「──急にお兄様が私に優しくなって、怖かったんです。今まであんなにも私を嫌ってらしたので」

 イリオーデの背中からおずおずと顔を出して、何とか気持ちを言葉にする。
 するとフリードルは少し目を丸くして、

「……数年前、急に僕に悪態をつくようになったお前がそれを言うのか」

 柔らかく瞳を細めた。その口元も、僅かにだが弧を描いているように見える。
 まるで、ゲームでミシェルちゃんに心を許し始めたばかりの頃のフリードルのようで……私は、言葉が出て来なかった。

「傷はさっさと治すに限る。早く行くぞ」
「えっ、あの、ちょっと……!」

 いつもの仏頂面に戻ったかと思えば、フリードルは私の手首を掴んで歩き出す。目の前の衝撃映像に唖然とする令嬢達を置いて、私達はその場を後にした。
 本当に同じ人間なのかと問いたくなるような冷たい手。だけど、数年前に引き止める目的で腕を掴まれた時と違って……掴まれている場所は全然痛くない。
 私、また強くなったのかな。
 そんな事を考えながら、フリードルに引っ張られるまま歩いて行く。イリオーデとアルベルトは眉根を寄せているものの、大人しく後ろを着いてきているようだ。

 やがてフリードルの執務室に辿り着いた。道中、すれ違った人達が化け物でも見たかのような顔で二度見三度見して来てたな。
 フリードルの執務室は案外散らかっていて……その書類の多さとフリードルの疲れの残る顔、そして何故か常備されている下位万能薬(ジェネリック・ポーション)から、本当にフリードルが皇太子として忙しない日々を送っている事が見て取れる。
 フリードルが引き出しから下位万能薬(ジェネリック・ポーション)を一本取り出し、「飲め」と短く言って手渡して来た。
 それを受け取ると、フリードルはそそくさと机に戻り書類と睨めっこを始めたのだ。
 本当にただこれを渡したかったのか……? と、下位万能薬(ジェネリック・ポーション)に視線を落とす。手渡されたものはいたって普通のもの。まあ、もし毒とか入ってても私には効かないんだけどね。

「……ん、ちょっと苦いわね」

 手渡された下位万能薬(ジェネリック・ポーション)を一気に飲み、味に文句をつける。いつも思うんだけど、薬ってもうちょっと甘い方がいいと思うのよね。絶対その方が飲みやすいし。
 良薬口に苦し。これぐらい我慢しろって事なのかしらねぇ。別にこの程度の苦味、私は全然大丈夫だけど。

「こうしてご挨拶するのは初めてですね。わたくし、殿下にお仕えしておりますジェーンという者です。以後お見知りおきを」
「「っ!?」」

 突然、私の目の前に物腰の柔らかい一人の男性が現れた。気配が全く感じられなくて、イリオーデとアルベルトが目を点にして驚いていた。
 勿論私も驚いているのだが、それ以上に……。

「ああ、お噂はかねがね。兄様の優秀な右腕と聞き及んでおります。初めまして、アミレス・ヘル・フォーロイトです」
「ご丁寧にどうもありがとうございます、王女殿下。ああそうだ、お近づきの印に少しお耳を拝借しても?」
「耳? えぇ、どうぞ」
「では失礼しまして……」

 出会い頭で随分と距離の近い人だな。と思いつつ、ジェーンさんに耳を貸す。

「実はですね。何らかの用事があって王女殿下がこちらまでいらっしゃったと聞いて、殿下はわざわざ部下の報告を中断して会いに行ったんですよ。『あいつが何をしに来たのかは分からないが、とりあえず迎えに行って連れて来るか』と言って」

 フリードルがわざわざ会いに来た? 私に? というかこの人演技力高っ、モノマネ上手すぎない??

「信じられないとでも言いたげな顔ですね。分かります、俺も信じられなかったので。本当に、フフっ……面白──いえ、目まぐるしい変化ですよね〜〜」

 なにわろとんねん。
 フリードルの右腕ってだけで怖いイメージあったけど、この人もしかしてかなり愉快な人なのでは? フリードルの右腕なのに? こんな緩いタイプなんだ??

「……兄様は私の事が嫌いな筈なんですけど」
「あぁ、成程……殿下はまだ何も言ってないんですね。殿下ってばもう、せっかく俺がお膳立てして差し上げたのに!」

 ジェーンさんは大きなため息をついた後、フリードルに駆け寄って何かを耳打ちする。その直後、フリードルが出した氷の剣を喉元に突きつけられていた。
 いや何してるのあの人。
 いつの間にか消えた右手の傷に気付かぬまま、私はその光景を眺めていた。しかしふと、本題を思い出した。
 ハッとなり、アルベルトから魔導兵器(アーティファクト)を受け取ってフリードルに声をかける。