健くんは笑って見ていたけれど。
悠馬くんは、
「はい、飲み過ぎー。離れろ、酔っ払い」
と、弘樹くんをあたし達から離してくれた。
「悠馬くん、優しい〜」
と、南が本当にときめいた顔をしてみせたら、そこで健くんが慌てて、
「南ちゃん、オレだって優しいよ?」
と、言った。
そんなふたりを放っておいて悠馬くんは、
「大丈夫?イヤだったよな、ごめんな」
と、あたしを気遣ってくれた。
(あぁ、ダメだ。好きになっちゃうよ)
ただ、カッコいいって。
いいな、この人って。
思っていただけなのに。
(知れば知るほど、好きになっていっちゃう)
テーブルに置いた、悠馬くんの手。
細いけれど、骨張ってる。
爪が短くて、それがまた、あたしの悠馬くんへの印象を良くした。
(この手に触れたい)
強く思った。
触れても、許してもらえる女の子になりたい。
時間は過ぎて。
健くんと南は、『ベイビー・サンデー』の話をしている。
「『ベビ・サン』はさー、オレが作ったようなもんなんだよー。バンドがやりたい!って思ってさー、悠馬を誘ってさー……」
だんだん自慢話と化している健くんに、南は辛抱強くうなずいている。
「健、そのへんにしとけよ。お前も酔ってきてるぞ」
悠馬くんが南に、
「ごめんね」
と、小さな声で言う。
他の二人に「しっかりしろよ」と声をかけつつ、悠馬くんはあたし達への気配りも忘れない。
(もう、認めよう)
あたしは、悠馬くんが好きになっちゃったんだ。
今夜、初めて見て。
初めて話しただけなんだけど。
(好きにならずにはいられない)
優しくて。
紳士的。
頼もしいし。
何より、カッコいい。
(恋って、こんなに急激に始まるんだな)
過去に恋に落ちた瞬間を思い出そうとしたけれど、それは思い出せなかった。
『カクテル・バー レオン』を出て。
時計を見ると、23時になる頃。
健くんと南ちゃんは、ニコニコ笑って「じゃあね」と、ふたりで夜の街に消えて行った。
あたしは帰ろうと思っていたけれど。
「もう少し二人で話そうよ、鞠奈ちゃん」
と、他の誰でもない悠馬くんが言った。
夜の公園。
リンリンと、秋の虫の声。
ベンチに座って、あたしの恋心は、さっきから勝手にどんどん膨らんでいる。
「鞠奈ちゃんって、普段何してる人?」
ベンチの隣。
悠馬くんが、あたしを見ている。
「だ、大学生です。B大学の、2回生。20歳です」
「なんだ、タメじゃん」
「……タメですね」
悠馬くんは「あはっ」と笑って、
「鞠奈ちゃん、緊張してる?」
と、私の顔をのぞきこんだ。
その時。
肩と肩が触れて。
私の体がビクッと震えた。
顔が真っ赤になるのがわかる。
(あぁ、冷静になって。お願い、あたし)
そっと悠馬くんのほうを見た。
触れてしまいそうな距離に。
悠馬くんの唇を見つけた。
「鞠奈ちゃん」
悠馬くんの声が、耳に甘く響く。
目が合った。
「……あの、悠馬くん」
「何?」
(こういうこと、あたしから聞くのって変なのかな?)
キスをしてもいい?って。
冷静な心がどこかへ飛んでいっちゃったみたい。
心臓が破裂しそうに動いている。
唇をそっと寄せるように、あたしは目を閉じた。
……だけど。
「ごめん、ちょっと待って」
悠馬くんがあたしから離れた。
(あ……、何これ)
ものすごく恥ずかしい気持ちが、足元から脳内めがけて走ってくる。
「ご、ごめんなさい!」
と、思わず謝る。
「あ、待って。誤解しないで。嫌じゃないから」
「え?」
悠馬くんはくしゃっと笑って、
「ごめん。完全にオレが悪い」
と、うつむいた。
それから、
「オレ、恋人がいるんだ」
と、呟く。
「え、えっ!?」
恋人がいる?
そんな人に、あたし、あたし……!!
ほとんどパニック状態になる。
(そうだよね?こんなにカッコいいんだもん!恋人がいないはずないじゃない)
「鞠奈ちゃん?」
「あ、あの、本当になんてお詫びしたらいいのか……!」
そう言いつつ、あたしの目には涙が溢れてきた。
だって。
告白も出来ないまま、終わるんだもん。
生まれたばかりの恋は。
朝日を見ることなく、終わってしまうんだ。
「落ち着こっか。深呼吸してみ?」
まるで小さな子どもをあやすみたいに、悠馬くんはあたしに言う。
それからあたしの背中をポンポンして。
「なんだよー、泣くなってー」
と、嬉しそうに笑った。
悪魔かもしれない。
人の気も知らないで。
(笑わないで)
悪魔みたいにキレイなその笑顔に、また恋しちゃうから。
そう思いつつも。
あたしは。
ポンポンとさすられる背中から。
どっぷりと溺れていくのを感じた。
あれから数日が経っても。
あたしの頭の中は悠馬くんでいっぱいだった。
大好きな、聴き慣れたラブソングじゃ物足りない。
悠馬くんの、あの歌声を欲している。
推しだと思っていた俳優のドラマを観ても、ときめかなかった。
悠馬くんがいい。
その声で。
あたしを呼んでほしい。
その声で。
あたしを歌ってよ。
大学の食堂で。
南と並んで、中華そばを食べている。
「安いけど美味しいって、最高じゃんね?」
南がハフハフ言いながら、中華そばを食べている。
「うん、美味しい……」
と、一応返事するものの、あたしはどこかうわの空だった。
「でもさー、ねぎがめっちゃ入ってるじゃん?私、ねぎ苦手なんだよねー。でも美味しいし、安いし、我慢できるっていうかー」
「我慢できるよね……」
「?……鞠奈、アンタ、私の話聞いてないでしょ?」
と、南は噴き出して、あたしの隣で大笑いしている。
「あっ、ごめん、本当に聞いてなかった」
「だろうね」
しばらく二人で黙って食べ続けたけれど、沈黙を破ったのは、先に食べ終わった南だった。
「私、健くんに告白する」
「……えっ、え!?南って健くんと付き合ってないの!?」
驚いた。
だって、この間あんなに仲良しだったし、あの後だって……。
「付き合ってないんだよなぁ〜、本当は告白されるの、待ってたんだ。だけどさー、健くんってそういうの、言葉にちゃんとしてくれないっていうか」
「……」
「私、都合のいいような、曖昧な存在にはなりたくないんだよね。ちゃんと恋人っていう確固たるものになりたい。だから、告白する!」
「うん」
南も自分で何度もうなずきつつ、
「それでダメだったら、きっぱり諦める!このままじゃ私、望まない関係になりそうだって、この前の夜に悟ったから!」
と、力強く言った。
「応援する」
あたしはそう言って、やっと食べ終わった中華そばの器に箸を置いた。
「応援なんて、いらない」
南の意外な言葉に驚く。
「応援してくれなくてもいいから、鞠奈も頑張ってほしいよ」
と、南は言って、
「悠馬くんのこと、好きになっちゃったんでしょう?」
と、あたしに一枚のガムをくれた。
「……恋人がいるらしいよ」
あたしはガムを口に放り込み、食器を返却する。
「それがどうした、乙女よ!恋する気持ちに変わりないじゃないか」
なんて、南はおどけてみせてから、
「気持ちを伝えることはしないの?」
と言って、私と同じように、口の中にガムを放り込んだ。
「告白、ねぇ」
「告白しなくちゃ、何も始まらないよ」
「始まらない?」
南はうなずいて、
「悠馬くんを好きなままで、他の人と恋なんか出来ないよ。イヤな言い方するけれど、次に進むためにも、鞠奈は告白しなくちゃ」
と、言った。
「次に進む……」
悠馬くんの先に、「次」があるのかな。
なんだか悠馬くんへの想いが強烈過ぎて、その先に行っても「次」なんて無い気すらする。
「よし、いい事を教えてしんぜよう」
南はふざけつつ、あたしの肩を抱いて耳打ちした。
「悠馬くん、M駅前のコンビニでバイトしてるって。夕方に行くと会えるかも、よ?」
「M駅前の、コンビニ」
「そ。行ってきな。気持ち伝えなよ」
「……」
あたしは午後の授業を受けつつ、考えていた。
(告白、かぁ)
確実に振られる。
だって恋人がいるんだよ?
……ううん、恋人がもしいなかったとしても。
あたしを選んでくれるとは、限らない。
(そっか)
恋人がいようが、いまいが、結果がうまくいくことばかりじゃない。
(だったら、気持ちを伝えるくらい、許されるよね?)
この恋心を、このまま消滅させるくらいなら。
思いっきり気持ちをぶつけてから消滅させてもいいじゃん。
夕方。
M駅にやって来た。
駅前のコンビニは、すぐに見つかった。
(本当に悠馬くん、いるかな?)