「ん?何を?」

「歌ってほしいんだ。悠馬くんのその声で、あたしの、あたしだけの、歌」



そう言って、
「やっぱりこんなの、わがままだよね?」
と、おどけるようにぺろっと舌を出した。



「……それは、鞠奈へのラブソングを作ってほしいってこと?」



悠馬くんは慎重に言った。



「……いいの、忘れて」



恥ずかしくなってきて、あたしは両頬に添えられている悠馬くんの手に自分の手を重ねる。

それから悠馬くんの両手ごとスライドさせて、自分の目を隠してみる。



「……何してるんすか、鞠奈さん」



悠馬くんが笑っている。



「恥ずかしいんすよ、悠馬さん」
と答えると、
「何それっ」
と、悠馬くんは大笑いした。







(大丈夫だよね?)



朝方。

隣で眠る悠馬くんの寝顔に向かって、心の中で尋ねる。



(大丈夫、大丈夫だよね?どこにも行かないよね?)





夕方。

学校帰りに、悠馬くんからメッセージが来た。



《急にバンド練習が出来ることになったから、行ってくる!》



その短い文章を読んで。

あたしは何故かイヤな予感がした。

でも。



《わかった〜!頑張ってね!》
と、送った。






そして。

部屋に帰って。

もう提出期限が過ぎてしまったレポートの続きに取り組む。



「あー、やる気なし!」



ひとりで唸ってみたものの、やるしかない。

パソコンに向かう。






しばらくして。

時計を確認した。



「もう、こんな時間?」



悠馬くん、帰りが遅くない?



(バンド練習って言っても、こんなに遅くなったことはないのに)



また。

また、だ。



(信じなくちゃ)



不安に負けちゃだめ。



(大丈夫。あたしは、飽きられてなんかない)



呪文みたいに心の中で、唱える。

何度も、何度も。



その時。

玄関ドアの向こう。

男女の声がする。



ボソボソとしか聞こえなくて、何を言っているのか聞き取れない。



あたしは玄関ドアに近づいた。

何故か心臓がバクバクしている。



「もー、鍵ってどれですか?ほら、ちゃんと立ってくださいよ、悠馬さん!」



(えっ)



聞こえてきたのは、鈴が鳴るような、高い女の子の声。



「もー、ほんっと、飲み過ぎ!悠馬さん、鍵、どれー?」



……違う。

違うよね?

「悠馬さん」って聞こえたけれど、悠馬くんのことじゃないよね?

人違いだよね?

ううん、そもそも名前を聞き違えたかも。



自分を必死に励まそうと、あたしは心の中で(大丈夫)と繰り返す。



でも。

そんなの、何の役にも立たなくて。



「あはははっ」
と、悠馬くんの笑い声が聞こえてきた。

間違えようのない、悠馬くんの笑い声。

あたしの好きな、機嫌の良い笑い声。




玄関ドアの覗き穴から。

ドアの向こうを確かめる必要なんて無かった。



(あぁ、終わっちゃうんだ……?)



あたしと。

悠馬くんの世界は。

こんなにすぐ。

こんなに呆気なく。

終わっちゃうんだ?






『あなたは、飽きられないようにね』





あの、美人な彼女の言葉が脳裏に蘇る。




「やめて」



あたしは、はっきりと言った。

それから、玄関の鍵を内側から解除して。

勢いよく、玄関ドアを開けた。




「えっ、きゃっ!」



扉の向こう。

背の低い、小柄な女の子が驚いて小さな悲鳴をあげた。

あたしを見て、目を丸くしている。



「あ、あの……?」



女の子は、ショートカットにおしゃれなパーマをかけていて。

ふわふわなその頭に、妙な色気を感じた。

そのことが。

ものすごくイヤだった。



「あの、ここって、悠馬さんの部屋じゃないんですか?」
と、女の子はまだ驚いた表情をしている。




「……間違いありませんよ。その人、ここで暮らしていますから」



あたしの声が、思ったより低く、マンションの廊下に響く。



女の子は、
「あはっ」
と、笑った。



は?



「なーんだ、良かった!」



女の子は、あたしに悠馬くんを押し付けるように預けて、
「じゃっ、悠馬さん!私は帰りますからね」
と、悠馬くんに声をかけた。



「では、失礼します」
と、ニコニコする女の子は、振り返ることもなく去って行った。



(何?何だったの?)



酔っている悠馬くんを支えつつ、あたしはその場にへたりこんだ。



静かに。

あたし達の世界に。

薄暗い雲が広がっていくのを感じながら。













その夜、遅い時間。

酔って寝ていた悠馬くんが、目を覚ました。



「あれ?……っ!痛たたっ!」



頭を両手でおさえている。



「大丈夫?」
と、あたしは立ち上がり、キッチンに行ってコップに水を注いだ。



それを悠馬くんに渡す。

受け取りながら悠馬くんは、
「ありがとう。鞠奈、レポートしてたの?」
と、さっきまであたしが座っていたテーブルの上にあるパソコンを横目で見る。



「うん。もう提出期限は過ぎてるんだけど、一応やっておかないと」

「え、期限過ぎてるの?」



悠馬くんは水をひとくち飲んだ。







「……今日って、練習じゃなかったっけ?」
と、あたしは話を変えた。




「え?」

「悠馬くん、バンドの練習に行くってメッセージをくれたよね?」

「うん、そうだね」



悠馬くんはだから、何?というような顔をしている。



本当なら、ここで何も聞かない、言わないほうが平和だろうな、とは思った。

……思った、けど。




「じゃあ、なんでそんなになるまで飲んでるの?」



あたしは、止められなかった。



「バンドの練習に行くって嘘だったの?あたしに嘘ついて、女の子と一緒にお酒飲んでたんだ?ベロベロに酔っちゃうくらい」

「鞠奈?」

「……可愛い子だったよね?小柄で、ウェーブのパーマが超似合ってて。声も高くて可愛いし」

「……何、妬いてんの?」



悠馬くんがあたしに近づいて、抱きしめようとした。

ニコッと笑って。



「やめて」



あたしは、悠馬くんから一歩、離れた。



「抱きしめて、うやむやにしようとしないで」

「そんなつもりじゃないって」

「じゃあ、どんなつもり?」



あたしの声は、ものすごく刺々(とげとげ)しい。

自分でもわかっている。



(可愛くない)




……だけど。

だけど!

納得できないんだもん!



悠馬くんは「はあっ」と、大きくため息を吐いた。



「……なんだよ、いちいち全部、鞠奈に報告しなくちゃいけないの?」

「は?」

「バンド練習が終わったよー、仲間と飲むことになったよー、帰りが遅くなるよーって?」

「ちょっと、待って」

「なんだよ、そういうことだろ?」



イライラし出した悠馬くんが、
「鞠奈って、オレの何?」
と、言った。






背中がゾッとした。







「何って……、こ、恋人だよ?」



必死の思いで、そう伝える。



「恋人だよね?あたし、ちゃんと、悠馬くんの……恋人なんだよね?」



涙目になる。

のどの奥が絞られるみたいに、ギュンとした痛みを感じる。



「あたしっ、あたしっ、悠馬くんのっ」



ぽたぽたと、あたしの涙が床まで落ちる。



悠馬くんは。

眉間にシワを寄せて、吐き捨てるように言った。



「最近の鞠奈は、変だよ」



「えっ?」



「恋人ってさ、もっと対等な関係なんじゃないの?」



「……っ」



「オレ、ここに居ていいのかなって最近思うんだよね」

「なんで?なんでそんなことっ」



悠馬くんにすがりついて、あたしは必死に続けた。



「他に好きな女の子が出来たの?さっきの、あの女の子?ねぇ、あたしが悪かったから、ちゃんと直すから、お願いっ」



悠馬くんはすがりつくあたしを、悲しい目で見下ろしている。



「お願いだから、あたしのこと、捨てないでっ!頑張るから、飽きられないように、頑張るからぁっ!」



「……なんで?」
と、悠馬くんはあたしと目線を合わせるようにしゃがんだ。



「なんで、そんなこと言うの?」



そんなの、決まってる。

好きだから。

好きだからだよ。

悠馬くん。



「……鞠奈が、わからないよ」
と、悠馬くんは、自分の腕にしがみつくあたしの手をとり、
「こんなこと言う子じゃなかったじゃん」
なんて言って、あたしの手を離した。