「お届け物でーす」
ティアは玄関に急ぎ、ドアを開いた。肩にはキュアノスが乗り、後ろではエルロがティアの影から様子をうかがっている。
冷たい風が入ってくる。庭には雪が積もっていた。
あれから数ヶ月。ティアとイディオスは、ドラコーン島の小さな家で暮らしている。
季節は秋から冬となっていた。
配達員は、たくさんの荷物と手紙をティアに渡した。人なつっこい顔でニカッと笑った。息は白く、鼻先は赤い。
半分はイディオス宛ての恋文で、半分はティア宛ての招待状や仕事関係の書類だ。
「雪の中、大変ですね。これどうぞ。この間、しもやけだって言ってましたよね? このクリームはしもやけやあかぎれに効くんです。しかも塗ったらしばらくの間は、温かくて水も弾くので、お仕事の前に塗ってください」
ティアは作りたての魔法軟膏を手渡した。
「ありがとうございます!」
配達員は嬉しそうに頭を下げた。
ティアは手紙の送り主をパラパラと確認すると、中でも立派な封筒を一枚取りだした。
「またルタロスからですか?」
「はい。困っちゃいます。今お返事を書くので、ちょっと待っていてくれますか?」
「もちろんです!」
ティアはため息交じりで手紙を開く。
どうせ中身は毎回同じだ。除籍を解いたから、ドロメナ教に戻ってきてほしいというものだ。大聖女として迎えたいと今さら言われても無駄なことが毎度書かれている。
クレスはその後、エリシオン王国の王子に対する不敬を問われ、ルタロス王国に強制送還された。戻ったクレスは、司教の職を剥奪され、当分の間は奉仕作業を強いられることになった。
また、クレスは新たな聖遺物の誕生とその持ち主について、国王に報告した。
国王は聖遺物の持ち主を大聖女と聖人として呼び寄せるよう命じたが、クレスはティアが戻りたがらない理由を告げた。
それが、乙女の楽園についての告発になり、ドロメナ教団は一新された。クレスはティアの言葉を聞き、今のドロメナ教のあり方に疑問を持ったのだ。
その結果、今までの大司教と十二人の司教は全員司教の職を剥奪された。
乙女の楽園は解体され、普通の孤児院となっている。もう、捨て駒にされる聖女は生まれないのだ。
嬉しいことではあったが、ドロメナ教が改善されたことを理由に、ルタロスに帰るよう手紙が来るようになってしまったのだ。
「もう私が帰る場所はルタロスじゃないのにね」
ティアが肩に乗るキュアノスを撫でる。
キュアノスは心地よさそうに「きゅぅ」と鳴く。
ティアはその場で、封筒に「無理です」と書き、新しい封筒に入れ配達員に手渡した。ルタロス王国へ送り返してもらうのだ。
「いいかげん諦めてくれないかな……。毎回申し訳ないです」
「いえいえ、俺はここに来る理由になって喜んでます。それに断りの手紙を預かるとと俺らも安心するんで。ティアちゃんに出て行って欲しくないからね。ティアちゃんがドラコーンに来てから、仕事が増えて、娘たちも帰ってきたし、村はすっかり明るくなった!」
プロトポロス商会の協力もあり、ドラゴン皮製品の事業が軌道に乗ったのだ。最先端の技術者がドラコーンに集まり、村人たちに手技を教えている。
王都で流行りのブランド品を作れるとなって、若い娘たちも村へ戻ってきた。
配達員はそう笑うと、ティアの返事を持って出ていった。
ティアはその言葉を嬉しく思い、ドアを閉めた。
ループ前は自分の意志を殺して国に尽くしてきたのに、最終的には生贄にされるという報われない人生だった。しかし、今は違う。自分の好きなことをして生きているのに、存在を認めてもらえるのだ。
「幸せ者ね」
ティアが呟くと、エルロがフンと鼻を鳴らした。
「ティアはもっと幸せになって良い」
「キュキュキュ!」
キュアノスも同意するように鳴く。
ティアは胸が一杯になって微笑んだ。寒い冬なのに、この小さな家の中は心まで温まるのだ。
ティアは窓際の作業台で、軟膏作りの続きをはじめた。先ほど配達員に渡した魔法の軟膏である。小さな小瓶にできたての軟膏を詰めてゆく。これから売り出す予定なのだ。できれば販路を拡大して、いずれは輸出を考えている。
テーブルの上にはまだ蕾の固いヒヤシンスが飾られている。
花の色がイディオスの瞳に似ているから、ティアが選んだものだ。
土の精霊エルロがティアのエプロンを握りしめながら、手元をジッと覗いている。
キュアノスはティアの肩に乗り、鼻歌を歌っている。
「ティアちゃん! 頭が割れそうだ~」
窓の外から竜騎士団の団員たちが声をかける。
「どうしたんですか?」
「演習中にちょっと、ラドン団長に殴られた」
窓から顔をつっこんでティアに見せる。
額を見れば、小さなたんこぶができている。たんこぶくらいなら演習場に常備してある膏薬ですぐ治る。
頭が割れそうなどと大袈裟なことを言って、ティアに会いに来たのだ。
「中に入ってください。治療しましょう」
ティアは笑いながら招き入れれば、竜騎士たちはドカドカと家の中に入ってきた。遠慮なくソファーに座る。
雪が床に落ち溶ける。小さな家の床は、ティアの最新魔法で床暖房になっていた。
エルロは嫌そうな顔をして、ティアの後ろに隠れる。
ティアはたんこぶに膏薬を貼り、望み通り大袈裟に包帯を巻いてやった。
「なんでこんな怪我をしたんですか?」
「コイツ、村の女の子に一目惚れして、ずーっとぼーっとしてるから、気合い入れられたんだよ」
「ティアちゃーん、惚れ薬、作ってよぉ」
情けない声を出す騎士に、笑いながらテーブルの菓子を摘まむ騎士。ティアはふたりにエルダーフラワーのハーブティーを出す。
「惚れ薬なんて必要ないでしょう?」
ティアがおかしそうにフフフと笑う。
竜騎士たちはその笑顔にクラリとよろめく。
「そりゃ、ティアちゃんや殿下ならいらないかもしれないけどよ。俺たちみたいな無骨な奴らは、薬にでも頼らねぇと恋愛なんて無理なんだよ」
「そんなことないですよ。お話ししてみればきっとわかってもらえます」
「信用できねーなぁ」
「そんなことないですよ? イディオスと私の出会いは最悪でしたから。なんてったって、剣を突きつけられたんですよ?」
ティアが口を尖らせて言えば、竜騎士たちはドッと笑った。
「殿下らしいっちゃ殿下らしい」
「よくティアちゃん許したな。あの無愛想冷徹王子を」
「でも、イディオスが優しいのは一緒にいればわかりますから」
イディオスを思い出し幸せそうに微笑む少女を見て、竜騎士たちは羨望のため息を吐く。
「あーあ、いいよな。中身見てくれる女」
「ティアちゃーん、俺と付き合ってよ!」
竜騎士たちがワイワイ言いあえば、唐突に扉が開かれイディオスが入ってきた。
そして、竜騎士たちに駆け寄るとスパコンと頭を叩いた。
「いつまでサボってる」
「殿下こそ!」
「俺は手伝ってる」
イディオスの手には泥まみれの籠がある。籠には雪の下から掘り出したビーツが乗っていた。
「さぁ、帰れ! 帰れ!」
「てぃあちゃーん、殿下が怖い~」
「ティアに甘えるな!」
イディオスは竜騎士たちを追い立てた。
ティアはクスクス笑いながら、竜騎士たちを見送る。
「ティアちゃん、また来るね!」
「ええ。また来てください」
「来なくていい!!」
イディオスはそう言うとバタンと戸を閉めた。
「ティア、ひとりのときに男を家に入れてはいけない」
「ギュ!」
「妾もおる、ひとりではないわ」
キュアノスとエルロが否定して、グッとイディオスは言葉を詰まらせた。
ティアしか見えていなかったのだ。
ティアはそっと背伸びをして、イディオスの頬に付いた泥混じりの雪を指先で拭った。
イディオスは嬉しそうに目を細め、ティアに唇を寄せようとする。
すると、キュアノスがそんなイディオスの額を押し返し、エルロがティアのエプロンを引っ張った。
イディオスは不快そうに舌打ちをすると、籠を作業台の上に置き、家から出ようとする。
素っ気ない行動に、ティアは少しだけ残念だ。
イディオスは去り際に振り返り、妖艶に微笑んだ。
「またあとで、邪魔がないときに」
それだけ言うとパタリとドアを閉めた。
「妾が邪魔だと!?」
「ギュギュギュ!!」
エルロとキュアノスはドアに向かって猛抗議をした。
ティアは顔を真っ赤にして、その場にへたり込む。体中沸騰したように熱くなり、頭から湯気が立ち上りそうだ。
「~~~!! もう、イディオスったら……」
恥ずかしくて、嬉しくて、身もだえる。半泣きなのに口元はニマニマとして、絶対におかしな顔をしている。ティアは両手で顔を覆った。
「アイツはけしからん!」
「キュ!」
「妾たちでティアを守ろうぞ」
「キュウ、キュキュ」
「なにを。お前がティアの相棒だと? 妾は土の精霊だ!!」
「キュウキュウ」
「帰れと言われても帰らんわ!!」
キュアノスとエルロはドアの前に言い争いを繰り広げている。
ティアはスーハースーハーと呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせてから立ち上がった。
まだ、耳まで熱い。
窓際に立ち、外を見る。寒い中、鼻を赤くしイディオスが作業をしている。
こうやって、黙々と……。人の評価なんて気にしないような、不器用なところも好き。
ティアが心の中で呟いた瞬間、イディアスが振り向いて手首の青いブレスレットに口づけた。
ティアは驚いて、思わずイディオスの視線から避けるようにかがみ込む。
そうしてしまって、ハッとする。
イディオス、傷ついたかな……。
シュンとすれば、手首のブレスレットがホンワリと輝いた。イディオスのブレスレットの片割れである聖遺物『群青の光明』だ。
ティアはその光を見て、ホッとした。
こうすれば、きっと伝わる――。
ティアはブレスレットにそっと唇を寄せた。
外で、イディオスが驚く声がする。
ティアはそろそろと立ち上がり、イディオスを見た。
イディオスは嬉しそうにブレスレットを掲げてみせる。ティアも同じようにブレスレットを掲げた。
イディオスはなにもかもを投げ出して、ティアの立つ窓へ走ってくる。ティアは窓を開け放った。
雪交じりの冷たい風が吹き込んでくる。
イディオスは窓越しからティアを抱き上げ、桟の上に腰掛けさせた。
キスをした。走ってきたため、息が熱い。
「……ティア」
呪いがなくてもかすれる声。
「……イディオス」
答えるティアの声もかすれている。
イディオスは、はにかんで瞼閉じるティアに、まるで壊れ物にでも触れるように、優しく優しくキスをした。
それは、あの日の冷たいキスとは違って、熱に浮かされたように熱い。
グラリと揺れるティアの体を、イディオスはきつく抱きしめた。その体は温かく、誰よりも安心する。
冷徹なんて嘘だった。このまま抱きしめられていたら、熱くて溶かされちゃう……。
ティアは熱い吐息を吐き出して、冷徹王子の情熱的な抱擁に身を任せた。
*****
「あーあー、やっぱり惚れ薬は無理だったか」
竜騎士たちは、竜の谷に向かってポツポツと歩いている。サクサクと雪が鳴る。
ティアが発案したドラゴン皮のブーツは、雪の中でも温かい。
「にしても、イディオス殿下、変わったよな」
「ドラゴンにしか興味がない人だったのにな」
「あんなに怖い男をさぁ」
「優しい人って言うんだからさ……」
ふたりはイディオスとティアを思い出し、顔を見合わせ微笑んだ。
「あー、俺も恋したいぜ。ティアちゃん見たいに可愛い子」
「俺らみたいなのは無理だろ?」
「中身、見てくれるような人いねぇかな」
「まずは、俺たちが相手の中身見なきゃいけねぇんじゃね?」
「そりゃ、そうだ」
ガハガハと笑う竜騎士たちの脇を、キャーッと歓声を上げながらお洒落をした少女たちがかけていく。
ドラコーン島は今日も穏やかだ。
雪に反射して、太陽がキラキラと光る。温かい日差しが、青白い世界を溶かしてゆく。
スノードロップが顔を出し、もう春が近いのだと笑うように花開いた。
終わり