トムソンやマーシアは余計なことは言わず、必要な事だけを口にした。
オスカーはマーシアの言葉にうなづいた。
「俺が部屋まで連れていくので、着替えをさせてやってくれ」
「だったら、俺が!」
軽々とロザリンドを抱き上げたオスカーに、ウェズリーが言い募ったが、オスカーも使用人達も冷たい視線を彼に向けた。
「君はここで、お待ち願おうか。
義父上が戻られるまで、皆が君をもてなすだろう。
ゆっくりしていくといい」
◇◇◇
大好きなオスカーに憧れのお姫様だっこをされて、ロザリンドのテンションは爆上がりだ。
にやけてしまう顔を隠す為に、彼の胸に顔を押し当てた。
そしてオスカーのコロンの香りを胸一杯に吸い込んだ。
役得を逃すつもりは、さらさら無い。
ロザリンドの年齢設定は入学前の15歳だが、ホナミは26歳。
オスカーは17歳。
彼のたくましい胸に頬擦りしてそっと唇を当てると、彼がビクッと震えた気がした。
オスカーの、年若い男性の。
少年の清潔な青さがたまらなかった。
前世では男子高校生など眼中になかったのに。
年齢より大人びたオスカーの色気にやられている……
しかし、ロザリンドに転生した以上、義兄とはどうにもならないことはわかっていた。
彼はいずれ、ヒロインのミシェルのモノになる。
だから……それまでは。
義妹の立場で、許される範囲ギリギリまで。
この立場を楽しもう!
ウェズリーが泣きそうな顔でこちらを恨みがましそうに見送っているのには気づいていたが、
ウェズリーなんてどうでもいい。
所詮、彼だってモブなのだ。
自分が産み出したキャラなのに。
オスカーのような愛着はない。
ミシェルの周りでふらふら侍っているモブのひとりだ。
書き下ろしの小説だった。
担当のミカミが力を入れてくれて、打ち合わせは小まめにした。
『最初はテンプレで、引っ張りましょう』と、
ミカミが言ったのだ。
ヒロインは元平民の男爵令嬢。
彼女が最初に仲良くなるのが、入学式でぶつかったウェズリー。
おとなしい婚約者が物足りなかったウェズリーは、明るく溌剌としたヒロインに気持ちを募らせていく。
それからもヒロインのミシェルは次々と周囲の男達を攻略していくが。
だが彼等は彼女にとっては本当の恋ではなかった。
そして仮面祭りの夜、お忍びで城下に降りた王太子アーノルドと出会い恋に落ちるのだ。
だが、その男性はアーノルドではなかった。
祭りの夜、仮面を着けて彼女と恋に落ちたのは
侯爵家のオスカーだった。
愛されるのではなく、愛したい相手と巡り合えたミシェルは……
第2章からストーリーは、何故ミシェルはオスカーをアーノルドと間違えたのか。
アーノルドはその間違いに気づいているのに、
それを正さずにミシェルを惑わす理由は何なのかと展開していく筈だった。
王太子アーノルドのキャラをもう少し作り込みましょう、とミカミと相談中だった。
第1章完結記念のファンミ。
高速道路で、バスが事故を起こさなければ……
侍女長のマーシアが先立ち、ロザリンドの私室の扉を開いた。
彼女が素早く、整えられたベッドの上掛けをめくると、そこに慎重かつ丁寧にオスカーは義妹を横たえた。
羽毛枕に広がった彼女の黒髪を優しい手つきで
整える。
「気分はどう?」
「悪くはないです、ありがとうございます……」
ベッドの側にメイドが椅子を持ってきたので、
オスカーはそれに座り、ロザリンドの手を取った。
「あいつに、ウェズリーに……何かされた?」
ウェズリーは多分これから皆に吊し上げられる
だろう。
この婚約も、彼の有責で破棄になるかも。
それは全然構わなかったが、これだけは言って
おいてあげよう。
「いいえ、何もされてはおりません。
私が気を失ったのを支えてくれていただけです」
あの時は殴られるかも、と思った。
今から思うと、ウェズリーと思い出したくもなかったあの男が瞬間重なったのだろう。
早く逃げなくては、と慌てて、腕を掴まれた時に『それ』に襲われたのだ。
まさしく、襲われるようだった。
頭の中に色々な情景が浮かんで消えて、何人もの人間の顔が流れて。
吐き気を催すほどの膨大な情報を受け止められなくて、シャットダウンした感じで、ロザリンドは意識を失ったのだ。
だが今は落ち着いて。
『それ』を、受け入れつつある。
それも貴方のおかげだ、とオスカーに告げたかった。
貴方が抱いてくれていたから、私は……
そう言葉にしない代わりに、ロザリンドはオスカーの手をぎゅっと握った。
ウェズリーがロザリンドを殴るつもりじゃなかったのは、今ならわかる。
彼は自分が考えたキャラクターだ。
この物語には、女性を殴る男はひとりも登場させていないからだ。
彼は考えなしの馬鹿者だけど、その疑いだけは
晴らしておいてあげよう、とロザリンドは思った。
「わかった、その事は義父上に申し上げておくよ。
ウェズリーについて君の気持ちを話せるなら、話してくれないかな」
「……もう、彼との婚約は無しにしていただけたら嬉しいです」
ウェズリーは決して悪い人ではないけれど。
ロザリンドを愛していないもの。
彼は、ミシェルに心を捧げたひと。
記憶が戻った今となれば、貴族階級あるあるの
愛のない結婚など真っ平だ。
「その事も伝えていいね?」
オスカーが確認してきたので、ロザリンドはうなづいた。
( バイバイ、ウェズリー。
私はこれから(仮面祭りの夜まで) オスカー義兄様に一筋だから!
あんたなんか、要らないの!)
その後、ロザリンド・オブライエン・コルテス侯爵令嬢とウェズリー・ノース・ラザフォード侯爵令息の婚約は、ラザフォード侯爵令息の有責による破棄が決定された。
そして2ヶ月が過ぎ、ロザリンドは王立貴族学苑に入学した。
コルテス侯爵家の兄妹には共に婚約者が居ない状態となり、それは多くの貴族家門の『狙い目』となった。
兄妹ふたりに対して何通もの釣書やお茶会、夜会の招待状が届けられた。
それらの選別は全て彼等の母、コルテス侯爵夫人が行った。
ウェズリーとロザリンドの破談も決定したのは、この母だった。
ロザリンドが倒れた日、侯爵夫人はとある伯爵家のお茶会に出席していて、娘が倒れた報せを早馬で知らされた。
自分が出掛ける時に丁度、娘の婚約者と玄関ホールで会ったので軽く挨拶を交わした。
幼い頃から馴染んでいるウェズリーを彼女は信用していた。
だから慌てて邸に帰るコルテス侯爵夫人を見送るために中座して、動転していた彼女に耳打ちしたホステスの伯爵夫人の言葉が信じられなかった。
『ラザフォード侯爵令息のお噂ご存知でしょうか?』と。
伯爵夫人は尚も続けた。
『娘から聞いたのです。
ロザリンド嬢が随分気に病まれているようだと。
お倒れになったのは、その事が原因では?』
最初は今回のウェズリーの『たかが気の迷い』で破談にするつもりは当主のコルテス侯爵にはなかったが、妻の意見でそれは決定された。
「悪気なく浮気をする男は、必ず何度でも繰り返すのです」
そう言いきった妻の口調は冷たさを通り越して、何の感情も読み取れなかった。
このひとがヒロインなんだ、私の考えたヒロインがそこに居る!
場所は貴族学苑の昼休みの食堂。
ロザリンドが入学して3週間が経過していた。
ロザリンドが3人の友人とランチを取っていたテーブルのすぐ傍に、ミシェルが座ったのだ。
友人達がおしゃべりをやめて無言になった。
彼女は……ミシェルは1人だった。
自分が創作したヒロインが現実に目の前に現れて、ロザリンドは感動していた。
彼女は婚約者を奪った女だったが、それは自分がそう設定したからで、ミシェルに対しては怒りなどなかった。
周囲の皆からは、この邂逅が興味津々で見られていることはわかっていた。
ミシェル・フライ男爵令嬢のせいで、ロザリンドの婚約が破談となったことは有名で。
だからこそ、因縁のふたりが顔を合わす瞬間を誰もが楽しみにしていると思われた。
ミシェルはストロベリーブロンドの軽くカール
した髪と淡いブルーの瞳、透き通るように白い肌とピンクのぷっくりした唇の美少女だった。
チカ先生が描いた彼女の美しさは、オスカーのそれと対を張るもので、実現した2.5次元の素晴らしさに震え、目が離せない。
あぁ、このヒロインになら推しのお義兄様を譲ってもいい。
黒髪と深い紫の瞳のオスカーと、ふわふわと色素の薄いミシェルのふたりが並んだら、さぞや見栄えが良いカップルだろう。
今からでも直ぐに第2章が書けそうだ、とロザリンドの心は弾んだ……それなのに!
「何なのよ、ジロジロ見るなよ!
言いたいことがあるんでしょ!」
いきなり立ち上がったミシェルがこちらにやって来て、ロザリンドに言い放ったので、ロザリンドは驚いて彼女を見上げた。