気がしたというだけで、特になにかが起こることはなかった。

 クリストファーは手に持っていたグラスを置いて、何気なく一呼吸を入れる。
 そして天井に視線を流しながら背もたれに深く寄りかかった瞬間、聞こえた幻聴に耳を疑った。

『――お父様』

 間違いなく、それはアリアの声だった。
 すぐそばで発せられたような、妙に現実味のある声音に堪らず振り返る。

 けれどそこには誰の姿もなく、クリストファーはゆっくりと瞬きを落とした。

「…………アリア」

 なぜだろう。今朝はどうでもいいと思ったはずなのに、急に気になって仕方がない。

(…………風邪なんて、大したことないはずだ)

 昼間にジェイドは言っていた。
 アリアのことが心配ではないのかと。

 たかが熱が高いだけで、何をそんなに心配する必要があるのかクリストファーには理解できなかった。


(死ぬわけじゃないだろう、あいつ(ジェイド)もいちいち大袈裟だ。…………そうだ、死ぬわけじゃ)

 今も理解はできないのに、なぜかクリストファーの足は別館のほうへと向いていた。