あたし?
あたしが欲しいもの……。
『歌ってほしいんだ。悠馬くんのその声で、あたしの、あたしだけの、歌』
かつて。
悠馬くんに言った言葉。
「先生?」
「……先生は、先生の欲しいものは」
「うん、何ですか?」
「……休日です」
「……」
「……」
「……先生、それ、プレゼントできないやつ」
「ですね」
男子生徒は「もういいや」と、笑って去って行った。
担任を受け持っている二年一組の教室に行って、ホームルームを終わらせた。
わちゃわちゃした教室内で。
女子生徒が、
「えー、この人達超いいじゃん」
と、言った。
スマートフォンは授業中以外なら持っていても問題ない、という校則だけど。
なんだか気になってしまって。
あたしは近づいて行った。
「どうしたんですか?」
「あ、先生っ、見て!」
女子生徒数人グループの中のリーダー的存在である生徒が、あたしにスマートフォンを見せる。
「このバンド、超いいんですよ!最近メジャーデビューしたらしくって!」
そこには、見慣れたバンド名の文字が書いてあった。
『ベイビー・サンデー』
「え?」
「この辺り出身のバンドらしいですよ!超いいのが、これ、この人!」
女子生徒は画面を操作して、あたしに再び見せた。
「この人、悠馬くんっていうボーカルの人!カッコよくないですかー?」
心臓が。
止まるかと思った。
「……先生?」
女子生徒達はきょとんとして、あたしを見ている。
「……あ、うん。カッコいいね」
なんとか笑顔を作って、返事をした。
久しぶりに見る悠馬くんは。
本当にカッコよくて。
ニッコリして写っている、その顔が。
あたしの知っている、あの悪魔の笑顔そのものだった。
その日の夜。
スマートフォンに登録したままの、悠馬くんの連絡先のページを見つめていた。
……ダメ。
このページを見ていたら。
あたしの日常が。
せっかく頑張って築いた日常が。
失われる。
悠馬くんは。
あたしに一切連絡をしなかった。
この六年間、一度も。
「それが答えじゃん」
もう、ないよ。
あたしの望む未来は、ないんだよ。
自分に言い聞かせて、なんとかスマートフォンを置こうとする。
……だけど。
あたしはインターネットで『ベイビー・サンデー』を検索した。
本格的に音楽活動をしているなんて思いもしなかったから、今まで検索することはなかった。
「本気だったんだね」
(そんなことすらわかってあげられてなかったんだなぁ)
検索をすると、一番上に『ベイビー・サンデー』の公式ホームページが出てきた。
クリックする。
「わぁ、健くんも弘樹くんも、そのまんまじゃん」
ちょっとカッコつけているアーティスト写真に、懐かしさが押し寄せてくる。
悠馬くんは。
栗色の髪の毛を、金髪に染めていた。
(キレイ……)
ホームページ内を見て回ると、メンバーにメッセージが送れるというページを見つけた。
あたしの心臓が騒ぎ出す。
「ここに送ったら……、悠馬くん、読んでくれるかな」
呟いて、首を振る。
……この六年間。
散々考えた。
悠馬くんが出て行った理由。
あの美人な彼女が言っていたみたいに、飽きられたのかな、とか。
他に好きな人が出来たのかな、とか……、色々と。
飽きられたのかどうかは、わからない。
そうかもしれないし。
そうじゃないかもしれない。
他に好きな人が出来たのか、あたしは健くんや弘樹くんに尋ねたことがある。
ふたりは困った顔をして、それが理由じゃないと思う、と言った。
あのショートヘアの小柄な女の子は。
弘樹くんの妹さんだと、二人は教えてくれて。
あの日。
あの夜のことを、ふたりは話してくれた。
『練習終わりに三人で飲んでいたら、妹が急にやって来てさー。四人で飲んだんだよ。健は逆ナンされた女の子とどっか行っちゃうし、オレも悠馬も結構酔ってて。だから、妹が仕方がなく悠馬を送って行ったんだ』
そう言った弘樹くんは、
『オレは店の前でほったらかしにされてたんだぜ?ひどいよな?』
と、笑っていた。
『あたし、浮気されたと思ってた』
『うん。知ってる。悠馬がそう思われてるって話してくれた』
と言った健くんが、
『鞠奈ちゃんってさ、悠馬のこと、信じてなかったっぽいもんね?』
と、あたしを指差した。
『え?』
あたしは、あの時。
反論出来なかった。
だって。
信じてる、って言い聞かせてたけれど。
揺らいでた。
悠馬がどこかへ行ってしまうんじゃないかって。
いつも不安だった。
不安で。
信じられなかった。
「……だから?」
と、あたしはホームページに載っている悠馬に問いかける。
「だから、出て行ったんでしょ?」
六年間。
連絡をしなかったのは。
あたしも同じなんだ。
信じきれなかったから。
……ふと、あたしは『ベイビー・サンデー』のデビュー曲を聴いていないことに気づいた。
ホームページのトップページに、動画が貼り付けられていた。
「『運命の片想い』」
曲名を読み上げると、悠馬くんにピッタリだと思った。
切なくて悲しい、でも力強いあの声に。
再生してみる。
バラードかなと思ったけれど。
わりとアップテンポな曲調だった。
曲の主人公は、夢を追いかける男の子。
運命を初めて感じる恋に落ちる。
『きみ』へのまっすぐな気持ちが、聴いているこちらが照れるほど伝わってくる。
【♪信じてほしい これが未来を願う気持ちだってことを
信じてほしい きみへの精一杯のラブソング♪】
悠馬くんが歌っている姿。
スポットライトを浴びてる。
初めて見た、あの時と同じ。
【♪これは 運命の片想い
大好きだから 離れよう
これは 運命の片想い
きみに届けたいのは きみだけのラブソング
僕ときみだけの いつかの約束♪】
「……えっ?」
『歌ってほしいんだ。悠馬くんのその声で、あたしの、あたしだけの、歌』
「これって……?」
あたしの歌?
あたしだけの、悠馬くんの歌?
「……で?」
週末の午後。
オシャレなカフェで。
テーブルを挟んだ向こうから、南があたしに問いかける。
「どうするの?連絡するの?悠馬くんに」
「……あ、あたし……」
と、声がどんどん小さくなるのを感じながら、あたしはこう答えた。
「……連絡しちゃったんだよね、もうすでに」
「え」
「うん。そうなの、連絡しちゃったの、勢いで」
「えっ!?」
驚いた南は、身を乗り出した。
それから少し声をひそめて、
「返事は?連絡って電話?」
と、目を輝かせた。
「そんなキラキラな目で聞かないでよぅ」
「ってことは、電話とかじゃないんだ?メッセージ送ったか何かで、返事がないんだ?」
「……当たり」
「やっぱりね」と、南はため息を吐く。
左手で少し乱れた前髪を直す。
その薬指にはキラリと光る指輪がある。
「……いいな、南。結婚って楽しい?」
「うーん、まぁ、楽しいかな。仕事の話とかで相談にのってもらえるのも勉強になるし。気を遣わない人だから、うん。楽しいよ」
「いいなぁ!」
「あー、でもダメ出しされるとイラッとするけどね」
南はそう言って笑った。
すごく嬉しそうに。
南は。
大学卒業後、あたしと同じく教師になった。
そして二年前から付き合っていた人と、去年結婚した。
その人も教師で、とてもよく笑う、楽しい人だと、南は言う。
「私の話はいいよ、今は鞠奈の話。悠馬くんとのこと!」
「うん」
あたしはスマートフォンを操作して、悠馬くんに送ったメッセージを南に見せた。
《お願いをきいてくれてありがとう。
覚えていてくれて嬉しいです》
メッセージを読んだ南は、
「は?」
と、怒ったような声を出した。
「何これ、これだけ?」
「え、うん」
「『うん』じゃないし。何これ、喜んでいるようにも思えないんですけど」