ティアはエリシオン王宮の廊下を歩いていた。肩にはキュアノスが乗っている。
イディオスの呪いを解いたことで、エリシオンの王と謁見することとなったのだ。
隣にはクロエがいる。メソン島でのティアの身元引受人になってくれたのだ。謁見用のドレスを用意してくれ、着替えやメイクなどの手配もしてくれた。靴と手袋は『ラブロ・ドラコ』のドラゴン皮製品である。
長い廊下を歩いていると、向かいから金髪の女の子が現われ道を塞いだ。
十三歳くらいの気の強そうな少女である。
「あなたが悪女ね!!」
ティアを指差す。
ティアは意味がわからず戸惑っていると、ジロジロと見ながらグルリと一周する。
「イディオスお兄様を誘惑した悪女! どんな手を使ったのか知らないけど、わたくしは認めないんだから!」
半泣きになり、毛を逆立てた子猫のように威嚇する。
クロエは思わず噴きだした。
ティアが呆然としていると、後ろから侍女らしき女が追いかけてきた。
「公女様! お待ちください!」
どうやら、どこかの公女らしい。
「私のデビュタントはイディオスお兄様といっしょだって、決めてるんだから!!」
公女が怒鳴る。
そのときイディオスが現われた。羽の付いたマントを羽織り、いつもより豪華な服装だ。王子らしいその姿は、凜々しく華麗である。
そんなイディオスの周りには、すでにたくさんの貴族たちがうろついている。
「イディオス殿下ぁ」
若い令嬢が嬌態を見せる。
「イディオス殿下!」
若い子息が媚態をつくって追いかける。
「無礼ですよ。お控えください」
それらを侍従が追い払っている。
イディオスはまるで見えないかのような無表情で、一切を無視してティアに向かって突き進んでくる。
こ、こわい……。ちょっと逃げたい……。
ティアは怯み後ずさった。
「イディオスお兄様!」
公女はピョンと飛び跳ねてイディオスを見た。
しかし、イディオスは公女には見向きもしないでティアに微笑む。
その笑顔の美しさに、周囲の貴族たちは視線も心も奪われた。
「ティア、とても綺麗だ」
イディオスがにこやかにティアを褒めると、令嬢貴族のあいだからは断末魔の叫び声があがった。
「……ありがとうございます」
ティアは周りの様子にたじろぎながらも礼を言う。
「イディオスも素敵です」
「あなたがそう言ってくれるなら、こういう格好も悪くない」
イディオスは心底嬉しそうに微笑み、ティアの頬を撫でた。
ティアはカァと頬を赤らめ、モジモジと俯く。
ふたりだけの世界を醸し出だれ、公女はメソっと瞳に涙をためた。
周囲には絶望に満ちたため息が溢れかえる。
「イディオスお兄様、酷いです。やっと帰ってきたのに、ちっとも会ってくださらない。それも、悪女のせいですか?」
詰る公女をイディオスは睨む。
公女はビクリと体を震わせた。
「行こう、ティア」
イディオスは公女をまるっきり無視をして、ティアの腰を抱き促す。
公女はそれを見てシクシクと泣き出した。
「……あの、イディオス、大丈夫ですか」
「なにがだ?」
本当に意味がわからないというように首をかしげる。イディオスにとって、それはいつもどおりの行動だったからだ。
ティアからしてみれば、自分の知っているイディオスとはあまりにも違って驚いた。
「あの子、イディオスの知り合いでしょう?」
イディオスはティアに言われ少女に振り返る。
「ああ、たぶん従姉妹のひとりだろう。しかし、ティアを馬鹿にするような者とは口をきく必要もないからな」
当然のことだと言わんばかりに答える。
ティアとクロエは顔を見合わせて、小さくため息を吐いた。少し公女に同情したのだ。
「……でも、どうしよう……。国王陛下にも王子を誘惑した悪女とか言われたら……。ルタロスへ帰れと言われるかも」
あり得ない心配にクロエは笑う。
「もしそんなことになったら、私がティア嬢をお預かりします。どこか違う国でも行きましょう」
「ほんとう?」
目をキラキラさせてティアがいうものだから、クロエは心の中で苦く笑う。
まったく意味がわかっていないようだから、困った人です。
「そんな必要はない!」
「キュ!」
イディオスとキュアノスがクロエを睨みつけ、クロエは首をすくめる。
謁見の間についた。
緊張するティアを励ますようにクロエは微笑む。
「大丈夫ですよ。今日のティア嬢はとっても素敵です。なんてったって、我がプロトポロス商会の自信作で飾り立てられているのですから」
「そうですね。ありがとうございます!」
ティアは励まされホッとした。
「俺も言ったぞ。綺麗だと言った」
不機嫌そうに言うイディオスにティアは噴きだした。
「はい、聞きました。ありがとう、イディオス」
おかげで緊張がほぐれた。
「さあ、行こう」
イディオスの声で、大きな扉が開かれる。
ティアは頷き、一歩足を踏み出した。
赤い絨毯が王座に向かって敷かれている。ふたりはその上の歩いて行く。
王の前で最敬礼をする。
ティアが孤児だったと聞かされていた国王夫妻は、優雅なカーテシーに驚いた。いくら伯爵家の血筋であったとしても、不遇な育ちを聞いていただけあり、教養やマナーは期待していなかったのだ。
「イディオス、呪いが解かれたというのは本当か?」
国王が問う。
「はい。ここにいるティアが、私の呪いを解いてくれました。その証拠に……」
イディオスは一旦言葉を句切ると、ティアを見つめた。
ティアは意味がわからず首をかしげる。
「俺はティアを愛してる」
唐突に言われて、ティアは顔を真っ赤にした。
「っ! あ、イディオス……殿下っ!! 国王陛下の前でなにを言ってるんですか」
「呪いの解けた証拠を見せている」
「そんな方法じゃなくてもっ!」
「なぜだ、嘘じゃない。俺はあなたを愛しています」
「そうじゃなくてっ!」
「ティアはもしかして違うのか?」
「そんなわけないでしょう? でも、」
「でもなんだ?」
ションボリと子犬顔をするもと冷徹王子と、顔を真っ赤にして慌てふためく自称悪女を見て国王はニマニマと満足げに微笑んだ。
ティアはその生暖かい視線に気がついて、慌てて胸に下げている聖遺物『群青の光明』をとりだして、手のひらにのせ掲げて見せた。
「あの、これが証拠です。イディオス殿下にかかっていた呪いが浄化され、聖遺物となりました」
国王は面白そうにフムと唸る。
「聖遺物は持ち主を選ぶのだと言ったな」
「はい。この聖遺物『群青の光明』はふたつでひとつの聖遺物となります。イディオス殿下と私が選ばれました」
国王は鷹揚に頷いた。
「礼を言う。ティア嬢よ。そなたはとても魔法について造詣が深いようだ。聖遺物に関してもしかり、呪いについてもしかり。魔法陣を使って取りだしてくれたのだと王太子から聞いた。また、最近竜騎士団で使っているポーションや、ドラゴン皮の製品はそなたが作った物だと聞いている。そなたのような素晴らしい人がイディオスのそばにいてくれること、父として感謝する」
ティアは国王の言葉に恐れいる。
「また、失われたポイニクス伯爵家の娘が見つかったこと、喜ばしく思っている。後日、正式の系図へ登録をさせよう」
「……ありがとうございます……。でも、私、家族に捨てられたみたいなので、ご迷惑では……?」
ティアはぎこちなく笑う。
その無理した笑顔にイディオスは胸を締め付けられた。