「じゃあ、なんでそんなになるまで飲んでるの?」
あたしは、止められなかった。
「バンドの練習に行くって嘘だったの?あたしに嘘ついて、女の子と一緒にお酒飲んでたんだ?ベロベロに酔っちゃうくらい」
「鞠奈?」
「……可愛い子だったよね?小柄で、ウェーブのパーマが超似合ってて。声も高くて可愛いし」
「……何、妬いてんの?」
悠馬くんがあたしに近づいて、抱きしめようとした。
ニコッと笑って。
「やめて」
あたしは、悠馬くんから一歩、離れた。
「抱きしめて、うやむやにしようとしないで」
「そんなつもりじゃないって」
「じゃあ、どんなつもり?」
あたしの声は、ものすごく刺々しい。
自分でもわかっている。
(可愛くない)
……だけど。
だけど!
納得できないんだもん!
悠馬くんは「はあっ」と、大きくため息を吐いた。
「……なんだよ、いちいち全部、鞠奈に報告しなくちゃいけないの?」
「は?」
「バンド練習が終わったよー、仲間と飲むことになったよー、帰りが遅くなるよーって?」
「ちょっと、待って」
「なんだよ、そういうことだろ?」
イライラし出した悠馬くんが、
「鞠奈って、オレの何?」
と、言った。
背中がゾッとした。
「何って……、こ、恋人だよ?」
必死の思いで、そう伝える。
「恋人だよね?あたし、ちゃんと、悠馬くんの……恋人なんだよね?」
涙目になる。
のどの奥が絞られるみたいに、ギュンとした痛みを感じる。
「あたしっ、あたしっ、悠馬くんのっ」
ぽたぽたと、あたしの涙が床まで落ちる。
悠馬くんは。
眉間にシワを寄せて、吐き捨てるように言った。
「最近の鞠奈は、変だよ」
「えっ?」
「恋人ってさ、もっと対等な関係なんじゃないの?」
「……っ」
「オレ、ここに居ていいのかなって最近思うんだよね」
「なんで?なんでそんなことっ」
悠馬くんにすがりついて、あたしは必死に続けた。
「他に好きな女の子が出来たの?さっきの、あの女の子?ねぇ、あたしが悪かったから、ちゃんと直すから、お願いっ」
悠馬くんはすがりつくあたしを、悲しい目で見下ろしている。
「お願いだから、あたしのこと、捨てないでっ!頑張るから、飽きられないように、頑張るからぁっ!」
「……なんで?」
と、悠馬くんはあたしと目線を合わせるようにしゃがんだ。
「なんで、そんなこと言うの?」
そんなの、決まってる。
好きだから。
好きだからだよ。
悠馬くん。
「……鞠奈が、わからないよ」
と、悠馬くんは、自分の腕にしがみつくあたしの手をとり、
「こんなこと言う子じゃなかったじゃん」
なんて言って、あたしの手を離した。
「……待って、待って」
あたしは慌てて、立ち上がった悠馬くんの脚にもう一度すがった。
「離して、鞠奈」
「やだっ、お願い、一緒にいてっ!あたしとずっと、一緒にいてよ!」
「……」
「なんでもするからっ、言うこと聞くからっ」
悠馬くんは、何も言わない。
パンツのポケットから、鍵を取り出した。
それをそばにあるテーブルの上に置く。
「オレ達が一緒に居ても、鞠奈のためにならないよ」
「やだっ、悠馬くん!」
「ごめんな、鞠奈。こんなふうにさせたの、オレが原因だよな?オレが悪いよな?」
悠馬くんはあたしから離れる。
それから。
「もう、一緒にいるの、やめような」
と、言った。
優しい声で。
……悪魔みたいだ。
こんな時まで。
声も、姿も、キレイなんだから。
あたしはひとり、
「やだっ、行かないで」
と、繰り返していたけれど。
悠馬くんはスマートフォンだけ持って、この部屋から出て行ってしまった。
ひとり残された部屋で。
悠馬くんの置いていった鍵を見つめて。
あたしは泣いた。
(罰が下ったんだ)
あたしはあの美人な彼女から、悠馬くんを奪った。
それなのに。
美人な彼女に対して、何も思わなかった。
苛立ちとか、そういう気持ちしかなかった。
(さっきのあたし、あの美人な彼女と同じようなことを言ってた)
同じなんだ。
今度は、あたしが。
奪われる番なんだ。
あの小柄な可愛い女の子の顔が、頭の中にチラつく。
憎くて。
悲しくて。
……羨ましかった。
……6年後。
あたしは、二十六歳になった。
高校で現代国語の先生をしている。
悠馬くんとは、あの夜以来会っていない。
出て行ったきり、そのまま。
あたしはまだ、あの部屋で暮らしていて。
時々悠馬くんを思い出してしまう。
荷物も。
ギターも。
未だにあたしの部屋に残されていて。
もしかしたら、いつか悠馬くんが取りに来るんじゃないかって。
会いに来てくれるんじゃないかって。
思っては虚しくなっている。
……そんなことあるわけないって、頭の中ではわかっているんだけど。
「澤原先生、プリント集めてきましたー」
男子生徒が国語科準備室まで持ってきてくれたプリントを受け取る。
「ありがとうございます。そこに置いておいてくれますか?」
「はーい」
男子生徒は教室から出て行こうとして、ふと、足を止めた。
「どうしましたか?」
「……先生さー、女の人が誕生日に貰って嬉しいものって何ですか?」
「はい?」
男子生徒は慌てて、
「いや、彼女にプレゼントするのって何がいいのかなって。オレ、よくわからなくて」
と、首に手を当ててうつむいた。
「うーん、プレゼントかぁ。難しいですよね」
「大人って、何が欲しいの?香水とか?財布?バック?」
「……きみ、大人の彼女がいるんですか?」
驚いて、思わず聞いてしまう。
「違いますよ、同い年ですけど。でも子どもっぽいプレゼントじゃあ、ちょっと……」
あたしは少しだけ間を置いて、
「うーん。気持ちがこもっていたら、なんでもいいと思いますよ。例え、子どもっぽくても」
と、無難な解答を述べた。
「うぇー、それ、大人がよく言うやつ」
「……ですね」
男子生徒は少し考えて、
「じゃあさ、先生は?先生だったら何が欲しいですか?」
と、尋ねてくる。
あたし?
あたしが欲しいもの……。
『歌ってほしいんだ。悠馬くんのその声で、あたしの、あたしだけの、歌』
かつて。
悠馬くんに言った言葉。
「先生?」
「……先生は、先生の欲しいものは」
「うん、何ですか?」
「……休日です」
「……」
「……」
「……先生、それ、プレゼントできないやつ」
「ですね」
男子生徒は「もういいや」と、笑って去って行った。
担任を受け持っている二年一組の教室に行って、ホームルームを終わらせた。
わちゃわちゃした教室内で。
女子生徒が、
「えー、この人達超いいじゃん」
と、言った。
スマートフォンは授業中以外なら持っていても問題ない、という校則だけど。
なんだか気になってしまって。
あたしは近づいて行った。
「どうしたんですか?」
「あ、先生っ、見て!」
女子生徒数人グループの中のリーダー的存在である生徒が、あたしにスマートフォンを見せる。
「このバンド、超いいんですよ!最近メジャーデビューしたらしくって!」
そこには、見慣れたバンド名の文字が書いてあった。
『ベイビー・サンデー』
「え?」
「この辺り出身のバンドらしいですよ!超いいのが、これ、この人!」
女子生徒は画面を操作して、あたしに再び見せた。
「この人、悠馬くんっていうボーカルの人!カッコよくないですかー?」
心臓が。
止まるかと思った。
「……先生?」
女子生徒達はきょとんとして、あたしを見ている。
「……あ、うん。カッコいいね」
なんとか笑顔を作って、返事をした。
久しぶりに見る悠馬くんは。
本当にカッコよくて。
ニッコリして写っている、その顔が。
あたしの知っている、あの悪魔の笑顔そのものだった。
その日の夜。
スマートフォンに登録したままの、悠馬くんの連絡先のページを見つめていた。