ひとり残された部屋で。

悠馬くんの置いていった鍵を見つめて。

あたしは泣いた。



(罰が下ったんだ)



あたしはあの美人な彼女から、悠馬くんを奪った。

それなのに。

美人な彼女に対して、何も思わなかった。

苛立ちとか、そういう気持ちしかなかった。



(さっきのあたし、あの美人な彼女と同じようなことを言ってた)



同じなんだ。

今度は、あたしが。

奪われる番なんだ。




あの小柄な可愛い女の子の顔が、頭の中にチラつく。

憎くて。

悲しくて。

……羨ましかった。





















……6年後。



あたしは、二十六歳になった。

高校で現代国語の先生をしている。



悠馬くんとは、あの夜以来会っていない。

出て行ったきり、そのまま。

あたしはまだ、あの部屋で暮らしていて。

時々悠馬くんを思い出してしまう。




荷物も。

ギターも。

未だにあたしの部屋に残されていて。

もしかしたら、いつか悠馬くんが取りに来るんじゃないかって。

会いに来てくれるんじゃないかって。

思っては虚しくなっている。



……そんなことあるわけないって、頭の中ではわかっているんだけど。







「澤原先生、プリント集めてきましたー」



男子生徒が国語科準備室まで持ってきてくれたプリントを受け取る。



「ありがとうございます。そこに置いておいてくれますか?」

「はーい」



男子生徒は教室から出て行こうとして、ふと、足を止めた。



「どうしましたか?」




「……先生さー、女の人が誕生日に貰って嬉しいものって何ですか?」

「はい?」



男子生徒は慌てて、
「いや、彼女にプレゼントするのって何がいいのかなって。オレ、よくわからなくて」
と、首に手を当ててうつむいた。



「うーん、プレゼントかぁ。難しいですよね」

「大人って、何が欲しいの?香水とか?財布?バック?」

「……きみ、大人の彼女がいるんですか?」



驚いて、思わず聞いてしまう。



「違いますよ、同い年ですけど。でも子どもっぽいプレゼントじゃあ、ちょっと……」



あたしは少しだけ間を置いて、
「うーん。気持ちがこもっていたら、なんでもいいと思いますよ。例え、子どもっぽくても」
と、無難な解答を述べた。



「うぇー、それ、大人がよく言うやつ」

「……ですね」



男子生徒は少し考えて、
「じゃあさ、先生は?先生だったら何が欲しいですか?」
と、尋ねてくる。






あたし?

あたしが欲しいもの……。



『歌ってほしいんだ。悠馬くんのその声で、あたしの、あたしだけの、歌』



かつて。

悠馬くんに言った言葉。



「先生?」

「……先生は、先生の欲しいものは」

「うん、何ですか?」



「……休日です」



「……」

「……」



「……先生、それ、プレゼントできないやつ」

「ですね」



男子生徒は「もういいや」と、笑って去って行った。






担任を受け持っている二年一組の教室に行って、ホームルームを終わらせた。

わちゃわちゃした教室内で。

女子生徒が、
「えー、この人達超いいじゃん」
と、言った。



スマートフォンは授業中以外なら持っていても問題ない、という校則だけど。

なんだか気になってしまって。

あたしは近づいて行った。





「どうしたんですか?」

「あ、先生っ、見て!」



女子生徒数人グループの中のリーダー的存在である生徒が、あたしにスマートフォンを見せる。




「このバンド、超いいんですよ!最近メジャーデビューしたらしくって!」



そこには、見慣れたバンド名の文字が書いてあった。






『ベイビー・サンデー』







「え?」



「この辺り出身のバンドらしいですよ!超いいのが、これ、この人!」



女子生徒は画面を操作して、あたしに再び見せた。



「この人、悠馬くんっていうボーカルの人!カッコよくないですかー?」



心臓が。

止まるかと思った。







「……先生?」



女子生徒達はきょとんとして、あたしを見ている。



「……あ、うん。カッコいいね」



なんとか笑顔を作って、返事をした。



久しぶりに見る悠馬くんは。

本当にカッコよくて。

ニッコリして写っている、その顔が。

あたしの知っている、あの悪魔の笑顔そのものだった。










その日の夜。

スマートフォンに登録したままの、悠馬くんの連絡先のページを見つめていた。



……ダメ。

このページを見ていたら。

あたしの日常が。

せっかく頑張って築いた日常が。

失われる。



悠馬くんは。

あたしに一切連絡をしなかった。

この六年間、一度も。



「それが答えじゃん」



もう、ないよ。

あたしの望む未来は、ないんだよ。



自分に言い聞かせて、なんとかスマートフォンを置こうとする。



……だけど。




あたしはインターネットで『ベイビー・サンデー』を検索した。

本格的に音楽活動をしているなんて思いもしなかったから、今まで検索することはなかった。



「本気だったんだね」



(そんなことすらわかってあげられてなかったんだなぁ)




検索をすると、一番上に『ベイビー・サンデー』の公式ホームページが出てきた。

クリックする。



「わぁ、健くんも弘樹くんも、そのまんまじゃん」



ちょっとカッコつけているアーティスト写真に、懐かしさが押し寄せてくる。




悠馬くんは。

栗色の髪の毛を、金髪に染めていた。



(キレイ……)



ホームページ内を見て回ると、メンバーにメッセージが送れるというページを見つけた。

あたしの心臓が騒ぎ出す。



「ここに送ったら……、悠馬くん、読んでくれるかな」



呟いて、首を振る。







……この六年間。

散々考えた。

悠馬くんが出て行った理由。



あの美人な彼女が言っていたみたいに、飽きられたのかな、とか。

他に好きな人が出来たのかな、とか……、色々と。



飽きられたのかどうかは、わからない。

そうかもしれないし。

そうじゃないかもしれない。



他に好きな人が出来たのか、あたしは健くんや弘樹くんに尋ねたことがある。

ふたりは困った顔をして、それが理由じゃないと思う、と言った。




あのショートヘアの小柄な女の子は。

弘樹くんの妹さんだと、二人は教えてくれて。


あの日。

あの夜のことを、ふたりは話してくれた。





『練習終わりに三人で飲んでいたら、妹が急にやって来てさー。四人で飲んだんだよ。健は逆ナンされた女の子とどっか行っちゃうし、オレも悠馬も結構酔ってて。だから、妹が仕方がなく悠馬を送って行ったんだ』



そう言った弘樹くんは、
『オレは店の前でほったらかしにされてたんだぜ?ひどいよな?』
と、笑っていた。



『あたし、浮気されたと思ってた』

『うん。知ってる。悠馬がそう思われてるって話してくれた』
と言った健くんが、
『鞠奈ちゃんってさ、悠馬のこと、信じてなかったっぽいもんね?』
と、あたしを指差した。



『え?』




あたしは、あの時。

反論出来なかった。



だって。

信じてる、って言い聞かせてたけれど。

揺らいでた。

悠馬がどこかへ行ってしまうんじゃないかって。

いつも不安だった。



不安で。

信じられなかった。





「……だから?」
と、あたしはホームページに載っている悠馬に問いかける。



「だから、出て行ったんでしょ?」




六年間。

連絡をしなかったのは。

あたしも同じなんだ。






信じきれなかったから。






……ふと、あたしは『ベイビー・サンデー』のデビュー曲を聴いていないことに気づいた。

ホームページのトップページに、動画が貼り付けられていた。






「『運命の片想い』」





曲名を読み上げると、悠馬くんにピッタリだと思った。

切なくて悲しい、でも力強いあの声に。




再生してみる。

バラードかなと思ったけれど。

わりとアップテンポな曲調だった。



曲の主人公は、夢を追いかける男の子。

運命を初めて感じる恋に落ちる。

『きみ』へのまっすぐな気持ちが、聴いているこちらが照れるほど伝わってくる。






【♪信じてほしい これが未来を願う気持ちだってことを
信じてほしい きみへの精一杯のラブソング♪】



悠馬くんが歌っている姿。

スポットライトを浴びてる。

初めて見た、あの時と同じ。