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 ——誰かが、私を呼ぶ声がする。

 ……芽依。

 芽依……。

 懐かしい、声。

 ……夢?

 体が動かない。辺りは真っ暗で、私は腕を枕にして、もう長いこと眠りに落ちている。

 懐かしい、匂いがする。

 懐かしい、気配がする。

 腕の隙間から、もうずっと長い間、私のことを呼んでいる声がする。

「……聞こえてるかぁー? 芽依」

 聞こえてる。

 そのいつも元気な、ちょっと高めの声。よく聞こえてるよ。

 でも、返事ができない。

 金縛りにあったみたいに、体が動かないの。

「芽依、全然俺のこと気づいてくれねぇのな。俺の念力が足りねぇのかなー」

 気づいたよ。……今は、だけど。

 いつも呼びかけてくれてたの?

 ……蓮くんを探して走っていた時も、私を呼んで、案内してくれたの?

 そう聞きたいのに、声が出ない。

 なんでだろう。体のどこもかしこも、岩に押し潰されているみたいに動けない。

「……あのさ。蓮は、いいやつなんだ。だからさ、……大丈夫だよ」

 大丈夫って、なに?

 どういう意味で?

 今すぐ顔を上げて、あなたに抱きつきたいのに。

 言いたいことは、たくさんあるのに。

 もう、何もできない。謝罪も。懺悔も。感謝の言葉も、何も伝えられない。

 ……あぁ、そうか。

 もう、いないから。

 修ちゃんは、もうこの世にいないから。

 だから、人は後悔をするんだ。取り戻せない時を、取り戻したくて。

 でもそれは絶対に取り戻すことはできなくて。心を傷だらけにしながら生きていく。

 それでも、生きるんだ。

 それって、すごくつらいけど。

 つらくて、またすべてを諦めたくなることもあるだろうけど。

 ……そうだね。

 修ちゃんが言うなら、大丈夫。

 きっと、大丈夫だよね……。



 ようやく顔を上げると、そこは教室だった。

 中学校舎。時刻は十七時を過ぎていて、辺りは暖かな夕日に染められていた。

 私はあれから、修ちゃんが恋しくなった日には放課後の誰もいない時間を狙って、中学校舎に忍び込んでいた。

 昔、私が座っていた席。三つ隣には修ちゃんが座っていて、いつも近くで私を見ていてくれた。

 廊下寄りのその席は、いま窓の淵の影に入り込み、闇に消えようとしている。

 ……都合のいい、夢を見てたんだ。

 この前みたいに、まぼろしにさえも会えない。寂しくて、何度も何度も頭の中にあの笑顔を思い返す。

「……あ」

 指先に何かが当たった。眠り込む前は何も置かれていなかったはずの机の上に、いつのまにか何かが置かれていた。

 タコのキーホルダー。

 修ちゃんが蓮くんと井上さんにプレゼントした、横浜のお土産。

 私には豚まんだけだと思ってた。

「……私の分も、あったんだね」

 それを握りしめると、私の手のひらの温度よりも温かくて、心がほっと安らいだ。

 夕日に当たっていたからだろうか。

 それとも……。

 落ちる涙をそのままにして、私はいつまでもその席で、修ちゃんの温もりを感じていた。