「ねぇラフィリア。僕が確か四代目の聖人とかだけど、これまでの聖人が婚姻を結ばなかったからって僕までそれに従う必要は無いよね? ああでも、姫君と婚姻を結んだとあれば一国だけとの癒着を疑われそう……ならもう、姫君の籍をフォーロイトから外して国教会で迎え入れるべきかな? 姫君とご家族の仲ってかなり悪いみたいだし、姫君もきっと喜んでくれるでしょう!」

 まるでデート前の乙女のよう。頬をほんのりと蒸気させ、浮かれた口調でミカリアは妄想する。
 これまでの百年の我慢がついに解き放たれたかのように、もはや誰にも堰き止められぬ激流となって溢れ出てしまった。
 思い込みが加速し、彼の中にあったなけなしの常識や普通は崩れ去った。恋をしたら壊れると言われていただけの事はある──。今のミカリアは、確かに壊れてしまっていた。
 正史(ゲーム)よりも遥かに早く、狂気的に……その不治の病は、平等にかの聖人をも蝕むのだ。

「もう、そんな顔しないでよラフィリア。これまで沢山我慢して来たのだから、そろそろ僕だって欲しいものを一つぐらい手に入れたっていいだろう?」

 ミカリアは手遊びのように、いとも容易くラフィリアの面を取ってみせた。すると露わになるは、ピンクゴールドの切り揃えられた髪と蒼玉(ブルーサファイア)の瞳。そして、それらが最も映えるよう計算され尽くした美しい顔。
 少女とも少年ともとれるその顔には、ミカリアへの憐憫と失望がほんの少し、滲み出ていて。

「……当方ハ、何度モ忠告シタ。恋ナンテシタトコロデ無駄ダト。結局傷ツクノハ主ナノダト。ソレナノニ、ドウシテ主ハ当方ノ言葉ヲ無視スル? 当方ハ、当方ハ、タダ…………」

 ぐっ、と目に力を入れて、ラフィリアは言葉を紡ぐ。
 その表情は、まるで……涙を我慢する子供のようだった。

「主ガ傷ツク姿ナド、見タクナイ。ヨウヤク夢ガ叶ウトヌカ喜ビシテ、結果的ニ夢ヲ失ウカモシレナイ主ヲ、見タクナカッタ!」
「ラフィリア……」

 これが、ラフィリアの本音だった。度重なる忠告も暴言も、全てはミカリアを思っての事。
 百年越しに彼の見る夢が叶う可能性が出て、それに期待しすぎたが故に。もし万が一、夢敗れた時。ミカリアは果たして無事でいられるのだろうか。

 覆水盆に返らず──……一度でも壊れ狂ってしまったミカリアは、例え表向きには平常を取り繕おうとも、二度と元通りになどならないだろう。
 例え人類最強の聖人と言えども、その精神が壊れてしまったなら……聖人としての象徴(しごと)存在(やくめ)も諸共破綻する。
 それ即ち、人類最強の聖人の死を意味する。
 ラフィリアはその可能性を示唆し、ずっと警鐘を鳴らしていたのだ。

 国教会にとって人類最強の聖人の存在は必須だから? 否、たった一体(ひとり)のミカリアの家族擬きとして、ミカリアに死んでほしくないと思っていたから。
 ラフィリアなりにミカリアを大事に思うからこそ、ミカリアが傷つき壊れゆく様を見たくないと。本当の意味でミカリアが壊れる(・・・)姿なんて、ラフィリアには決して受け止められないから。
 ラフィリアの思いは、きちんとミカリアに届いたようだった。ミカリアは困ったように眉根を寄せて、小さく微笑んだ。