「どうしたんですか? ティア、あなたはこんな子じゃないでしょう? お姉さんなのだから、みんなの手本にならなくては」

 翌朝、ボロボロのシャツを洗濯に出したティアは、当然司祭に怒られた。
 ティアは右から左に受け流す。

 心ここにあらずと言ったティアの態度に、司祭は大きくため息を吐いた。
 最近のティアはおかしい。
 今までは誰よりも早く起き、小さな子供たちの面倒を見ていたのに、今では小さい子供に起こされるほどだ。
 そのせいもあって、ほかの子供まで寝坊しがちになり、予定がずれ込むことが増えたのだ。
 
 あたりまえのようにティアに子供の面倒を押しつけ、頼りきってきた司祭は、それがいらだたしかった。
 ティアさえしっかりしていれば、そう思わずにはいられない。
 ティアもその他の子供と同じ、保護されるべき対象だと言うことがすっかり抜け落ちていた。

「罰として、今から、朝食前に汚した服と靴を洗い、破れたところを繕っておきなさい。破れたシャツを直すまで、シャツを着るのは禁じます」

 今日は月に一度、司教がやってくる日だ。
 この日は、司教が直接子供たちとふれあい教義を教えるのだ。
 昔のティアはその時間が大好きだった。
 司教は優しく子供とたっぷり遊んでくれた。それに、おやつもいつもより豪華になる。いつもは作業ズボンばかりの服だが、この日ばかりはワンピースが着られるのだ。
 その上、乙女の楽園に来る司教は、憧れていたクレスだからだ。

 乙女の楽園で、一番良い子にしていた子供が、クレスの案内が出来る。一番そばにいて、荷物を持ったり、お茶を入れたりする役目を与えられるのだ。
 ティアはその役目がほしくて、今まで良い子で頑張ってきた。

 たしかに、今日罰を与えるって言うのは良い考えよね。前の私だったらショックを受けて、すごく反省するもの。
 でも、今の私は違うの! クレス様には会いたくなかったから、逆に好都合ね。

 クククとティアはほくそ笑んだ。
 

*****

 ティアは早速服を洗いに行った。
 
 フンフンと鼻歌を歌い、服を洗う。上半身はタンクトップ姿だ。晴れているとは言え、十月の風は冷たい。

「っさすがに寒い。早く終わらせよっ」

 泥まみれになった靴を洗い、外へ干す。服の破れは乾いてから直すことになっている。

 今日は司教クレスが来る日だが、ティアは服を直し終わるまで謹慎だ。

 ティアはいそいそと謹慎部屋に向かった。
 謹慎部屋は、邪教について書かれた廃棄予定の本が押し込まれている。邪教の本は聖なる炎でなければ焼けない。本来ならば、司祭が焼いておくべき物だが、司祭によっては聖なる炎が作り出せないのだ。

 ループ前には聖なる炎が扱えない司祭たちの代わりに、邪教の本を焼くのもティアの仕事だった。

 謹慎部屋には、小さな窓が一つあるだけで灯はない。
 昔はここに閉じ込められることが怖かった。
 しかし、今はそんなこともない。

 ティアは窓の下に寄りかかり、邪教の本を広げた。
 日差しが入って温かい。
 子供のころは、触れるだけで呪われそうで怖かった本だ。
 でも、今は怖くない。

 人のほうが酷いことするもの……。それに、邪教っていっても、エリシオンの神のことでしょう? 怖いことなんてないわ。

 イディオスを思い出し、ティアは小さく笑った。
 初対面のティアの傷口を舐め、ドラゴンの毒を抜いてくれるような優しい人だ。そんな人が信じる神だ。悪い神だとは思えなかった。

 ティアは舌なめずりをしたイディオスの姿を思い出し、カッと顔が熱くなる。ふと首筋に白い髪の感触を思い出し、慌てて首を押さえた。胸がバクバクと高鳴る。

 なにこれ?? どうして、イディオスを思い出しただけで胸がドキドキするの? きっと、ループ前の恐怖心が染みついてるのね。しっかりしなさい、ティア。

 パンと頬をはさみ、気合いを入れる。
 そして邪神の本に目を落とす。
 邪教の魔法陣が記された本。古代語の説明は醜い言葉が連なっている。しかし、魔法陣は美しかった。

「こんなに美しい魔法陣見たことない……」

 ティアはため息を吐いた。

 パラパラとめくっていると、ある魔法陣で指が止まった。

「もしかして、この魔法陣を応用すれば、ループ前に財産を隠した場所とエプロンバッグを繋げられるんじゃない?」

 ティアは思い立ち、キュアノスのツノを取りだしてから、魔法陣をエプロンバッグに描いてみる。邪教の魔法陣と宝を隠した場所の座標を組み合わせた新たなものだ。
 ピンク色に輝いたエプロンバッグに手を入れてみる。

「出でよ、ポーション!」

 呼び声とともに、ティアの手の中にポーションが収まった。
 よくよく確認すれば、前世で自身が作った最高品質のポーションである。

「やった! 成功ね!!」

 ティアはガッツポースをした。

 そのとき、窓ガラスがコンコンと叩かれた。
 とっさにキュアノスのツノとポーションをエプロンバッグに突っ込み、窓を見上げる。

 そこには逆光の中、司教クレスが佇んでいた。紫の髪が波のように輝いている。

 眩しい……!

 ティアは思う。

「ティア、開けてください」

 クレスの甘い声がして、恐る恐る窓を開けた。
 せっかく監禁部屋に閉じ込められ、クレスには会わずにすむと思っていたのに、計算が外れてしまった。

 クレスはタンクトップ姿のティアを見て、慌てて目を逸らす。
 それを見て、ティアも恥ずかしくなり両手で自分を抱えこんだ。

「……司祭から話は聞きました。なにがあったんですか?」

 クレスは優しく尋ねた。
 彼は必ず子供たちの話を聞いてくれた。決めつけで叱るようなことはしなかった。
 だから子供たちはクレスが大好きだったし、ティアも彼を信用していた。

 でも……。助けてくれなかった……。最後まで騙してた……。

 ティアは黙って俯いたままだ。

「私はあなたが理由もなく服を破る子ではないと知っていますよ。私に話してみてくれませんか? 私はいつだってティアの味方ですよ」

 クレスはティアの頭を優しく撫でた。

 もしかして、もしかしたら、十三回目の今、打ち明ければクレス様は味方になってくれるかも!

 希望の光を感じる。

 でも無理だ。信じられない。信じたら裏切られる。

 頭が止める。

 ずっと好きだった人。信じて憧れてきた人。優しくて、賢くて、目標にしてきた人だ。

 信じたい。縋りたい。昔みたいにその胸に飛び込んで思いっきり甘えたい。
 すべてを話して、それは悪い夢だよと、もう怖くはないからと、慰めてもらえたら……。

 悪女になると決めたティアだが、実のところ心細い。
 十二回も繰り返し騙され続けたのだ。やり直したからといって、今回幸せになれるとは限らない。
 出来るなら誰かに頼りたいのだ。

 クレス様なら……。

 ティアの心はぐちゃぐちゃに乱れる。

 ううん。でも、だめ。駄目なのよ。
 
 ティアは唇を噛み、スッとクレスの手から離れた。
 そして、嘘笑いを浮かべる。

「ただ、森の中で遊び過ぎちゃっただけなんです」
「森の中?」
「はい、大きくなったので子供のころ登れなかった木に登ろうとして」
「ティアもそんなことをするんですね」

 クレスは笑った。

「木の上からなにか見えましたか?」
 
 ティアはブンブンと首を振る。

「もしかして、白樺の向こうへは行きましたか?」

 クレスに問われて、ティアはドキンと心臓が跳ねた。

 なにか気づかれた?

「い、いいえ? だって、向こうは汚れた地。バチが当たるんですよね?」

 ティアが問えば、クレスはニッコリと微笑んだ。

「そうです。忘れていなくて良かったです。ティアはお利口さんですからね。忘れるはずありませんよね」

 ティアはコクコクと頷いた。
 クレスは納得したかのように紫色の目をうっすらと細める。

「では、司祭には私から謹慎を解いてもらうよう話しておきますね。一緒にお茶を飲みましょう」

 クレスが言うので、ティアはブンブンと手を振った。

「いいです! 大丈夫です! 私、きちんと反省しなくちゃいけませんから!!」
 
 もうクレスには関わりたくないのだ。
 ティアが思いっきり辞退すると、クレスは微笑ましいものでも見るような視線を向けた。

「そんなことが言えるんです。ティアは充分反省していますよ」
「違います! 私、悪い子なんです! 悪女なんです! だから!」
「ティアが悪女ですか? 無理ですよ」

 クレスは楽しそうに笑うと、窓から離れて行ってしまった。キラキラと慈愛に満ちた微笑みがティアのハートを打ち抜いた。
 ティアは頬を押さえて座り込む。

 やっぱりクレス様は優しい……。そして美しい……。

 そう思い、ゴロンと転がり足をバタバタとさせる。裏切られた過去がありながらも、長年の憧れはやすやすと消えてくれない。

 でも、駄目よ! もう、関わらないって決めたんだから。もう、好きになんかならないんだから。

 パシンと頬を叩くと、フンと鼻息荒く起き上がる。

 クレス様は笑ったけど、私、もう悪女なんだから! ドラゴンだって呼べるんだから!

 そして、クククと笑う。

 そうよ、だから、ここの邪教の本。ちょっと拝借しちゃうんですからね! どうせ捨てる本だもの。なくなっても困らないはず。

 ティアは廃棄予定の本を物色しはじめた。