「唯斗、好きな奴いるから」
7月。初夏の陽射しがコンクリートを打ち付ける2階の渡り廊下。彼が教室を出たところを追いかけて声をかけた。
「好きです」とか「付き合って下さい」じゃなくて「ねぇ、今度一緒に遊ばない?」的な軽いノリで重くならないように。とりあえず夏休み前に連絡先を交換できればいいな、なんて思っていたから。
なのに、本人じゃなくてその隣にいた男子に断られるなんて──。
「わ、私さぁ……。八巻くんに言ったんじゃないんだけど」
「告白だろ?」
「違うし、皆で遊ぼうよって声かけただけ」
「はぁ。お前、唯斗のこと好きだろ?いつもチラチラ見てるし、気持ち悪いんだよ」
「……好きなわけ…………、」
"好きなわけない"とは言いきれなくて、ぐっと口をつぐんだ。
「残念。唯斗は今、恋人募集してないんだ。な?」
「花倉さん、ごめんね」
告白さえしてないのに振られたみたいです──。
「えー、あんな自信たっぷりで行ったのに?」
「ドンマイ、ドンマイ。経験豊富な美麻っちなら男に困んねーだろ」
教室に戻ると利香と穂波にギャハハハと笑われる羽目となる。
利香は金髪ギャル系、穂波は口の悪いさっぱりギャルで、2人とも同じグループの女子だ。
確かに、絶対に断られるわけがないと高を括っていたのは認める。
「みーんなの王子様なんかに手ぇ出そうとするからバチ当たったんだろ」
「だって、顔がイケてるから遊んであげてもいいかなって思ったのに。あれは真面目でつまんないよ」
続けられる穂波の言葉はグサグサと胸に突き刺さるけど、平気なフリをして自身の長い髪を耳に掛け上げた。
「じゃぁさ。今日、私の彼氏と彼氏の友達と遊ぼ?美麻のこと紹介しろってうるさくてさぁ」
今度は利香がスマホを片手に目を輝かせてくるから、フッと余裕の笑みを見せて口を開く。
「ごめーん、今日バイトだし。それに、私 同い年ってあんま興味ないんだよねぇ」
「唯斗くんだって同い年じゃん」
「うーん。今回は、たまたま興味あっただけ。ほら王子なだけに?顔もいいし」
「残念、一緒に遊べると思ったのに」
「流石、美麻っちは年上の大人が好きなんだもんな」
「うん。あは、やっぱり付き合うなら絶対に年上でしょ?優しくてお金あっていいよ」
ごめんなさい。全部、嘘です。
花倉 美麻、高校2年生。17歳。
経験豊富でもなんでもない。男の子となんか殆ど遊んだ事ないし。しいて言えば、中学の時1つ上の先輩と2週間、去年バイト先の大学生と3日間だけ付き合った。
そう。少し派手な顔とこの見栄っ張りな性格もあり、"経験豊富"というイメージが張り付いてしまっただけなのだ。
***
「花倉さん、新規のお客さんくるからご案内入って」
「……はーい」
放課後は彼氏とデートじゃなくて、ほぼファミレスのバイト。バイトを入れてないと合コンに連れていかれるという理由もあるけど。真面目な勤労少女だ。
カウンターからメニュー表を手に取って入り口に立った。
入り口から入ってきたのは違う高校の男子グループで、ニコッと笑って席まで案内すれば男共が"ヤベー"とか言って頬を赤らめてるのが分かる。
ちょっと笑顔を見せれば大体の男は意識してくれるのに、どうして上手くいかなかったのだろう。
本当は、手を差し伸べてくれたあの日から彼の事がずっと欲しかった。
渡瀬 唯斗くんは同じクラスの男の子。
誰にでも平等に優しくて、穏やかで、サラサラの黒髪に爽やかな表情で"王子様"なんて陰で呼ばれている。
私なんて"経験豊富"の"女王様"だ。
「あれー、女子高生じゃん。おじさんと一緒に遊ぼうよ~」
「間に合ってまーす」
「制服でこんなとこウロついて危ないよ、送ってあげよっか?」
「…………」
バイト先を後にするのは、いつも大体21時を回ってしまう。
駅前の自転車置場までの道程は、変な酔っ払いによく声をかけられる。まぁ、無視するのもテキトーに交わすのも大分慣れた。
ネオン街が並ぶ駅前の通りは、酔っ払いや不良っぽい人も多いけど、お店が多くて比較的明るいし。1本向こうの裏路地にさえ入らなければ安全だと思う。
「……うるっせーな。違うって言ってんだろ?」
「おいっふざけんなよ!!」
低い叫び声と同時に、"ガンッ"と大きな音が耳に響いた。
うわ、最悪。喧嘩だ。怖いー。
その方向をチラリと見れば小さな電光看板が横転して、すぐ横に男の人がお尻をついて座っていた。酔っ払いか殴られたのか分からないけど。
時々、こういう男の人同士の喧嘩を目撃しちゃうるんだよね。
早くこの場から立ち去らなくちゃ。
「お前、南高だろ?あそこ俺の知り合い多いんだ。バレたらお前の高校生活おしまいだよな」
え、南高──?て、私の学校じゃん。
唖然と気を取られてると、地面の上にお尻をついたままの男の人と一瞬だけ目が合った。
八巻だ。八巻 壮真。
明るく染められた長めの前髪からは、悪い目付きが覗く。同じクラスで唯斗くんのただのお友達。
今日、私の事を唯斗くんから勝手に振った憎き男だった。
「今の学校の奴なんだろ?こっちは証拠だってあるんだぜ、お前の写真だって」
「……ってぇな、黙れよ。それはお互いさま」
「あれー?八巻くんじゃん。なんか面白そうな話してるけど、私も混ぜてよ」
気が付いたら、八巻本人と八巻と喧嘩している男の人に近付いていた。
「……なんだこの女。南高の制服じゃん。壮真知り合い?」
「八巻くんと同じクラスなんですー!」
「はぁ?何でお前……」
八巻の前に立つ派手な髪の色をした男の人の腕を組んだ。目をきゅるんとさせて下から覗き込み、口元をにっこり緩める。
自分でも顔は可愛い部類に入ると思っている。告白もよくされるし、異性にモテる自信があった。
「あは、高校生活おしまいってなぁに??知りたいなぁ」
ピトッと男の人の肩に自身の頭を乗っけて、猫撫で声を出す。
聞き出してやる。今日の仕返しに八巻の弱味握ってやろうじゃん。
「うわー、なんだこの女。気色悪いんだけど。壮真、助けて」
「知らない」
「鳥肌立ってきたんだけど。おい、女 触んじゃねーよ。離れろよ!!」
「きゃっ……、」
名前も知らない男の人が怪訝そうに眉をしかめて、腕を勢いよく振って引き剥がされるから。その反動で私は地面に転がった。
男が私が触った部位を手で振り払う仕草を見せるから、ある疑問が生まれる。
ちょっと腕組んだだけで気色悪いとか、鳥肌とか、もしかしてこの人──…
「おい君たち、何をやってんだ!?」
背後から聞こえた声に振り向けば、お巡りさんが立っていた。
騒ぎで通報されたのか、悪いことはしてないけどここで補導なんかされたらまずい。
「その制服、南高のだな」
しまった。私、制服じゃん。
ゆっくりと詰め寄る警察官に、頭が真っ白になる。
「……ちっ、走るぞ」
「え、ええぇっ!?」
次の瞬間、八巻が私の腕を持って警察官と逆の方向に走り出した。
後ろから「待ちなさいっ」と叫び声が聞こえる。人混みをかき分けて、こいつに引きずられるようにお店の隙間の細い路地を通り抜けていった。
途中で八巻が足を止めて「しっ…、」と静かにするよう口元に人差し指を当ててジェスチャーを見せる。
「こっちに逃げたと思ったんだけどなぁ」
すぐ近くでさっきの警官の声が聞こえるから、八巻が腕の中に私を寄せて身体を丸め身を潜めた。
ドクン、ドクン──。
お互いの心臓の音がやけに大きく耳に響いて、その場に緊張が走る。