ティアはそんなクロエを見送ると、ホッと一息をついた。

「やっぱり、いい人だった!」

 満足げなティアの隣に、イディオスはドカリと腰掛ける。

「アイツが好きなんですか?」
「商談相手ですよ? 普通にご挨拶しただけです」

 イディオスの問いにティアは首をかしげる。

「でも、俺や竜騎士たちにはじめて会ったときと態度が違う。男なのに怖くないのですか?」

 イディオスに言われてティアは思い出す。

 竜騎士団たちは見た目がいかつい上に、ループ前には攫われそうになっている。イディオスに至っては今世でも剣を向けられている。
 普通に接することなどできるわけがない。
 
「……あの、イディオスは初対面のとき、剣を突きつけてきたんですけど……?」

 ティアが言えば、イディオスはハッとしてシュンとした。

「すまない」
「いえ、あのときは助けてくれてありがとうございました」

 ティアは笑う。イディオスがいなければ死んでいた。

「私、男の人は怖かったんですけど、イディオスと一緒に暮らして怖くないってわかりました。それにクロエ様は優しそうですし、親切そうです」

 ティアが屈託なく答える。
 イディオスは胸が痛い。

「俺は、優しくないし、親切じゃない」
「? イディオスは優しいし、親切ですよ?」

 ティアは笑った。

「女性が嫌いなのに、こうやって私を心配してくれるじゃないですか。嫌いなものに親切にできるなんて、優しさ以外のなにがあるんです?」
「……女は嫌いだ。でも、ティアは別だ」

 イディオスはそう答えてから、ほかの女とティアはなにが違うのだろうとも思う。

「それって、私が女じゃないってことですか?」

 ティアはプンと唇を尖らせる。
 その仕草さえ可愛らしくて、唇に触れたいと思った。

 イディオスにとって女の唇は恐怖の対象だった。
 拒絶した魔女から無理矢理に押しつけられた唇には、毒々しいルージュが塗られていた。
 その唇から吹き込まれた呪いは、今でもイディオスの心を凍らせる。

 それなのに……ティアの唇に触ってみたい。

 イディオスは衝動的に指先を伸ばして、ティアの唇を押した。
 しっとりとした桃色の唇は、まっさらでフニと揺れた。魔女の唇とは別物のように、温かく柔らかい。
 イディオスは思いがけない感触に動揺し、慌てて指を離した。

 ティアは驚いてイディオスを見つめる。
 サファイヤピンクの瞳と、ブルーサファイヤの瞳が絡まり合った。

「もう! 話すなってことですか?」

 ティアはなじりながらも笑う。

 イディオスはドキドキとして俯いた。
 指先に、柔らかな唇の感触が残っている。
 思わず手のひらを握り込んだ。

「ちがう、そうじゃない。あなたが――」

 そこまで口にして、喉がつかえる。氷が張り付いてしまったように痛い。
 イディオスはヒリつく喉を押さえた。

 魔女の呪いか――? 今、俺はなにを言おうとした?

 イディオスは出なくなった言葉の代わりに、ひとつ咳払いをして言葉を飲み込んだ。
 ティアは笑った。
 イディオスがフォローを考えて失敗したのだと思ったのだ。

「でも、イディオスに嫌われないなら、女に見えなくても良いわ。私は私だもん」

 イディオスの胸になにかがストンと落ちた気がした。

「そうか、ティアはティア……」
 
 へその奥が温かくなる。
 ティアに嫌われたくないと思われていることが嬉しかった。 

 ああ、こんなに胸の奥が温かくなったことがあっただろうか……。

 握り絞めた拳を開いて、指先を自分の唇に当てた。
 唇が熱くなる。その熱が喉に張り付いた氷を緩めた。思いがため息に溶ける。

 まるで、愛おしい者に触れたかのような切なげな表情に、ティアはボンと顔が熱くなる。
 そしてブルブルと頭を振った。

 勘違いしちゃ駄目! イディオスは人を愛せないのよ。そういう意味じゃないってば!! それに、好きになったら嫌われるんだから!

 顔を真っ赤にするティアを見て、キュアノスは不思議そうに「キュ?」と鳴いた。
 ティアはそんなキュアノスのたてがみに顔を埋め、スハスハとその香りを嗅ぎ心を落ち着かせた。

「きゅあぁぁ」

 キュアノスは嬉しそうに尻尾をパタパタと動かした。
 その様子に、胸がチリとする。
 そして、キュアノスに対抗するようにティアの頭をヨシヨシと撫でた。

「……イディオスは私をドラゴンの子供だと思ってますね?」

 ティアは恨めしげに顔を上げて、イディオスを軽く睨む。
 イディオスはティアの瞳に自分が映り、嬉しくなった。

「ティアはドラゴンの子供もより愛らしいが?」
「っ! ~~!!」

 イディオスの屈託のない言葉に、ティアは撃沈し、もう一度、キュアノスのたてがみに顔を埋めた。