南と別れてあたしは、家に帰るために電車に乗った。
最寄り駅に着いて。
ずっと暮らしているマンションの前まで帰って来たら。
(悠馬くんに会いたい)
と、強く思った。
会ったところで、どうするんだろう。
あたしは、どうしたいんだろう?
(でも、会いたい)
六年間。
ずっと。
連絡できなかったけれど。
(悠馬くんへの気持ちは、変わらなかった)
マンションの中。
あたしの部屋の前に。
もしも。
もしも、悠馬くんが居たら。
(どんなに嬉しいんだろう)
だけど、そんな淡い期待は。
やっぱり叶うわけのない夢みたいなもので。
部屋の前に着いても。
誰もいない。
鍵を探して。
鞄の中をあさる。
見つけた鍵を手に、玄関のドアを開けた。
部屋の中。
あたしはスマートフォンを取り出した。
悠馬くんからの返事を、待っている自分を見つけて。
なんだか悲しかった。
悠馬くんの連絡先が変わっていなかったこと。
あたしの歌を歌ってくれたこと。
(……期待してもいいの?)
そう思ってしまう自分は。
あたしの中に確かに存在して。
だけど、冷静な心が言っている。
なぜ、あたしの歌って断定できるの?
あんな別れ方したのに?
六年間、一度も連絡をしていないのに?
望んだ未来はもうないって、わかっているはずなのに?
「あー、ダメだ」
声に出して、暗い考えを追い払う。
「大丈夫、落ち着こう……」
そう呟いた、その時。
ヴヴヴ。
スマートフォンが振動した。
あたしの心臓が飛び跳ねて。
漫画みたいに胸から出て行ったような感覚だった。
だって。
手に取ったスマートフォンの画面には、悠馬くんの名前が表示されているから。
メッセージの着信だと思っていたけれど、電話がかかってきているとわかって、更にあたしは緊張した。
「……もしもし」
緊張した声で、電話に出た。
電話の向こう。
悠馬くんがかすかに笑ったような気配。
『もしもし、鞠奈?』
六年ぶりの、悠馬くんの声。
六年ぶりに、その声であたしを呼んでくれた。
「悠馬くん、久しぶり」
『うん。元気だった?』
「元気だよ。あたし、先生になる夢、叶えたよ」
悠馬くんは「すごいじゃん」と言って、
「良かったな。鞠奈、頑張ったんだな」
と、優しい声で言ってくれた。
(泣きそう……)
悠馬くんはどこにいるんだろう?
電話越しじゃ歯痒くて。
「悠馬く……」
と、声をかけたその時。
窓の外で救急車のサイレンの音。
『救急車が通ります』という音声が流れている。
サイレンの音が。
その音声が。
電話の向こうからも聞こえてきた。
「悠馬くん、今、どこにいるの?」
あたしの声が少し震えた。
『……』
「……ねぇ、どこ?」
『……鞠奈、今もこのマンションに住んでいるの?』
ぶわっと。
足元から体温が頭めがけて、かけのぼっていくみたいな、妙な感覚。
気づいたらあたしは。
部屋を飛び出して。
マンションの入り口まで走っていた。
マンションの入り口。
植え込みの前に。
金色に輝く髪の、男性がひとり。
「悠馬くんっ!」
かけ寄って、名前を呼んだ。
悠馬くんはこちらを見て、
「鞠奈」
と、顔をほころばせた。
それから、
「ごめん。こんなところまで来て」
と、小さく頭をかいた。
「ううん、嬉しい」
あたしは笑顔で、
「デビュー、おめでとう!頑張ったんだね」
と、伝えた。
「うん。……やっと、実ったよ。オレの夢」
その言葉に。
悠馬くん達、『ベイビー・サンデー』の。
努力と。
苦労が。
滲んでいる気がした。
「『運命の片想い』、聴いたよ」
悠馬くんはうつむいて、
「うん」
と、うなずいた。
「あの曲を聴いた時、思っちゃったの。あぁ、あたしの曲だって。あたしだけの、悠馬くんの歌だって」
悠馬くんの反応が少し怖くてドキドキしながらそう言うと、悠馬くんは優しい声で、
「うん。鞠奈に届いて良かった」
と、言ってくれた。
「……なんで、『運命の片想い』なの?片想いって……?」
あたしはあの曲を聴いた時に、真っ先に思った感想を伝えた。
だって。
あたしは。
悠馬くんと両想いだったよね?
そうだよね?
「……鞠奈と過ごしたあの時間さ」
と、悠馬くんは話し出した。
「オレ、すっごい幸せだったよ。可愛い恋人ができて、好きだって言ってもらえて」
「うん」
「でも、どんなに恋人の時間を過ごしてもさ、どんなに好きって言われても」
悠馬くんはそこで言葉を切って、顔をあげた。
あたしをまっすぐに見つめる。
「オレだけが恋しているみたいな気がしてた。片想いをずっとしているみたいな、淋しい気持ちだった」
え?
あたしは「違う」と、呟いた。
悠馬くんが「違うの?」と、問いかけるように言って、
「だって、鞠奈は。オレのことをずっと見てなかったから。信じてくれなかったよね?」
と、笑顔を作った。
無理矢理に笑っていることがわかるから、胸の奥が締めつけられた。
「……ごめん、こんなこと言いに来たんじゃない」
と、悠馬くん。
またうつむいて。
何か言いたそうな悠馬くんを見て、あたしは。
(あぁ、あたし、今まで何をしてたんだろう?)
と、後悔した。
六年間。
連絡をしなかった。
その間。
もしかしたら。
悠馬くんは……。
「鞠奈からのメッセージ、嬉しかった」
そう言って、「じゃあ、帰るわ」とあたしに背を向けた悠馬くんを。
あたしは後ろから抱きしめた。
「鞠奈?」
悠馬くんの背中。
あの頃と変わらない。
「好きって言ったら、困る?」
あたしの声は、震えている。
「ずっと好きだったよ。あの時も、今までも。これからだって、ずっと好き」
「……」
「悠馬くんはあたしのこと、信じてくれる?」
「……信じたいよ」
悠馬くんは振り向いて、あたしを抱きしめた。
「でも、鞠奈がオレを信じきれなくてつらそうにしているのは、もう見たくない」
悠馬くんはあたしを抱きしめる腕の力を、少しだけ強くした。
「こんなふうになるってわかってた。鞠奈に会ったら、好きって気持ちがおさえられなくなるって。だから、連絡しなかったんだ」
「……」
悠馬くん。
それ。
その言葉。
「別れの言葉に聞こえないよ?」
「……うん、そうかも」
悠馬くんは笑った。
その笑顔は見たこともないほど、弱々しい、儚い笑顔だった。
(こんな顔するんだ)
あたしの知ってる笑顔は。
悠馬くんのほんの一部にしか過ぎない。
悠馬くんの何を見て。
何を知っているつもりだったんだろう。
「……もう一度、知っていきたい」
あたしは抱きしめたままの、悠馬くんの顔を見上げた。
「え?」
「六年前には戻れないけれど、あたしは今日から、この瞬間から、悠馬くんのことを隣で見ていたいよ」
「鞠奈?」
「あたしとの『運命』をもう一度、作ってください。今度は『片想い』なんて言わせないから」
「……!」
悠馬くんはあたしから離れようとして、一歩下がった。
だけどあたしは。
悠馬くんの腕をがっちり掴んだ。
今度は離したくない。
「そんな、鞠奈、勝手だよ」
と、悠馬くんは言う。
「離れたほうがいいって思ったから、オレは……」
「うん、あの時はごめんね」
「……」
「あたし、諦められないよ。悠馬くんのこと。これは、運命の恋だよ」
そう言って笑った私を見て、悠馬くんは言った。
「鞠奈、悪魔みたい」
……そうだよ。
悪魔でも。
なんでもいい。
悠馬くんのことを好きだから。
手に入れるためには、悪魔にだってなる。
それから。
悠馬くんは。
困ったような表情で。
「好きでいて、いいの?」
と、あたしに尋ねたから。
あたしは言った。