少しずつ湧いて来たのだ。
 とは言えども──、

(もしアミレスの恋人になれたら……とか、彼女との間に子供が出来たりしたら……とか、アミレスがオレの事を誰よりも何よりも頼ってくれたら……とか。恥ずかしくて絶対に人には言えない事ばかり妄想して来たな)

 このように、とてもささやかで可愛らしい妄想なのだが。

(マクベスタ様の心なんて何も分からない筈なんだけど、今だけは凄い手に取るように分かる気がする。この人絶対、アミレス様の妄想してるわ!)

 この乙女、強すぎる。
 女の勘とでも言うべきか……マクベスタを睨むメイシアの瞳が更に鋭くなったところで、アミレスの命で二人を探しに来たアルベルトがテラスに現れ、メイシアとマクベスタは無言のまま会場に戻った。
 何でも先程目をつけたスイーツの数々は人気の品々だったらしく、早く食べなければ売り切れてしまうやもしれないからとかで。
 アミレスはそんな理由で二人を探して連れ戻そうとしていた。相変わらずとんでもない王女である。
 その後、会場は相変わらずアミレス御一行への注目が凄まじかった。

「──うふふ。いつか聞いてみたいですわ、ローズニカ公女のお歌……アミレス様がお褒めになるぐらいですから、さぞやお美しい歌声なのでしょう。何でもディジェル領の歌姫との呼び声も高いとか。本当に凄いですわ(特別意訳:アミレス様に褒められたからって調子に乗らないでくださる?)」

 メイシアが可愛らしく微笑みながら社交辞令を述べると、

「……ふふふ。ありがとうございます、薔薇姫のシャンパージュ令嬢。ありがたいお言葉ですけれど、私の歌はもうアミレスちゃんのものですの。なので、いつかまたアミレスちゃんにお聞きいただく際にご一緒に聞いてくだされば幸いです(特別意訳:アミレスちゃんのお気に入りだか何だか知らないけど、アミレスちゃん以外に聞かせる歌はないんですよーだ!)」

 ローズニカはお淑やかな笑顔で応酬した。
 業火の魔女──……メイシア・シャンパージュと、鈍色の歌姫──……ローズニカ・サー・テンディジェルが真正面からにこやかに話す様子はとても美しく、どこか御伽噺のような光景だった。
 それに加え、その場にはアミレスを始めとした見目の整った人物ばかりが集う。つまり、かなり目立つのだ。
 その為、ある意味ローズニカの社交界デビューは大成功だった。
 アミレスと親しく、メイシアと談笑出来るような豪胆な美少女なのだと……その顔と名前は次期大公のレオナードの噂と共に、瞬く間に社交界中に広まっていくのであった。
♢♢♢♢


 アミレスの思惑通りの社交界デビューを果たしたローズニカは、慣れない社交界ではあったものの、テンディジェル家の人間らしく上手く立ち回っていた。
 その為、ダンスのお誘いも多く来た。しかしその尽くをレオナードがやんわりと断り、初ダンスは兄妹で踊る事にしたらしい。
 ダンスが始まるとメイシアは主催側という事で運営に戻り、レオナードとローズニカ、マクベスタとアミレスというペアでダンスを踊る事に。
 イリオーデとアルベルトは「本日は護衛として来ておりますので」と言って、ダンスのお誘いを全て断っていた。
 そして少し離れた所で待機しつつ、アミレスと体を密着させるマクベスタをこれでもかと言う程に護衛達は睨んでいた。

(いい匂いがする。それに柔らかい……っ)

 当のマクベスタは、こんな状況だからこそ非常にドキドキしていた。
 ここ一年近くで培った演技力で表情が崩れる事は何とか誤魔化しているものの、その心音までは誤魔化せない。
 もしアミレスにこの心臓の音を聞かれてしまったら──。
 そう、彼は二重の意味で鼓動を早くしていたのだった。

(あっ、人が……!)

 マクベスタが悶々と焦りを募らせるなか、その背後には激しく踊る男女ペアが近づいていた。
 しかしマクベスタは現状にいっぱいいっぱいで、避ける様子がない。それに気づいたアミレスは慌ててマクベスタの体を引き寄せ、片腕で抱き締めるようにしてくるりとターンした。
 まるで、いつかの日のイリオーデのように。彼女はダンスの一部かのように、衝突事故を華麗に回避してみせたのだ。
 その際、抱き締めたのだから当然だが……歳の割に発育のいいアミレスの体が、これでもかと彼の身体に密着していた。

(ッ!?!? これッ……まさっ、か!?)

 むにゅ、と腹部に感じる一等柔らかい感覚。マメの出来た小さな手のひらともまるで違う、未知の感触。
 それが何か理解した途端、マクベスタの顔が紅潮する。どうやら、もう、我慢の限界らしい。

(落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着けッッッ! ここはパーティー会場だぞ!! こんな所で、こいつの目の前で醜態を晒す訳には──ッ!!)

 強く歯を食いしばり、マクベスタは理性総動員でその熱情を抑え込もうとした。頭の中で必死に陰鬱とした己を思い出し、目前の輝かしい夢のような景色から目を逸らして。
 それを見たアミレスは、目を点にしてそれはもう困惑していた。

(顔真っ赤だし、凄い険しい顔してる……勝手に体を引き寄せたから怒ってるのかな。動く前に何か一言あった方が良かったのかしら……焦ってたから事を急いてしまったわ)

 マクベスタの必死の我慢を、アミレスは自分への怒りと誤認した。気まずそうに寒色の瞳を細めて明後日の方向へと逸らすアミレスと、この現実を直視する訳にはいかず視線を泳がせ続けるマクベスタ。
 体に染み付いているからか、ダンスは完璧に踊りきったものの……ダンスが終わった後も二人の間に流れる空気は中々にぎこちないものだ。
 そんな張り詰めた空気を打ち破ったのは、誰しもにとって予想外の男だった。
「ひーめさんっ、どーもお久しぶりです」

 どこからともなく現れた赤髪の美青年に、周囲の招待客達は色めき立つ。
 腰下まで伸びる赤い三つ編み。甘いマスクに高い身長。その鍛え上げられた体を包む中華衣裳が彼の纏う空気を更に神秘的なものへと押し上げていて。
 エンヴィーはにんまりと笑い、後ろからアミレスを抱き締めた。その瞬間、辺りからは黄色い悲鳴と戸惑いの声が同時に沸き上がる。

「あー……久々の姫さん癒されるわぁ……」
「師匠、あの、ここパーティー会場なんですけど」
「え? ああ大丈夫ですよ、勿論知っての上で出てきたんで」
「ど、どういうこと……?」

 人目も憚らずにアミレスを腕の中に閉じ込めて、久々の愛弟子を堪能するエンヴィー。
 彼の含みのある言い方にアミレスはごくりと固唾を呑む。そして、おもむろにアミレスから離れたエンヴィーは一度深呼吸をして、

「──暫しの間この身を癒すべく暇を頂戴させていただいた事、改めて感謝申し上げます」

 アミレスの前で華麗に跪いた。その表情も口調も、何もかもが普段のエンヴィーとは百八十度異なるものだった。

「え、えぇっ!?」
「精霊の身でありながら、主のお傍を離れるなど本来あってはならない事。にも関わらず我が身の不甲斐なさ故に暇をいただき、長らくお傍を離れてしまった事……ここに、謝罪させていただきたく存じ上げます」
「なに、ちょっ、え!?」
(──ちょっと何言ってるのこのヒト!? しかも思いっきり精霊って言ってなかった!?)

 全く身に覚えのない事を朗々と語るエンヴィーに、アミレスはかなり困惑を覚えていたのだが……その困惑を更に加速させるかのように、エンヴィーは更に続ける。

「ごめんなさい、傍を離れてしまって。これからは主が望むままに……俺達は(・・・)ずっと傍にいますから」

 ニコリと微笑み、エンヴィーはアミレスの手の甲に軽く口付けを落とした。するとその手の甲に星のような形をした、赤い煌めきが瞬いて。
 エンヴィーの言葉と、纏う神秘的な空気と、アミレスの手の甲で煌めく星の輝き。
 それらから、周囲の人間達は奇跡的にも考えを同じくした。

「……──王女殿下は、精霊士なのか?」

 誰かがポツリとそう零した。その瞬間、僅かにだがエンヴィーの口元が鋭く弧を描く。

「王女殿下の手にあるあの輝きはまさに噂に聞く精霊との契約の証! あの赤髪の美青年は精霊であり、王女殿下は形ある精霊と契約出来る程優秀な精霊士という事だ!」
「確かに、先程あの青年は突然現れた。彼が精霊だと言うならば、その現象にも説明がつく」
「そう言えばアミレス王女殿下は巷で氷結の聖女と呼ばれていたような……神の使いたる精霊を従える程の方だからこそ、聖女と呼ばれるようになったのではないか?」
「まさか帝国にこれ程優秀な精霊士が誕生していたとは! これから益々帝国は発展してゆく事でしょうな、はっはっはっ!」

 誰もが、アミレスを精霊士と思い込み口々に言葉を紡ぎ始めた。そのざわめきはあっという間に会場中に伝わり、二日もすればその噂は帝都中に広まる事だろう。
 渦中のアミレスの理解を待たずして。

(……よし、我が王からの指示はこなせたかね。これで、公の場でも俺や我が王が姫さんの傍にいてもなんらおかしくないだろう)

 ホッとしたように瞳を伏せて、エンヴィーは立ち上がった。その間も、アミレスの視線は光り輝く自身の手の甲に落とされていて。
 混乱が色濃く滲むその瞳を見たのか、

「こうした方が色々都合が良かったんです。後で詳しい事情を話しますので、今は適当に合わせてもらえると助かります」

 口元を隠して、エンヴィーはヒソヒソとアミレスに耳打ちした。
 何が何だか分からない状況だが、アミレスはひとまずエンヴィーの言う事に従い、彼の芝居に合わせる事に決める。

(よくわかんないけど、とりあえず師匠の言う通りにしておこう)

 エンヴィーとの本当の関係性などには一切触れないようにし、アミレスは貴族達からの質問攻めをのらりくらりと躱していく。
 パーティー終了までエンヴィーはアミレスの傍から離れず、周囲の視線を独占していた。まあ、どれ程彼が視線を集めようとも……エンヴィー自身の視線はずっと、主と彼が呼ぶアミレスへと向けられていたのだが。
 煌びやかなパーティーは幕を下ろし、招待客達はそれぞれの帰路についた。
 メイシアは別れの際にこっそり、「また今度、お話を聞かせてくださいね?」とアミレスに伝えた。それにアミレスは眉尻を下げて「えぇ、分かったわ」と答えて、会場を後にした。
 アミレスと共に帰っていたレオナードとローズニカだったが……エンヴィーが一度精霊界に戻った事で不在になり、馬車の中はどうにも気になった事を確認出来る空気ではなかったので、モヤモヤとした気持ちのまま邸でアミレスの馬車を降りる事に。

 東宮に戻った面々は、各々着替えを済ませて談話室に再集合した。
 そこには何やら愉快な空気を感じ取ったシュヴァルツや、暇だからと首を突っ込みに来たナトラとクロノ、更にセツまで東宮の面々が大集合だった。
 全ての業務を、侍女達に押し付けて。
 軽く紅茶を味わいつつ、エンヴィーの到着を待つ。すると二十分程経った頃に、空間がぐにゃりと歪んでそこからシルフが数ヶ月ぶりに現れた。
 その後ろには、エンヴィーともう一体(ヒトリ)──終の最上位精霊のフィンがいて。
 久々に人間界に来たシルフと、初めて見る精霊の姿にアミレスが目を丸くしていると、

「久しぶりだねアミィ〜〜っ! ごめんよ、精霊界での仕事が忙しくて全然こっちに来れなくて。ボクに会いたかったよね? ボクも会いたかったよ!!」
「わっ、ちょっと急に抱き着かないでよ、危ないじゃない。でも私も会いたかったよシルフ」

 シルフはアミレスを抱き締めて、アミレスはそれを受け入れて。お互いに久々の友達を堪能していた。

「……あれは本当に王なのですか? 我々の知るあの方とまるで違う…………」
「こっちではいつもああですよ、あのヒト。あと、こっちではシルフさんって呼ばないと怒られますよ」
「シルフサン……?」

 長い時間を共にして来たフィンをも驚愕させる精霊王(シルフ)の変貌っぷりに、エンヴィーは肩を竦めて呆れたようにため息をついていた。
 精霊の愛し子(エストレラ)の前ではこんなにもデレデレとしているのか。とフィンは心底驚愕していた。

(精霊さん達って久しぶりに会う時いっつも抱き締めてくるけど、そういう文化なのかな)

 会う度に熱烈に愛情表現をするシルフにも慣れてきたのか、アミレスは冷静に状況を分析する。その時、ギョッとした表情でシルフの事を凝視していたフィンと目が合って。

「ねぇ、シルフ。あのヒト……知らない精霊さんだけど、どなたなの?」
「え? ああ、そうだ紹介する為に連れて来たんだった……って、おい何だその顔は」

 フィンの事を尋ねられると、シルフは後ろ髪を引かれる思いでアミレスから離れて後ろを振り向く。
 その際心底困惑する表情でシルフを見つめていたフィンと目が合ったらしく、シルフは遺憾だとばかりに眉を顰めつつ、気を取り直さんと咳払いを一つ。

「こいつはボクの部下のフィンだよ。丁度よかったから、アミィに前もって紹介しておこうと思ってね」
「お初にお目にかかります、姫君。俺はシルフサンにお仕えしてます、フィンという者です。こうして貴女にお会い出来て光栄です」

 恭しく頭を垂れてフィンが挨拶すると、

「初めまして、アミレスです……いつもシルフと師匠にはお世話になっております」

 慌ててアミレスも立ち上がり、ぺこりと一礼した。

「さっきエンヴィーが変な行動に出ただろう? その事について説明する為に、発案者のフィンを連れて来たんだ」
「変な行動って、私が周りから精霊士だって思われるようになったやつだよね。あれってシルフ達の陰謀だったの?」
「陰謀扱いはやめて欲しいなー……ボク達はただ、君を守りたくてこうしただけだし」

 陰謀説を唱えるアミレスに、思わずエンヴィーとシュヴァルツから笑いが零れた。特にシュヴァルツなんて、「ぶはっ! 精霊の陰謀って!」と大笑いしている。
 それを隣に立つナトラが、「騒がしいぞ、黙らんか」と小突いて黙らせ、話は再開した。
「シルフサンとエンヴィーから、姫君の置かれている状況については色々と伺っております。これまでシルフサンは、我々精霊の存在が貴女の立場を悪くすると思い、表に出ないようにしてらっしゃいました。しかし近頃状況が変わって来ましたので……いっそ姫君が精霊士であり、シルフサンとエンヴィーが契約している精霊だという事にした方が良いと具申した事が、ことの始まりなのです」

 相槌を打つ暇もなく、フィンは捲し立てる。
 その時人間達は、まるで暴風に真正面から吹かれているかのように、目を細めて圧倒されていた。

「えっと、それで……その理由とは?」

 何とかフィンの言葉をゆっくりと咀嚼して、アミレスは本題へと話を進めさせた。

「制約に抵触しますので、詳細を話す事は叶わないのですが……近頃、どうにも人間界の運命率が狂い始めていて。本来一定値より上下してはならないそれが狂い始めた為、その皺寄せとしてこの世界で何か(・・)が起きる可能性が生じました」
「その運命率の狂いの所為で、人間界の管理をしているボク達が奔走する羽目になったんだよね。せっかくアミィに会えるようになったってのにさぁ…………」
「シルフさん、気持ちは分かるけど一旦黙っときません?」

 精霊達は時にわちゃわちゃとしながら話すものだから、あまり大事な話をしているように思えない。
 それに、フィンの話は──……正直なところ、人間達にとっては少しばかり難しい内容で。

 ───運命率って何だ?

 アミレス達四人はその頭に疑問符を浮かべていた。ぽかんとした顔で、初めて聞く単語に眉を顰めている。
 それに気づいたナトラが、「兄上、運命率ってあれじゃよな?」とクロノの侍女服を引っ張る。それにクロノは「多分あれの事だろうね」と頷いた。
 ナトラの目が『我、あんまり覚えてないから兄上から説明してやってくれぬか?』と物語るものだから、クロノは仕方無いとばかりにため息を零して、口を切った。

「──運命率とは、人間界に終末が訪れないように作られた世界の防衛機能……【世界樹】の枝が折れないようにする添え木のようなものだ。その確率が上下してしまい、添え木が強くなり過ぎたり脆くなり過ぎたりすると枝が歪んだり折れたりしてしまう。そうすればこの世界では大災害が起きるし、枝が折れた日には人間界は終末を迎えるだろう」

 この話を聞いて、アミレスには思うところがあったらしい。おもむろに顎に手を当てて、彼女は考え込む姿勢に入った。

(運命率はこの世界の存続を保証するもので、今はその確率が狂ってるから精霊さん達も忙しくしていたと。なるほどなるほど……だとしても、何でそれが私を精霊士にしたて上げる事に繋がるんだ?)

 うーん。と小さく唸るアミレスを見て、今度はシュヴァルツが軽く説明を始めた。

「簡単に話をまとめると……運命率が狂った事でこれから先この世界で大災害が起きる可能性が発生した。それがどんなものかは分からないけれど、おねぇちゃんを精霊士っていう珍しい存在にしておけば──少なくとも、どんな大災害が起きても無駄死にさせられるような事にはならないだろう。って事かな」
「無駄死に…………戦場に送られるかもしれないって事?」
「うん。まあ徴兵には確実に巻き込まれるだろうけど、それでも特攻とかはさせられないだろうね。精霊士って今の人間界だとかなり珍しいらしいし、どんな馬鹿な人間でも貴重な人材を無駄にするような事はしないでしょぉ〜〜」

 シュヴァルツの憶測により、アミレスの頭の中では点と点とが繋がる。彼の話に納得したように頷いて、その視線をフィンへと戻した。

「ええと、つまりあなた達は私の立場を確立する為に、精霊士にするという手段を取ったんですか?」
「そうなりますね。とは言えども、我々には制約がありますのであまり対した役には立てないのですが……我々には、貴女の身を護る加護を与える程度の事しか出来ませんし」
「そうなんですか……」
(──精霊の加護、って何だかミシェルちゃんの持ってる神々の加護(セフィロス)と似てるわね。それを与えられたら加護属性(ギフト)を発現しちゃったりして。はは、そんな事ある訳ないか)

 あるんだな、これが。
 中々に鋭い考察をしたものの、何も知らないアミレスはアハハ〜〜と軽く笑い飛ばしてしまった。
 まあ……シルフが全身全霊で隠蔽して来た以上、アミレスが数年前にかけられた星王の加護(ステラ)とそれにより発現した星の加護属性(ギフト)について気づける筈もないのだが。
 精霊どころではなく、精霊王直々に加護を与えられていたなんて──……今のアミレスには知る由もない事だった。

「そーゆー事なんで、これからは人間達から姫さんを守れるよう俺達も出来る限り傍にいるんで。災害をどうにかする事は出来なくても、もしもの時姫さんの盾になるぐらいは出来るでしょうし」

 エンヴィーがニッと笑いながら宣言すると、

「と、いう訳ですので。これからはシルフサンとエンヴィーが貴女をお守りします」
「か、重ね重ねどうもありがとうございます」
「姫君の御身の為ですから。俺は当然の事をしただけに過ぎません」

 補足するかのように、フィンから精霊がアミレスの守護に回る旨を伝えられる。
 その一連のやり取りを眺めていたシュヴァルツは、ここでふと「あ」と言葉を漏らした。咄嗟の事でついつい大きくなったその声に引っ張られて、その場の全員の視線がシュヴァルツに集中した時。
 彼の口から、衝撃の言葉が飛び出す。

「……──魔物の行進(イースター)が、始まった」

 それを聞いて人間達は酷く狼狽する。歴史上でしか目にした事の無いその単語、その最悪の事態に……開いた口が塞がらなかったのだ。
 だがしかし、アミレスだけはすぐさま反応を見せた。

「何で、どうしてもう魔物の行進(イースター)が発生するの……!?」
(──だってそれは、ゲーム二作目の本編開始時にミシェルちゃんが持つ天の加護属性(ギフト)を覚醒させる為のイベントよ? ゲーム開始時期は春から夏にかけてなのに、なんでもう魔物の行進(イースター)が発生するのよ?!)

 この中で唯一世界の命運を知るアミレスは、明らかに狂ってしまったシナリオに戸惑いを隠せなかった。
「ぼくもそれに関しては同意見だよ。魔物の行進(イースター)が起きるとしてもまだ先だと思ってたんだが……」
(──まだ魔界の扉は完全に開ききってはいない筈だ。なのに何で、魔界の魔物共がもう人間界に出てきてやがるんだ?)

 内心困惑する悪魔は、必死にその原因を探した。一体何故、本来よりもずっと早く魔物達による人間界への侵略が始まったのか。
 考えを巡らせ、悩み、そして彼は一つの答えに辿り着く。

(魔界の扉…………そうか、まさか!?)

 何かに気がついたシュヴァルツは勢いよくクロノを睨み、

「……──ッおいクロノ! お前まさかっ、人間界に来る時また魔界の扉を通って来たんじゃねぇだろうな!?」

 猫を被る事も忘れ、大きな口でそう叫んだ。
 黒の竜(クロノ)が暫く魔界にいたと聞いているアミレス達はそこでハッと息を呑み、何かを察したように目を丸くしていた。
 そして、当のクロノはというと。

「当たり前だろう。それ以外にどうやって魔界と人間界を行き来するって言うんだ」

 何馬鹿な事言ってんだよ。とでも言いたげな呆れた表情で、クロノはため息をついた。
 その時の部屋の空気は最悪だった。
 冷え切っていて、澱んでいて。流石のナトラもこれには気づいたらしく、「兄上の所為じゃよ」とクロノを見上げてぽつりと零した。それがどうにも不服なようで、クロノは「えっ」と驚きを漏らす。
 クロノの言い分を聞いて、悪魔の推測は確信に変わる。声にならない叫び声をあげながら、彼は頭を抱えた。

(あ〜〜〜〜〜〜〜〜っ、もうどう考えてもコイツの所為じゃねェか! コイツが人間界と魔界を行き来する為に勝手に扉を開いて、それで黒の竜が通れるぐらい魔界の扉が開かれたのなら、そりゃァもう全開だろうな!! 魔物の行進(イースター)だって前倒しになるわクソが!!)

 元より魔物の行進(イースター)は彼の管理下にない侵略行為であり、悪魔とて魔界の扉の様子からその発生時期を大まかに予測する事しか出来なかった。
 何故ならこの侵略は魔物達が食糧を求めて本能のままに人間を襲いに行くものであって、魔界による侵略ではないから。
 なので、この食糧と本能の為だけの侵略行為を今の彼が止める事は出来ず、もし仮にそれが起きたとしても……ある制約の一項目によって未だそれらに縛られる羽目になっているこの悪魔には、何も出来ないのだ。
 故に、悪魔は焦燥感を覚える。彼が思っていた時期よりも早く、ギリギリ(・・・・)間に合わない(・・・・・・)タイミングで始まったその厄介な侵略行為から──どうやってアミレスを守ったものかと。

魔物の行進(イースター)……魔界の魔物共が人間界に侵攻して、世界規模で人間を襲うやつか。また面倒な事しやがって……魔界で大人しくしておけばいいのに」
「シルフさん、全然素を隠せてないっすよ。まーでもそれには同意だな。何で大人しくしててくれないのかねぇ、魔物ってやつは」
「魔界の事なんて心底どうでもいいからボクも知らないよ。ああもう、なんでよりにもよって魔物の行進(イースター)が今発生するんだよ!」

 魔界の住人から相当迷惑をかけられてきたのか、シルフは苛立ちを隠そうともせず悪態をつく。
 だが、どうやら理由はそれだけではないようで……。

魔物の行進(イースター)は魔界によるものですので、我々が介入しては精霊界と魔界と妖精界の間で定められた相互不干渉の制約に抵触してしまいます。姫君をお守りすると誓った傍から、まさかこのような面倒事が発生するとは」
「もし本当に、魔物の行進(イースター)が今しがた発生したのだとしても、そう易々と帝都までその波が来る事はないと思うんだが……」

 シルフの憤りの理由を察してどこか説明口調で語ったフィンに、おずおずとマクベスタは意見を投げかけた。
 それに軽く頷き、フィンは続ける。

「確かにこの国は白の山脈より最も近い地域が妖精の祝福を受けた者達の地域であり、周辺諸国と比べても魔物の群れが主要都市に到達する可能性は低いでしょう」

 しかし、と彼が話を引っ張ろうとした時。シュヴァルツがそれに割って入った。

「魔物自体はこの世界のどこにでもいる。魔界の魔物共が出てきた影響──魔界の扉が完全に開いて魔界特有の魔力が人間界に溢れ出た影響で、元々この世界にいる魔物共まで活動が活発になるんだ。だから、白の山脈から離れた場所だからって一概に安全とは言いきれないよ」
「そうなのか……確かにそこらの森や草原にも魔物は出没するが、まさかそれが魔物の行進(イースター)の影響で活発になるなんて」
(──オセロマイトは、大丈夫だろうか)

 オセロマイト王国は白の山脈からも離れた土地にあるものの、同時に海に面しており百年樹と呼ばれる大樹の下には魔物の巣窟がある。
 故に、却ってそこらを彷徨(うろつ)く魔物達が活発になる事の方が彼にとっての大きな不安となるのだ。

「……あの。シルフ様に聞きたい事があるのですが、いいですか」
「何だ、アル──じゃなかった……ルティ。とりあえず言ってみろ」
「では。その魔物の行進(イースター)なのですが、どれぐらいの期間続くのでしょうか?」
「詳しい期間や、そもそもの理由をボクは知らない。ただ、前回のそれはだいたい十年ぐらい続いてたんじゃないかな。世界規模でかなりの数の人間が減ったから少しばかり記憶に残っているよ」
「十年……!?」

 その長すぎる期間に彼等は息を呑む。
 十年もの間絶えず白の山脈より魔物達が溢れ出し、周辺諸国に雪崩込んでいたのだと想像し……その場にいた人間達は絶句した。

魔物の行進(イースター)に参加する魔物共に、大した目的なんてないよ。腹が減ったから──それだけの理由で、アイツ等は食べ物欲しさに人間界へと侵攻するんだ」

 シュヴァルツの発言に精霊達ですら言葉を失った時、クロノが記憶を探るように口を開いた。

「……そう言えば、魔界は相当な食糧難だったな。どこもかしこも荒れ果てていたし、自然なんて血なまぐさい川や湖や、鬱蒼とした森しかなかったよ」
(荒れ果ててたのはお前が暴れ回ったからだけどな)
「自然が無い……魔界とは、そんなにも寂しい世界じゃったのか?」
「うん。僕が見た限り、自然も無ければ温かみも無い世界だった。自然だけじゃなくて、家畜なんかもほとんど育たない環境だから、本当に食糧問題が深刻みたいだったよ」
(ヒトが数十年かけて必死こいて作った牧畜環境をぶっ潰しやがったのはお前だけどな)

 クロノが話す度に、シュヴァルツは額に浮かぶ青筋を増やす。
 かなり他人事のように話すクロノだったが、魔界の食糧問題や荒廃した土地の多さに自身が大きく関わっている──というか、ほぼ自身の仕業である事には何故か気づかないらしい。