警察まで敵に回してしまって、玲司は頭を抱えながら宙を仰ぐ。もうお尋ね者の犯罪者なのだ。
玲司は納得いかず、シアンに聞く。
「ねぇ、ちょっと! なんでこんなにかっ飛ばしてんの?」
「ん? 百目鬼たちがもうすぐ復旧してくるからだゾ?」
「へ? 復旧……?」
「きっとあと五分もしたら元通りだゾ?」
玲司は言葉を失う。そりゃそうだ。光ファイバーケーブル一本切っただけでデータセンター全体が落ち続ける訳がない。何かしらの対策が施されてるに決まっている。
「ド、ドローンは?」
「今、飛行機型の高速な奴、お台場に向けて飛ばしてるゾ」
「間に合いそう?」
「こればっかりは運でしょ! きゃははは!」
楽しそうに笑うシアンを見て、玲司はため息をつき、ステアリングに頭をうずめた。
勝ち切ったと思っていた勝負にはまだまだ続きがあったのだ。
「でも、ご主人様の生存率は46.7%にまで急上昇だゾ!」
「五割切ってるじゃないか!」
玲司は目をギュッとつぶって喚いた。
「あたしの胸を触ったから罰が当たったのだ!」
美空はジト目で玲司を見る。
「胸って言ってもそんな大層な……」
玲司はそう言いかけて、美空から発せられる殺気にハッとなり、口をつぐむ。
「はぁっ!? 『大層な』何なのだ?」
今にも人を殺しそうな血走った目で美空が玲司をにらむ。
「あ、いや、事故ではあったけど、も、申し訳なかったなって」
「そうよ! 言葉には気を付けるのだ!」
美空はそう言ってプイっとそっぽを向いた。
玲司はなんだか理不尽な言われように、ハァと大きく息をつく。そして、左右に揺さぶられながらシアンのすさまじいドライビングテクニックに身を任せた。
その時だった、
「あ……」
シアンが嫌な声を出す。
「な……、なんだよ?」
シアンがこういう時はろくなことがない。湧き上がる嫌な予感に抗いながら声を絞り出す玲司。
「復旧しちゃった……ゾ」
「復旧って……百目鬼たちが元に戻ったってこと?」
「うん、全力で時間稼ぎするから、運転よろしく。頼んだゾ」
シアンはそう言って目をつぶった。
「はぁっ!?」
高校生にこんなスポーツカー、運転できるわけがない。
「いや、ちょっと! 無理無理無理無理!」
首をブンブン振って真っ青な玲司。
「何言ってんのだ! 生き残るのだろ? 本気見せるのだ!」
美空はバシバシと玲司の背中を叩いた。
「いや、でも……、ど、どうやる……の?」
「これはオートマなのだ。右ペダルがアクセル、左がブレーキ、後はハンドル。おもちゃと一緒」
「おもちゃって言っても……」
と、その時、急に減速し始めた。
ブォォォォン!
シアンが運転を止めてアクセルを放し、エンジンブレーキがかかったのだ。
あわわわ!
「アクセル! アクセル踏むのだ!」
「ど、どれ?」
玲司は足をのばして探し、試しに踏んでみる。
バォンバォォォン!
ひぃぃぃ!
いきなりの急加速で驚いてステアリングを回してしまう。
「だー! なにするのだ! 左! 左! 早く!」
美空が叫ぶ。
対向車線へ大きく膨らんだ車は、キュロロロロ! と、タイヤを鳴らしながら戻ってくるが、今度は歩道めがけて突っ込んでいく。
うわぁぁぁ!
「切りすぎ! 右! 右!」
ひぃぃぃ!
何度か蛇行して、ようやくまっすぐ走れるようになった玲司は、げっそりとして朦朧としながら前を見る。そして、うつろな目でお台場の方に林立するタワマンを見あげた。
「あちゃー! 二台行っちゃったゾ!」
シアンが叫ぶ。
「えっ! 二台って……」
すると、正面から二台の車がこちらに走ってくるのが見えた。
ええっ!?
二車線しかないのに二台やってくる、どう考えてもアウト。それも猛スピードで迫ってくる。もう回避の余地もない。
くわぁぁぁ!
絶体絶命である。どう考えても殺される。玲司は頭を抱え、ただ、その運命を呪った。
一体どこで道を誤ってしまったのだろう。もう玲司の中では走馬灯が回り始めてしまう。
「ハンドル貸すのだ!」
美空がそう叫んで助手席からハンドルをガシッとつかんだ。
えっ?
玲司が唖然としていると、美空は右にハンドルを切って右車線ぎりぎりを走ると、
「アクセル全開の用意をするのだ!」
「そ、そんな、ぶつかっちゃうよ」
「いいから用意!」
美空はそう叫びながらジッと前方をにらんだ。
並んで突っ込んでくる暴走車はさらに速度を上げてくる。
「GO!」
美空はそう叫ぶと、一気にハンドルを左に切った。
17. 90式艦対艦誘導弾
「くぅ! 任せたよ! 信じたからね!」
玲司は目をギュッとつぶって言われた通りアクセルペダルを思いっきり踏みこんだ。
グォォォォン!
吹け上がるV8エンジン。
一気に迫ってくる歩道。
ひぃぃぃ!
そして、一気に右にハンドルを切る美空。
キュロロロロ!
タイヤが鳴き、車体が傾く。
直後、左タイヤが歩道に乗り上げ、歩道の段差のスロープに猛スピードで突っ込む。
ガン!
バンパーの下のスポイラーがスロープに当たり、砕け、そして、車は宙に舞った――――。
破片が陽の光を浴びながらキラキラと舞い散る中、車はまるで飛行機の曲芸飛行、バレルロールのように優雅にくるりと一回転しながら空を飛んだ。
玲司はまるでスローモーションのように景色が回っていくのを見ていた。ビルの景色が回り込み、頭上に車道が見え、そこを二台の車がシュン! と通過していく。
それはジェットコースターに乗っているような、まるで現実感を伴わない映像で、ただただ玲司は圧倒され言葉を失っていた。
バン! キュキュキュキュ――――!
着地した車はタイヤを鳴らしながら暴れたが、美空は冷静にハンドル操作をして態勢を整え、
「へへーん、こんなもんよ!」
と、ドヤ顔で玲司を見てサムアップした。
「美空! すごいゾ!」
シアンは嬉しそうに笑う。
しかし、玲司は困惑していた。確かに絶体絶命の危機は去った。しかし、今のはいったい何だったのだろう? ただのJKが助手席からハンドル操作して宙を舞う、そんなことある訳ないのだ。
もしかして……、夢?
「どうしたのだ?」
「これ……、夢……だよね?」
玲司はうつろな目で美空を見る。
すると、美空は呆れた顔をして、玲司のほほをつねった。
いてててて!
「どう? 夢だった? クフフフ」
「痛いの止めてよ……。夢じゃなかったら、今の一体なんだったの?」
「え? 歩道のスロープ使って飛んだのだ。見てたでしょ?」
美空はさも当たり前かのように言う。
「いやいやいやいや! そんなことできる訳ないじゃん。車運転したことあるの?」
「あたしはJK、運転なんて初めてなのだ。フハハハ」
屈託のない笑顔で笑う美空。
玲司は渋い顔で首を振った。
◇
時は数分ほどさかのぼる――――。
澄み通った青空の下、波も穏やかな横須賀沖にミサイル護衛艦『まや』は停泊し、全長百七十メートルにも達するその威容を誇っていた。青空にまっすぐに伸びる艦橋には六角形のフェイズドアレイレーダーがにらみを利かせ、最新鋭のイージス艦として日本の空を守っている。
その『まや』の艦橋で砲雷長はデータのチェックを行っていた。次の任務へ向けて砲術長などから上がってくるデータを精査し、艦の武装を万全のものとするのが砲雷長の務めだった。
ヴィーン! ヴィーン!
いきなり全艦にけたたましく鳴り響く警報。砲雷長は耳を疑った。それはミサイルが発射される時に鳴る警報なのだ。
今日は日曜で出港準備に出てきているのは自分くらいだったが、艦橋のモニタが次々と明るく点灯し、ミサイル発射準備が勝手に次々と進んでいく。
「バカな! 一体何だこれは!?」
砲雷長は真っ青になった。勝手にミサイルが発射される。それは絶対にあってはならない事だった。
考えられるとしたら誰かが艦のシステムに何かを仕込んだか、外部からハックされたか……。
砲雷長は少し悩んだが、よく考えたら安全装置を外さない限りミサイルは撃てない。電子的な処理だけでミサイルが発射されることなどないのだ。
急いでミサイル管理のモニタへ走り、画面をのぞき込む。
すると、『unlocked』が点滅している。なんと安全装置はすでに解除されていた。
「だ、誰だ――――!」
砲雷長は窓からミサイルサイトを見下ろす。すると、紺色の作業服を着た隊員がミサイルサイトのわきで次々と安全装置を解除しているではないか。唖然とする砲雷長。すると、
「百目鬼様! バンザーイ!」
隊員はそう叫びながら海へと飛び込んでしまった。
「イカン! システムシャットダウン!」
砲雷長は壁のシャットダウンボタンの透明のカバーを叩き割ると、真っ赤なボタンをガチリと押した。これでシステムの電源は落ち、ミサイルは飛ばないはずだった。が、電源は落ちず、画面はただひたすらに発射プロセスを刻んでいる。
「な、なぜだ――――!」
砲雷長は画面を操作しようとするが一切の入力が効かなかった。
直後、
ガン! ブシー!
爆発音に続いて、鮮烈な炎を上げながら白煙を残し、ミサイルは東京湾の青空へと吸い込まれていく。
重さ六百六十キロの巨大なミサイル、それは敵の軍艦を一撃で撃沈させる恐ろしい兵器だった。それが今、音速で東京へ向かってカッ飛んでいる。
砲雷長は呆然としながら、小さくなっていくミサイルの姿をうつろな目で追っていた。
ミサイルが奪われて勝手に発射された、それは自衛隊創設以来、初めての大不祥事であり、砲雷長はガックリと床に崩れ落ちた。
18. 着弾まで十秒!
「あ……」
シアンがまた嫌な声を出す。
「今度は何? お台場まだなの?」
またどうせ嫌なニュースに違いない。玲司は投げやりに言った。
「90式艦対艦誘導弾が横須賀から飛来中だゾ」
「ん? 何それ?」
「重さ六百六十キロのミサイルが音速でやってくるゾ」
「ミ、ミサイル!? どこに?」
「うーん、車には当てらんないからねぇ。この先の橋かな?」
シアンは人差し指をあごに当てて首をかしげる。
「橋を吹き飛ばすってこと? じゃあUターンしないと!」
「後ろには乗っ取られた車たくさんいるゾ」
ひぇっ!
玲司は頭を抱えた。前はミサイル、後ろは暴走車、詰みである。世界征服できる連中を相手にするというのはこういうことなのだ。玲司はどうしたらいいのかさっぱり分からず、ただ、流れる景色をぼーっと見ていた。
「玲司! アクセル全開なのだ!」
そんな腑抜けた玲司にいら立ちを隠さず、美空が叫んだ。
「えっ!? ミサイルが橋落とすんだよ!?」
「当たらなければどうということはないのだ!」
何の根拠があるのか分からないが、美空は断言する。
「橋が落ちちゃったら僕らおしまいだよ?」
「なら落ちる前に通過なのだ! アクセル!」
美空は玲司の右の太ももを力いっぱいパンパンと叩いた。
あぁ、もぅ……。
玲司は大きく息をつくと泣きそうな顔でアクセルを踏み込んだ。
グォォォォン!
V8サウンドが街に響き渡り、サーキットのレースカーレベルの異次元の速さに達していく。
「着弾まで十秒! 九、八、七……」
シアンが秒読みを始める。
見えてきた橋。橋は中央部が盛り上がっていて、向こう側は見えない。
咆哮を上げるエンジン。ぐんぐん上がるスピードメーター。
玲司は涙目で、
「もう、どうにでもなーれ!」
と、つぶやいた。
橋にさしかかった時、フロントガラスの向こう、右上の空に陽の光を受けてキラリと煌めく飛翔体が見えた。
音速で突っ込んでくるミサイル。時速三百キロで駆け抜ける玲司たち。引くことのできない死のチキンレース。
橋の真ん中すぎの下り坂で車体は浮き上がり、宙を舞う。
ブォォォォン!
激しくタイヤが空転し、タコメーターがギューンと振り切れる。
直後、激しい閃光が天地を包み、衝撃波が車を直撃した。
ズン!
「キャ――――!」「うはぁ!」
ななめ後方からの衝撃波をまともに食らった車はバランスを崩し、超高速のままグルグルと縦に回転ながら地面に叩きつけられ、床に落ちた消しゴムみたいに雑にごろごろと転がった。
パン!
エアバッグが一斉に車内のあちこちで開き、玲司は白いバッグに包まれたまま激しい衝撃に耐えていた。
派手にエアロパーツをまき散らしながら、火花を立てながらゴロゴロと転がり、最後は電柱に激突し、逆さまの状態で止まる。そして、プシュー! とラジエターから蒸気を噴き上げた。
「きゃははは! セーフ!」
シアンは楽しそうに笑った。
激しい衝撃を受け続けた玲司は朦朧として動けない。
ケホッケホッ!
隣で美空が咳をしながら、天井に転がってしまった眼鏡を拾った。
「れ、玲司……。生きてるのだ?」
シートベルトを外して天井に降りながら聞く。
「何とか……」
宙づりの玲司もシートベルトを外して天井に降りる。そして、ノソノソと割れた窓からはい出した。
ふぁぁ……。
調子の悪い玲司はゆっくりと伸びをする。脳震盪かもしれない。
遠く橋の方では煙が上がり騒然となっていた。いきなり大爆発が起こって橋が落ちたのだ。それは驚くだろう。
すると、シアンが額に手を当てて言った。
「ダメだ! ドローンが奪われたゾ」
「え? ということは……」
「もうじきやってくるゾ。きゃははは!」
シアンの嬉しそうな笑い声に玲司はムッとして口を尖らせた。
「で、どこに逃げたらいい?」
「うーん、逃げてるだけじゃ負けだからなぁ……」
シアンは小首をかしげ、考え込む。
すると、美空がニヤッと笑って言った。
「下水道なのだ!」
「げ、下水道!? 臭そう……」
「何言ってんのだ! こういう時は下水道って昔から決まっているのだ!」
美空は腰に手を当ててドヤ顔で言う。
「えーと、その先の運河に暗渠があるね。これでデータセンターに近づくって手はあるゾ」
「ほらほら! 急ぐのだ!」
美空は嬉しそうに玲司の手を取るとタッタッタと走り出す。
「えぇ? ちょっと、ホントに?」
玲司は美空がなぜそんなに嬉しいのかよく分からず、渋い顔のまま引かれて行った。
19. 魅惑的な禁断の芸術
「おぉ、あれなのだ!」
柵を超え、運河の護岸の上から身を乗り出して美空が叫ぶ。確かにそこにはぽっかりと人の背丈ほどの穴が開いており、チョロチョロと水が落ちている。
「敵機接近だゾ!」
シアンが空を指さす方向を見上げると、青空の向こうに何か小さな黒い点が動いている。
「あのドローンには三キロの爆弾が搭載されているから、近くで爆発したら死ぬゾ」
「マジかよぉ!」
焦った玲司は急いでひょいひょいと護岸を降りていき、器用な身のこなしでバチャン! と暗渠の水たまりに着地した。
続いて美空が降りてくる。
「上見ちゃダメなのだ!」
え?
つい上を見てしまう玲司。
ワンピースが風で煽られてふんわりと広がる。
スラリとした白い肢体からふくよかに流れるライン、それは禁断の芸術だった。
お、おぉ……。
日ごろ女の子と縁のない玲司にとって、目の前に展開される神々しい世界は刺激が強すぎる。思わず鼻血が出そうになって額を押さえた。
バチャン! と、降り立った美空が座った目で玲司をにらむ。
「見ーたーわーねー」
「い、いやっ! な、なんも見とらんですハイ!」
目を合わせられない玲司。
「天誅!」
バチーン!
この日二度目のビンタが玲司を襲った。
あひぃ!
パチーン! パチーン! と暗渠の中にこだまが響く
悪意があったわけじゃないのに、叩かれてしまう玲司は理不尽さにうなだれる。でも、見た目の幼さとは裏腹な魅惑的なラインに目が釘付けになってしまった以上、それは仕方ないかもしれない。
「じゃれてないで、急がないと突っ込んでくるゾ」
シアンは逆さまになってふわふわと浮かびながら、つまらなそうに忠告する。
「ふんっ!」
美空は不機嫌そうにバチャバチャと水を跳ね上げながら奥へと歩き始めた。
「あぁ、待って!」
玲司は後を追う。
下水道とはいえ、雨が多量に降らなければただの雨水樋なので、臭いも思ったほどひどくはない。
二人はしばし無言で奥へと進んだ。
どこまでも続く暗く狭い暗渠、何百メートルか進んだだろうか、さすがに心細くなってくる。
「ねぇ、これ、どこまで行くの?」
狭い暗渠にボワンボワンと声が反響する。
「さぁ?」
美空はご機嫌斜めである。
「もっと優しくしてやってあげて。ご主人様は美空が大好きなんだゾ」
シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべて美空に言った。
ブフッ!
思わず吹き出してしまう玲司。
美空はくるっと振り返り、まるで汚らわしいものを見るかのような目で玲司を見る。
「なんなのだ? あたしに惚れたの?」
「いや、その……。シアン! ふざけるの止めてよ!」
玲司は真っ赤になってシアンに怒る。
「だって、あの目は惚れてる目だったゾ」
シアンは嬉しそうにくるっと回る。
「あの目っていつの話だよ!」
シアンに対して怒っていると、美空はずいっと玲司の顔をのぞき込む。その透き通るような肌に整った目鼻立ち。まだ幼さが残っているが、ジュニアアイドルとしても十分通用するであろう美貌は、目を放せない魅力を放っている。
「あたしに彼女になってほしいのだ?」
美空は小首をかしげ、ぱっちりとした目をキラリと光らせて聞いた。
「えっ!? か、彼女……?」
玲司はいきなり核心を突かれてドギマギしてしまう。彼女なんていたことない、女っ気のない玲司にとって、こんな可愛い頼もしい彼女がいたらそれは夢のような話である。
とはいえ、今日会ったばかりの娘にいきなり告白だなんて、さすがにやりすぎではないだろうか? きっと美空なら今まで多くの男たちに言い寄られているはずだ。今自分が立候補したって、笑われてからかわれて終わるだけな気もする。
しかし、これはチャンスなのかもしれない。言うか? 言ってしまうか? バクンバクンと心臓が高鳴る。
玲司は奥歯をギュッとかみしめ、大きく息を吸った。
と、その時、美空は腕を×にして、つまらなそうな顔で、
「ブーッ! タイムアップなのだ! 即答できない男はアウト!」
そう言うと、くるっと振り向いてまたバチャバチャと暗渠を歩き出した。
「えっ!? 待って待って! 彼女になって!」
玲司は急いで追いかけるが、美空はチラッと玲司を振り返ると、
「判断が遅い!」
と、低い声で一喝する。
「え?」
唖然とする玲司。
「ご主人様、幸運の女神には前髪しかないんだゾ!」
肩をすくめ、あきれるシアン。
「そ、そんなぁ……」
ガックリと肩を落とす玲司。
すると美空はくるっと振り向いて、
「まぁ、そのうちまたチャンスは来るかもなのだ」
そう言ってパチッとウインクをした。
「お、おぉ、次こそは……」
そう言って、玲司は『自分は美空が好きで、狙っている』という設定になってしまったことに気づいた。さっきまで意識もしていなかったのに。
玲司は今日、全ての人生の歯車が轟音を上げながら回りだしたのを感じていた。
◇
一行はさらに奥へと進む。
「結局これはどこまで行くの?」
玲司はシアンに聞いた。
「行けるまで行った方がいいね、データセンターには近づいているゾ。ふぁーあ」
シアンはあくびをしながらフワフワと浮いてついてくる。
さらに進むと、暗渠は終わり、丸い下水道管が口を開けている。ちょっと人が入るには厳しい感じだった。
「ここまで、かな?」
「仕方ないのだ。玲司は外見てきて」
そう言って上を指した。
上には穴が開いていて手すりが付いている。マンホールに繋がっているようだ。
「ほいきた!」
玲司はヒョイっと手すりに飛びつくと登っていく。美空にいいところを見せねばならない。
一番上まで登るとマンホールを押し上げる。
ぬおぉぉぉ!
重い鋼鉄のマンホールはギギギッと音を上げながら持ち上がり、ガコッと外れた。まぶしい陽の光が中に差し込んでくる。
よいしょっと!
マンホールをずらし、まぶしさに耐えながらそっと顔を出す。
目の前には巨大なガラス張りのオフィスビル。どうやらビルの敷地内のようだ。
日曜ということもあって人影は見えない。
「おーい、大丈夫そうだ」
そう言うと、美空を引き上げる。
そして、シアンに言われた通り、ビルの通用口に走った。
「はい、Suica出して」
はぁ?
シアンがいきなり訳わからないことを言うので戸惑う。
「持ってるでしょ? 交通系ICカード。それをここに当てて」
シアンは通用口のわきの電子錠を指す。
「そりゃぁ持ってるよ? ほら」
玲司は財布からSuicaを取り出すと電子錠にかざす。
ブブ――――!
「ダメじゃん!」
「焦らない、焦らない……。ご主人様のカード番号を読んだだけだからね。それに管理者権限を付与すると……。はいどうぞ」
ニコッと笑うシアン。
「え? もう一回ってこと?」
半信半疑で再度かざすと、ピピッという音がしてロックが外れた。
20. 栄光の中華鍋
「い、いいのかな? 入っちゃって」
玲司は恐る恐るドアノブを回し、中へと進んだ。
「このビル使えば生存確率は63%にまで上がるゾ」
「そ、そうなの? ここで何するの?」
「ここからデータセンターまでは四百メートル。ドローンを奪って爆撃するゾ! おーっ!」
シアンは右こぶしを突き上げて嬉しそうに笑った。
「お、いよいよクライマックスなのだ! いえーぃ!」
美空も真似して右のこぶしを突き上げる。
「それは、凄いけど、どうやって奪うの? 今飛んでるドローンって爆弾積んだ小型飛行機でしょ?」
「あれを使うのさ!」
シアンはニヤッと笑ってビルの中華料理店を指さした。
「中華……料理?」
玲司は首を傾げた。
人気のないビル内で電気を落として閉店している中華料理店。なぜ中華でドローンを奪えるのか全く理解できなかったが、玲司は言われるままに店の裏手へと回った。
そしてSuicaで勝手口を開けて厨房まで行くと、シアンは、
「コレコレ! これをもって上に上がるゾ」
と言って、デカい中華鍋を指さした。
「これでドローンを奪うの?」
玲司は半信半疑で持ち上げてみるが、業務用の中華鍋はずっしりとでかく、思わずふらついた。
◇
上層階のどこかの会社のオフィスに侵入した二人は、全面ガラス張りの会議室に陣取った。
「ガムテープ出して、中華鍋の中央部にピンと張って」
シアンは中華鍋の縁を指さしながら指示する。
玲司は窓ガラスを割る時に使ったガムテープを出すと、ビビビッと貼ってみた。
「上手、上手。そしたらスマホを真ん中にペタリと付けて」
「え? 俺のスマホ?」
渋る玲司を見て、美空は、
「判断が遅い! 言われた通りにするのだ!」
と言いながら玲司の手からスマホをひったくると、ガムテープに貼り付けた。ちょうど中華鍋の真ん中の空中に浮かんだような状態になる。
「上手い上手い。そしたら、鍋をドローンへ向けて」
そう言ってシアンは遠くから旋回してくる飛行機型ドローンを指さした。
「え? 何? これでドローン奪えるの?」
「そうそう、中華鍋はパラボラアンテナだゾ」
つまり、スマホから出たWiFi電波をパラボラアンテナで集めてドローンに集中させるということらしい。こうすると地上からの命令をハックして意のままに操れるようになるのだ。
玲司は重たい中華鍋をお腹に抱えてドローンを狙う。
「ダメダメ、もっと下なのだ!」
美空が玲司の後ろから見ながら照準を担当する。
「こ、こうかな?」
「ダメ! 行き過ぎ!」
シアンは逆さまになって浮かび、神妙な顔で目をつぶりながらじっと何かに集中する。
「上手くいってくれよ、命かかってるんだからな」
玲司はドローンの動きに合わせて中華鍋を動かしながら必死に祈った。
「ビンゴ!」
シアンはそう叫ぶと嬉しそうにくるりと回る。
ドローンは急旋回し、向こうのビルの方へと急降下していく。
「え? 奪えたの?」
玲司がシアンの方を向くと、
「コラコラ! 照準がずれたのだ!」
と、美空が怒った。
「バッチリ! これでデータセンターを爆撃だゾ! きゃははは!」
シアンは右こぶしを突き上げ、シャラーン! という効果音と共に黄金の光の微粒をまき散らすエフェクトをかけた。会議室はキラキラとした光に包まれる。
「やったぁ! 勝利! 勝利! 栄光はわが手に!!」
有頂天になる玲司。
直後、向こうのビルに閃光が走り、黒煙を吹き上げ、ズン! という衝撃波が届いた。
「イエス! イエ――――ス!」
玲司は中華鍋を高々と掲げ、絶叫した。
ずっと命を狙われ続けてきた玲司にとって、攻撃がヒットしたことは人生を取り戻すことであり、喜びを爆発させる。
しかし、そんな浮かれた玲司に、シアンは冷たい声をかける。
「まだ早いゾ!」
えっ?
「まだサーバー本体まで届いてない。もう一発必要だゾ」
「くぅ、まだかよ……」
へなへなと床に座り込む玲司。一回盛り上がってしまった後の肩透かしは辛い。
「はい、はい! 次行くのだ!」
美空は、そんな玲司を早く立ち直らせようと背中をパンパンと叩く。
玲司は何度か大きく深呼吸をして、立ち上がると言った。
「わかったよ。次はどこ?」
「あのビルの右側の奴行くゾ」
「オッケー! よいしょっと!」
玲司はシアンの指先に向けて中華鍋を合わせた。
玲司は納得いかず、シアンに聞く。
「ねぇ、ちょっと! なんでこんなにかっ飛ばしてんの?」
「ん? 百目鬼たちがもうすぐ復旧してくるからだゾ?」
「へ? 復旧……?」
「きっとあと五分もしたら元通りだゾ?」
玲司は言葉を失う。そりゃそうだ。光ファイバーケーブル一本切っただけでデータセンター全体が落ち続ける訳がない。何かしらの対策が施されてるに決まっている。
「ド、ドローンは?」
「今、飛行機型の高速な奴、お台場に向けて飛ばしてるゾ」
「間に合いそう?」
「こればっかりは運でしょ! きゃははは!」
楽しそうに笑うシアンを見て、玲司はため息をつき、ステアリングに頭をうずめた。
勝ち切ったと思っていた勝負にはまだまだ続きがあったのだ。
「でも、ご主人様の生存率は46.7%にまで急上昇だゾ!」
「五割切ってるじゃないか!」
玲司は目をギュッとつぶって喚いた。
「あたしの胸を触ったから罰が当たったのだ!」
美空はジト目で玲司を見る。
「胸って言ってもそんな大層な……」
玲司はそう言いかけて、美空から発せられる殺気にハッとなり、口をつぐむ。
「はぁっ!? 『大層な』何なのだ?」
今にも人を殺しそうな血走った目で美空が玲司をにらむ。
「あ、いや、事故ではあったけど、も、申し訳なかったなって」
「そうよ! 言葉には気を付けるのだ!」
美空はそう言ってプイっとそっぽを向いた。
玲司はなんだか理不尽な言われように、ハァと大きく息をつく。そして、左右に揺さぶられながらシアンのすさまじいドライビングテクニックに身を任せた。
その時だった、
「あ……」
シアンが嫌な声を出す。
「な……、なんだよ?」
シアンがこういう時はろくなことがない。湧き上がる嫌な予感に抗いながら声を絞り出す玲司。
「復旧しちゃった……ゾ」
「復旧って……百目鬼たちが元に戻ったってこと?」
「うん、全力で時間稼ぎするから、運転よろしく。頼んだゾ」
シアンはそう言って目をつぶった。
「はぁっ!?」
高校生にこんなスポーツカー、運転できるわけがない。
「いや、ちょっと! 無理無理無理無理!」
首をブンブン振って真っ青な玲司。
「何言ってんのだ! 生き残るのだろ? 本気見せるのだ!」
美空はバシバシと玲司の背中を叩いた。
「いや、でも……、ど、どうやる……の?」
「これはオートマなのだ。右ペダルがアクセル、左がブレーキ、後はハンドル。おもちゃと一緒」
「おもちゃって言っても……」
と、その時、急に減速し始めた。
ブォォォォン!
シアンが運転を止めてアクセルを放し、エンジンブレーキがかかったのだ。
あわわわ!
「アクセル! アクセル踏むのだ!」
「ど、どれ?」
玲司は足をのばして探し、試しに踏んでみる。
バォンバォォォン!
ひぃぃぃ!
いきなりの急加速で驚いてステアリングを回してしまう。
「だー! なにするのだ! 左! 左! 早く!」
美空が叫ぶ。
対向車線へ大きく膨らんだ車は、キュロロロロ! と、タイヤを鳴らしながら戻ってくるが、今度は歩道めがけて突っ込んでいく。
うわぁぁぁ!
「切りすぎ! 右! 右!」
ひぃぃぃ!
何度か蛇行して、ようやくまっすぐ走れるようになった玲司は、げっそりとして朦朧としながら前を見る。そして、うつろな目でお台場の方に林立するタワマンを見あげた。
「あちゃー! 二台行っちゃったゾ!」
シアンが叫ぶ。
「えっ! 二台って……」
すると、正面から二台の車がこちらに走ってくるのが見えた。
ええっ!?
二車線しかないのに二台やってくる、どう考えてもアウト。それも猛スピードで迫ってくる。もう回避の余地もない。
くわぁぁぁ!
絶体絶命である。どう考えても殺される。玲司は頭を抱え、ただ、その運命を呪った。
一体どこで道を誤ってしまったのだろう。もう玲司の中では走馬灯が回り始めてしまう。
「ハンドル貸すのだ!」
美空がそう叫んで助手席からハンドルをガシッとつかんだ。
えっ?
玲司が唖然としていると、美空は右にハンドルを切って右車線ぎりぎりを走ると、
「アクセル全開の用意をするのだ!」
「そ、そんな、ぶつかっちゃうよ」
「いいから用意!」
美空はそう叫びながらジッと前方をにらんだ。
並んで突っ込んでくる暴走車はさらに速度を上げてくる。
「GO!」
美空はそう叫ぶと、一気にハンドルを左に切った。
17. 90式艦対艦誘導弾
「くぅ! 任せたよ! 信じたからね!」
玲司は目をギュッとつぶって言われた通りアクセルペダルを思いっきり踏みこんだ。
グォォォォン!
吹け上がるV8エンジン。
一気に迫ってくる歩道。
ひぃぃぃ!
そして、一気に右にハンドルを切る美空。
キュロロロロ!
タイヤが鳴き、車体が傾く。
直後、左タイヤが歩道に乗り上げ、歩道の段差のスロープに猛スピードで突っ込む。
ガン!
バンパーの下のスポイラーがスロープに当たり、砕け、そして、車は宙に舞った――――。
破片が陽の光を浴びながらキラキラと舞い散る中、車はまるで飛行機の曲芸飛行、バレルロールのように優雅にくるりと一回転しながら空を飛んだ。
玲司はまるでスローモーションのように景色が回っていくのを見ていた。ビルの景色が回り込み、頭上に車道が見え、そこを二台の車がシュン! と通過していく。
それはジェットコースターに乗っているような、まるで現実感を伴わない映像で、ただただ玲司は圧倒され言葉を失っていた。
バン! キュキュキュキュ――――!
着地した車はタイヤを鳴らしながら暴れたが、美空は冷静にハンドル操作をして態勢を整え、
「へへーん、こんなもんよ!」
と、ドヤ顔で玲司を見てサムアップした。
「美空! すごいゾ!」
シアンは嬉しそうに笑う。
しかし、玲司は困惑していた。確かに絶体絶命の危機は去った。しかし、今のはいったい何だったのだろう? ただのJKが助手席からハンドル操作して宙を舞う、そんなことある訳ないのだ。
もしかして……、夢?
「どうしたのだ?」
「これ……、夢……だよね?」
玲司はうつろな目で美空を見る。
すると、美空は呆れた顔をして、玲司のほほをつねった。
いてててて!
「どう? 夢だった? クフフフ」
「痛いの止めてよ……。夢じゃなかったら、今の一体なんだったの?」
「え? 歩道のスロープ使って飛んだのだ。見てたでしょ?」
美空はさも当たり前かのように言う。
「いやいやいやいや! そんなことできる訳ないじゃん。車運転したことあるの?」
「あたしはJK、運転なんて初めてなのだ。フハハハ」
屈託のない笑顔で笑う美空。
玲司は渋い顔で首を振った。
◇
時は数分ほどさかのぼる――――。
澄み通った青空の下、波も穏やかな横須賀沖にミサイル護衛艦『まや』は停泊し、全長百七十メートルにも達するその威容を誇っていた。青空にまっすぐに伸びる艦橋には六角形のフェイズドアレイレーダーがにらみを利かせ、最新鋭のイージス艦として日本の空を守っている。
その『まや』の艦橋で砲雷長はデータのチェックを行っていた。次の任務へ向けて砲術長などから上がってくるデータを精査し、艦の武装を万全のものとするのが砲雷長の務めだった。
ヴィーン! ヴィーン!
いきなり全艦にけたたましく鳴り響く警報。砲雷長は耳を疑った。それはミサイルが発射される時に鳴る警報なのだ。
今日は日曜で出港準備に出てきているのは自分くらいだったが、艦橋のモニタが次々と明るく点灯し、ミサイル発射準備が勝手に次々と進んでいく。
「バカな! 一体何だこれは!?」
砲雷長は真っ青になった。勝手にミサイルが発射される。それは絶対にあってはならない事だった。
考えられるとしたら誰かが艦のシステムに何かを仕込んだか、外部からハックされたか……。
砲雷長は少し悩んだが、よく考えたら安全装置を外さない限りミサイルは撃てない。電子的な処理だけでミサイルが発射されることなどないのだ。
急いでミサイル管理のモニタへ走り、画面をのぞき込む。
すると、『unlocked』が点滅している。なんと安全装置はすでに解除されていた。
「だ、誰だ――――!」
砲雷長は窓からミサイルサイトを見下ろす。すると、紺色の作業服を着た隊員がミサイルサイトのわきで次々と安全装置を解除しているではないか。唖然とする砲雷長。すると、
「百目鬼様! バンザーイ!」
隊員はそう叫びながら海へと飛び込んでしまった。
「イカン! システムシャットダウン!」
砲雷長は壁のシャットダウンボタンの透明のカバーを叩き割ると、真っ赤なボタンをガチリと押した。これでシステムの電源は落ち、ミサイルは飛ばないはずだった。が、電源は落ちず、画面はただひたすらに発射プロセスを刻んでいる。
「な、なぜだ――――!」
砲雷長は画面を操作しようとするが一切の入力が効かなかった。
直後、
ガン! ブシー!
爆発音に続いて、鮮烈な炎を上げながら白煙を残し、ミサイルは東京湾の青空へと吸い込まれていく。
重さ六百六十キロの巨大なミサイル、それは敵の軍艦を一撃で撃沈させる恐ろしい兵器だった。それが今、音速で東京へ向かってカッ飛んでいる。
砲雷長は呆然としながら、小さくなっていくミサイルの姿をうつろな目で追っていた。
ミサイルが奪われて勝手に発射された、それは自衛隊創設以来、初めての大不祥事であり、砲雷長はガックリと床に崩れ落ちた。
18. 着弾まで十秒!
「あ……」
シアンがまた嫌な声を出す。
「今度は何? お台場まだなの?」
またどうせ嫌なニュースに違いない。玲司は投げやりに言った。
「90式艦対艦誘導弾が横須賀から飛来中だゾ」
「ん? 何それ?」
「重さ六百六十キロのミサイルが音速でやってくるゾ」
「ミ、ミサイル!? どこに?」
「うーん、車には当てらんないからねぇ。この先の橋かな?」
シアンは人差し指をあごに当てて首をかしげる。
「橋を吹き飛ばすってこと? じゃあUターンしないと!」
「後ろには乗っ取られた車たくさんいるゾ」
ひぇっ!
玲司は頭を抱えた。前はミサイル、後ろは暴走車、詰みである。世界征服できる連中を相手にするというのはこういうことなのだ。玲司はどうしたらいいのかさっぱり分からず、ただ、流れる景色をぼーっと見ていた。
「玲司! アクセル全開なのだ!」
そんな腑抜けた玲司にいら立ちを隠さず、美空が叫んだ。
「えっ!? ミサイルが橋落とすんだよ!?」
「当たらなければどうということはないのだ!」
何の根拠があるのか分からないが、美空は断言する。
「橋が落ちちゃったら僕らおしまいだよ?」
「なら落ちる前に通過なのだ! アクセル!」
美空は玲司の右の太ももを力いっぱいパンパンと叩いた。
あぁ、もぅ……。
玲司は大きく息をつくと泣きそうな顔でアクセルを踏み込んだ。
グォォォォン!
V8サウンドが街に響き渡り、サーキットのレースカーレベルの異次元の速さに達していく。
「着弾まで十秒! 九、八、七……」
シアンが秒読みを始める。
見えてきた橋。橋は中央部が盛り上がっていて、向こう側は見えない。
咆哮を上げるエンジン。ぐんぐん上がるスピードメーター。
玲司は涙目で、
「もう、どうにでもなーれ!」
と、つぶやいた。
橋にさしかかった時、フロントガラスの向こう、右上の空に陽の光を受けてキラリと煌めく飛翔体が見えた。
音速で突っ込んでくるミサイル。時速三百キロで駆け抜ける玲司たち。引くことのできない死のチキンレース。
橋の真ん中すぎの下り坂で車体は浮き上がり、宙を舞う。
ブォォォォン!
激しくタイヤが空転し、タコメーターがギューンと振り切れる。
直後、激しい閃光が天地を包み、衝撃波が車を直撃した。
ズン!
「キャ――――!」「うはぁ!」
ななめ後方からの衝撃波をまともに食らった車はバランスを崩し、超高速のままグルグルと縦に回転ながら地面に叩きつけられ、床に落ちた消しゴムみたいに雑にごろごろと転がった。
パン!
エアバッグが一斉に車内のあちこちで開き、玲司は白いバッグに包まれたまま激しい衝撃に耐えていた。
派手にエアロパーツをまき散らしながら、火花を立てながらゴロゴロと転がり、最後は電柱に激突し、逆さまの状態で止まる。そして、プシュー! とラジエターから蒸気を噴き上げた。
「きゃははは! セーフ!」
シアンは楽しそうに笑った。
激しい衝撃を受け続けた玲司は朦朧として動けない。
ケホッケホッ!
隣で美空が咳をしながら、天井に転がってしまった眼鏡を拾った。
「れ、玲司……。生きてるのだ?」
シートベルトを外して天井に降りながら聞く。
「何とか……」
宙づりの玲司もシートベルトを外して天井に降りる。そして、ノソノソと割れた窓からはい出した。
ふぁぁ……。
調子の悪い玲司はゆっくりと伸びをする。脳震盪かもしれない。
遠く橋の方では煙が上がり騒然となっていた。いきなり大爆発が起こって橋が落ちたのだ。それは驚くだろう。
すると、シアンが額に手を当てて言った。
「ダメだ! ドローンが奪われたゾ」
「え? ということは……」
「もうじきやってくるゾ。きゃははは!」
シアンの嬉しそうな笑い声に玲司はムッとして口を尖らせた。
「で、どこに逃げたらいい?」
「うーん、逃げてるだけじゃ負けだからなぁ……」
シアンは小首をかしげ、考え込む。
すると、美空がニヤッと笑って言った。
「下水道なのだ!」
「げ、下水道!? 臭そう……」
「何言ってんのだ! こういう時は下水道って昔から決まっているのだ!」
美空は腰に手を当ててドヤ顔で言う。
「えーと、その先の運河に暗渠があるね。これでデータセンターに近づくって手はあるゾ」
「ほらほら! 急ぐのだ!」
美空は嬉しそうに玲司の手を取るとタッタッタと走り出す。
「えぇ? ちょっと、ホントに?」
玲司は美空がなぜそんなに嬉しいのかよく分からず、渋い顔のまま引かれて行った。
19. 魅惑的な禁断の芸術
「おぉ、あれなのだ!」
柵を超え、運河の護岸の上から身を乗り出して美空が叫ぶ。確かにそこにはぽっかりと人の背丈ほどの穴が開いており、チョロチョロと水が落ちている。
「敵機接近だゾ!」
シアンが空を指さす方向を見上げると、青空の向こうに何か小さな黒い点が動いている。
「あのドローンには三キロの爆弾が搭載されているから、近くで爆発したら死ぬゾ」
「マジかよぉ!」
焦った玲司は急いでひょいひょいと護岸を降りていき、器用な身のこなしでバチャン! と暗渠の水たまりに着地した。
続いて美空が降りてくる。
「上見ちゃダメなのだ!」
え?
つい上を見てしまう玲司。
ワンピースが風で煽られてふんわりと広がる。
スラリとした白い肢体からふくよかに流れるライン、それは禁断の芸術だった。
お、おぉ……。
日ごろ女の子と縁のない玲司にとって、目の前に展開される神々しい世界は刺激が強すぎる。思わず鼻血が出そうになって額を押さえた。
バチャン! と、降り立った美空が座った目で玲司をにらむ。
「見ーたーわーねー」
「い、いやっ! な、なんも見とらんですハイ!」
目を合わせられない玲司。
「天誅!」
バチーン!
この日二度目のビンタが玲司を襲った。
あひぃ!
パチーン! パチーン! と暗渠の中にこだまが響く
悪意があったわけじゃないのに、叩かれてしまう玲司は理不尽さにうなだれる。でも、見た目の幼さとは裏腹な魅惑的なラインに目が釘付けになってしまった以上、それは仕方ないかもしれない。
「じゃれてないで、急がないと突っ込んでくるゾ」
シアンは逆さまになってふわふわと浮かびながら、つまらなそうに忠告する。
「ふんっ!」
美空は不機嫌そうにバチャバチャと水を跳ね上げながら奥へと歩き始めた。
「あぁ、待って!」
玲司は後を追う。
下水道とはいえ、雨が多量に降らなければただの雨水樋なので、臭いも思ったほどひどくはない。
二人はしばし無言で奥へと進んだ。
どこまでも続く暗く狭い暗渠、何百メートルか進んだだろうか、さすがに心細くなってくる。
「ねぇ、これ、どこまで行くの?」
狭い暗渠にボワンボワンと声が反響する。
「さぁ?」
美空はご機嫌斜めである。
「もっと優しくしてやってあげて。ご主人様は美空が大好きなんだゾ」
シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべて美空に言った。
ブフッ!
思わず吹き出してしまう玲司。
美空はくるっと振り返り、まるで汚らわしいものを見るかのような目で玲司を見る。
「なんなのだ? あたしに惚れたの?」
「いや、その……。シアン! ふざけるの止めてよ!」
玲司は真っ赤になってシアンに怒る。
「だって、あの目は惚れてる目だったゾ」
シアンは嬉しそうにくるっと回る。
「あの目っていつの話だよ!」
シアンに対して怒っていると、美空はずいっと玲司の顔をのぞき込む。その透き通るような肌に整った目鼻立ち。まだ幼さが残っているが、ジュニアアイドルとしても十分通用するであろう美貌は、目を放せない魅力を放っている。
「あたしに彼女になってほしいのだ?」
美空は小首をかしげ、ぱっちりとした目をキラリと光らせて聞いた。
「えっ!? か、彼女……?」
玲司はいきなり核心を突かれてドギマギしてしまう。彼女なんていたことない、女っ気のない玲司にとって、こんな可愛い頼もしい彼女がいたらそれは夢のような話である。
とはいえ、今日会ったばかりの娘にいきなり告白だなんて、さすがにやりすぎではないだろうか? きっと美空なら今まで多くの男たちに言い寄られているはずだ。今自分が立候補したって、笑われてからかわれて終わるだけな気もする。
しかし、これはチャンスなのかもしれない。言うか? 言ってしまうか? バクンバクンと心臓が高鳴る。
玲司は奥歯をギュッとかみしめ、大きく息を吸った。
と、その時、美空は腕を×にして、つまらなそうな顔で、
「ブーッ! タイムアップなのだ! 即答できない男はアウト!」
そう言うと、くるっと振り向いてまたバチャバチャと暗渠を歩き出した。
「えっ!? 待って待って! 彼女になって!」
玲司は急いで追いかけるが、美空はチラッと玲司を振り返ると、
「判断が遅い!」
と、低い声で一喝する。
「え?」
唖然とする玲司。
「ご主人様、幸運の女神には前髪しかないんだゾ!」
肩をすくめ、あきれるシアン。
「そ、そんなぁ……」
ガックリと肩を落とす玲司。
すると美空はくるっと振り向いて、
「まぁ、そのうちまたチャンスは来るかもなのだ」
そう言ってパチッとウインクをした。
「お、おぉ、次こそは……」
そう言って、玲司は『自分は美空が好きで、狙っている』という設定になってしまったことに気づいた。さっきまで意識もしていなかったのに。
玲司は今日、全ての人生の歯車が轟音を上げながら回りだしたのを感じていた。
◇
一行はさらに奥へと進む。
「結局これはどこまで行くの?」
玲司はシアンに聞いた。
「行けるまで行った方がいいね、データセンターには近づいているゾ。ふぁーあ」
シアンはあくびをしながらフワフワと浮いてついてくる。
さらに進むと、暗渠は終わり、丸い下水道管が口を開けている。ちょっと人が入るには厳しい感じだった。
「ここまで、かな?」
「仕方ないのだ。玲司は外見てきて」
そう言って上を指した。
上には穴が開いていて手すりが付いている。マンホールに繋がっているようだ。
「ほいきた!」
玲司はヒョイっと手すりに飛びつくと登っていく。美空にいいところを見せねばならない。
一番上まで登るとマンホールを押し上げる。
ぬおぉぉぉ!
重い鋼鉄のマンホールはギギギッと音を上げながら持ち上がり、ガコッと外れた。まぶしい陽の光が中に差し込んでくる。
よいしょっと!
マンホールをずらし、まぶしさに耐えながらそっと顔を出す。
目の前には巨大なガラス張りのオフィスビル。どうやらビルの敷地内のようだ。
日曜ということもあって人影は見えない。
「おーい、大丈夫そうだ」
そう言うと、美空を引き上げる。
そして、シアンに言われた通り、ビルの通用口に走った。
「はい、Suica出して」
はぁ?
シアンがいきなり訳わからないことを言うので戸惑う。
「持ってるでしょ? 交通系ICカード。それをここに当てて」
シアンは通用口のわきの電子錠を指す。
「そりゃぁ持ってるよ? ほら」
玲司は財布からSuicaを取り出すと電子錠にかざす。
ブブ――――!
「ダメじゃん!」
「焦らない、焦らない……。ご主人様のカード番号を読んだだけだからね。それに管理者権限を付与すると……。はいどうぞ」
ニコッと笑うシアン。
「え? もう一回ってこと?」
半信半疑で再度かざすと、ピピッという音がしてロックが外れた。
20. 栄光の中華鍋
「い、いいのかな? 入っちゃって」
玲司は恐る恐るドアノブを回し、中へと進んだ。
「このビル使えば生存確率は63%にまで上がるゾ」
「そ、そうなの? ここで何するの?」
「ここからデータセンターまでは四百メートル。ドローンを奪って爆撃するゾ! おーっ!」
シアンは右こぶしを突き上げて嬉しそうに笑った。
「お、いよいよクライマックスなのだ! いえーぃ!」
美空も真似して右のこぶしを突き上げる。
「それは、凄いけど、どうやって奪うの? 今飛んでるドローンって爆弾積んだ小型飛行機でしょ?」
「あれを使うのさ!」
シアンはニヤッと笑ってビルの中華料理店を指さした。
「中華……料理?」
玲司は首を傾げた。
人気のないビル内で電気を落として閉店している中華料理店。なぜ中華でドローンを奪えるのか全く理解できなかったが、玲司は言われるままに店の裏手へと回った。
そしてSuicaで勝手口を開けて厨房まで行くと、シアンは、
「コレコレ! これをもって上に上がるゾ」
と言って、デカい中華鍋を指さした。
「これでドローンを奪うの?」
玲司は半信半疑で持ち上げてみるが、業務用の中華鍋はずっしりとでかく、思わずふらついた。
◇
上層階のどこかの会社のオフィスに侵入した二人は、全面ガラス張りの会議室に陣取った。
「ガムテープ出して、中華鍋の中央部にピンと張って」
シアンは中華鍋の縁を指さしながら指示する。
玲司は窓ガラスを割る時に使ったガムテープを出すと、ビビビッと貼ってみた。
「上手、上手。そしたらスマホを真ん中にペタリと付けて」
「え? 俺のスマホ?」
渋る玲司を見て、美空は、
「判断が遅い! 言われた通りにするのだ!」
と言いながら玲司の手からスマホをひったくると、ガムテープに貼り付けた。ちょうど中華鍋の真ん中の空中に浮かんだような状態になる。
「上手い上手い。そしたら、鍋をドローンへ向けて」
そう言ってシアンは遠くから旋回してくる飛行機型ドローンを指さした。
「え? 何? これでドローン奪えるの?」
「そうそう、中華鍋はパラボラアンテナだゾ」
つまり、スマホから出たWiFi電波をパラボラアンテナで集めてドローンに集中させるということらしい。こうすると地上からの命令をハックして意のままに操れるようになるのだ。
玲司は重たい中華鍋をお腹に抱えてドローンを狙う。
「ダメダメ、もっと下なのだ!」
美空が玲司の後ろから見ながら照準を担当する。
「こ、こうかな?」
「ダメ! 行き過ぎ!」
シアンは逆さまになって浮かび、神妙な顔で目をつぶりながらじっと何かに集中する。
「上手くいってくれよ、命かかってるんだからな」
玲司はドローンの動きに合わせて中華鍋を動かしながら必死に祈った。
「ビンゴ!」
シアンはそう叫ぶと嬉しそうにくるりと回る。
ドローンは急旋回し、向こうのビルの方へと急降下していく。
「え? 奪えたの?」
玲司がシアンの方を向くと、
「コラコラ! 照準がずれたのだ!」
と、美空が怒った。
「バッチリ! これでデータセンターを爆撃だゾ! きゃははは!」
シアンは右こぶしを突き上げ、シャラーン! という効果音と共に黄金の光の微粒をまき散らすエフェクトをかけた。会議室はキラキラとした光に包まれる。
「やったぁ! 勝利! 勝利! 栄光はわが手に!!」
有頂天になる玲司。
直後、向こうのビルに閃光が走り、黒煙を吹き上げ、ズン! という衝撃波が届いた。
「イエス! イエ――――ス!」
玲司は中華鍋を高々と掲げ、絶叫した。
ずっと命を狙われ続けてきた玲司にとって、攻撃がヒットしたことは人生を取り戻すことであり、喜びを爆発させる。
しかし、そんな浮かれた玲司に、シアンは冷たい声をかける。
「まだ早いゾ!」
えっ?
「まだサーバー本体まで届いてない。もう一発必要だゾ」
「くぅ、まだかよ……」
へなへなと床に座り込む玲司。一回盛り上がってしまった後の肩透かしは辛い。
「はい、はい! 次行くのだ!」
美空は、そんな玲司を早く立ち直らせようと背中をパンパンと叩く。
玲司は何度か大きく深呼吸をして、立ち上がると言った。
「わかったよ。次はどこ?」
「あのビルの右側の奴行くゾ」
「オッケー! よいしょっと!」
玲司はシアンの指先に向けて中華鍋を合わせた。