「死よりも深い、絶望? 何を言って……」
「だってそうでしょう。あなたの復讐は憎悪から来る正当な八つ当たりです。これまでされてきた酷い仕打ちに対する復讐をお望みなら、ただ人類を滅ぼすだけだなんてツマラナイじゃないですか」

 私はミシェルちゃんのような聖人君子じゃない。寧ろそれとは真逆──悪逆非道冷酷無比な氷の血筋(フォーロイト)だ。だから、憎悪に狂う黒の竜の傷を癒して鎮める事など出来やしない。
 そもそも私は、自分勝手な人々の欲望に縛られ、人としての尊厳を奪われ、全ての責任と役目を負わされた人間の紛い物(おにんぎょう)だった。
 そんな私に、道徳や倫理なんてものは端から無い。ただ、いつかの日にあのひとから教わった因果応報……それを彼に教えてあげる事しか私には出来ない。

「だから、どうせやるなら少しでもあなたの憎悪が晴れるような、そんな復讐をしましょうよ。あなたが受けた仕打ちの何百倍も苦しみ悲しむような復讐を! あなたのような竜種からすればたった一瞬で終わる人類の殲滅なんてツマラナイ復讐ではなく、何十年何百年と、あなたの受けた苦しみの長さだけ人間を蝕み呪い続ける愉しい復讐などは、いかがでしょうか?」

 この竜が人間への憎悪を捨てきれず、いずれ必ず人間を滅ぼすつもりなのであれば。そのいずれをとことん先延ばしにするしか道はない。
 そして、その何百年という猶予の間に……黒の竜の憎悪が消えるか、人間が竜の呪いに対抗する術を見つけたならば、人類滅亡は避けられる。
 とにかく。今すぐ人間を滅ぼしたいと事を急く黒の竜を落ち着かせる事が、今の私の一大ミッションなのだ。

「戦争、病、自然災害、環境変化、飢饉……人類を長期に渡り死よりも深い絶望に落とし苦しめる手段なんてまだまだあります。それなのに何故、ほとんど苦しまずに終わってしまう『死』という手段を選ぼうとするのですか? 人類が滅ぶ──たったそれだけの事で、あなたは満足出来るんですか?」

 今度は私から、じっとクロノを見つめる。見開かれたその黄金の瞳は、やがて目尻の皺を作る程細められて。

「くっ、はははははっ! ああ、そうだ。確かにそうだ……僕達をあんなにも苦しめた人間共が、一瞬の苦しみで終わりを迎えるなんて不公平だ。僕達が味わった深い絶望まで、人間共を叩き落としてやらないと気が済まないだろう」

 はぁ…………と大笑いの余韻で息を吐き、クロノはナトラの頭を撫でた。そして柔らかく微笑み、

「ねぇ、ナトラ。君のお気に入りの人間はとても面白いね。そしてとても頭がおかしい」

 何故か私の事を罵倒してきた。

「そうじゃろう、アミレスは面白くて頭がおかしいのじゃ!」

 ナトラ、そこは否定するところでしょう!?

「……君は楽しい事や面白い事も好きだもんね。ナトラがあの娘を気に入った理由が分かった気がするよ」
「むふふっ! 兄上もアミレスのいい所を理解してくれたようで嬉しいのじゃ」
「フフ、まさかあんな事を人間から提案されるなんて思わなかったよ。だけど……うん、とても魅力的な提案だ」

 クロノの視線がこちらに向けられる。右手をナトラの頭に乗せたまま、クロノは口を切った。