ティアとキュアノス、イディオスはドラコーンの村へ来ていた。

 ティアに与えられたのはこじんまりとした家だった。白い壁に青い屋根はエリシオンの特徴だ。玄関も、窓についた扉も青い。
 小さな庭には井戸も畑もある。イディオスとふたりで暮らすにはちょうど良い素朴な家だった。
 しかし、家は住める状態ではない。全体的な修理は終わっていたが、家財道具が揃っていないのだ。これから揃えていく必要がある。

 三人は家の中に入ってみる。

「ここがリビング、ここがキッチン」

 ティアは弾むようにスキップしながら、家の中を歩き回る。
 リビングの奥の壁にはふたつの青いドアがある。ドアを開けてみれば壁を挟んで対照的な部屋だった。
 
「イディオスはどちらの部屋が良いですか?」
「俺はどちらでも良い。ティアが選んでください」
「キュアノスは?」
「キュ!」

 キュアノスは東側のドアを選ぶ。

「じゃ、私たちはこっち!」

 ティアとキュアノスは、東側の部屋にワーッと入っていく。
 イディオスはドアノブを見た。

「鍵が必要だな。鍵職人を呼んでこよう」

 その言葉にティアはキョトンとした。
 今まで住んでいた場所は、個室だったことはなく部屋に鍵をかける概念がなかったのだ。

「鍵……ですか?」
「ああ、危険だろう?」
「家の中なのに、危険なんですか?」

 問われて、イディオスは言葉を詰まらせた。

「すまない。俺は今まで、夜這いに来る女たちから身を守るために鍵を使っていたから……」

 イディオスの言葉にティアは首をかしげる。
 
「夜這い……とは、どういう意味の言葉ですか?」

 純粋無垢な目で問われて、イディオスは目を逸らした。

「……無断で恋人ではない人のベッドに入り込むことだ。……その……」

 意味を理解して、ティアはバッと顔を赤らめた。

「私! そんな!」
「もちろん、あなたを疑っているわけじゃない! ただ、習慣で、だから、鍵がないと落ち着かないだけで……」

 イディオスが申し訳なさそうに言う。
 ティアはそんな様子が気の毒に思った。

「鍵が必要だと思うほど、嫌な思いをしてきたんですね」

 ティアの言葉に、イディオスはホッとして頷いた。

「一緒に暮らすのだから、ティアには話しておいたほうが良いな」
「?」
「俺の呪いのことだ」
「イディオスの呪いですか?」
「俺は十三歳のときに、魔女から『人を愛せない呪い』を飲まされた」
「呪いを飲ます?」
「ああ、今思い出してもゾッとする」

 イディオスはそう言って身震いし、自分自身を両手で抱きしめた。

 思い出される魔女の禍々しい黒い瞳。絡みつくような長い髪。伸びた爪が、イディオスの肌を傷付けた。
 ベットリと塗りたくられたルージュ。キツイ香水の香り。どうやって入ったのか、魔女はイディオスのベッドの中にいた。

 イディオスは震える唇を噛む。

「あの、無理はしなくても……」
「いや、知っていてほしい」

 そう言って、フウと大きく息を吐いた。

「魔女は知らぬ間に俺のベッドの中にいた。前の日に思いを告げられ、断った女だった。魔女はおもむろに俺の顎を掴み、自分の唇を俺の唇に押しつけたんだ。そして、そこから『人を愛せない呪い』を吹き込み消えた」

 イディオスは喉元をさすった。

「魔女は見つからず、呪いの解き方もわからないままだ。二度と同じことが起こらないようにと、ドアに鍵をかけた。それでも安心できずに王宮から逃げ、ここへ来たんだ。……だが、いまだに熟睡できたことはない」

 イディオスの過去を教えられティアはショックを受けた。十三歳というまだ子供ともいえる年で、これほど酷い体験をしたのだ。

「……それから俺は女が怖ろしくなった。恋するような目で見られるのが嫌だ。愛してると言われても俺は愛せない。愛は簡単に狂気に変わると知ったからだ」

 イディオスに言われて、ティアの胸は痛んだ。

「それなら無理して護衛をしていただかなくても」
「そんなことない! 無理してはいない!!」

 ティアの言葉にかぶせるようにしてイディオスが答える。

「もし良かったら、呪いを少し見せてくれませんか?」

 ティアはそう申し出た。

 イディオスの両親も、今まで呪いを解こうと手を尽くしてくれていた。それこそ王家の力を使い、できる限りのことをしてくれた。
 しかし、解決策はいまだわからない。
 そもそも、人嫌いのイディオスは特に困っていなかったため、呪いを解くことに無関心だったのだ。

 でも、ティアになら、見てもらってもいいな。

 そう思い頷く。

「すこし、口を開いてください。……あの、触っても良いですか?」

 イディオスは言いなりになり、瞼を閉じた。
 今までは女の前で目を閉じることすらできなかったのに、ティアの前では素直になれる自分が不思議だった。

 ティアがそっとイディオスの顎に触れる。
 鼻先にティアの吐息がかかる。
 首筋にサラリと髪が落ちた。甘い空気が揺れる。

 嫌悪感はない。それどころか、ムズムズと心がくすぐったい。油断したら笑ってしまいそうだ。

 そんなイディオスとは裏腹に、ティアは真剣そのものだった。

「……なにか……喉の奥に魔力の固まりがあります。魔力が凝華(ぎょうか)している?」

 気体だった魔法が、なんらかの条件でイディオスの体内で固体化し、喉を塞いでいる。

「いにしえの魔法ね。これを解くには聖遺物の力が必要だって、読んだことがある……」

 大聖女だったころ、大聖堂の図書室で見たことがあった。聖遺物を持つ者だけが入室を許された、閲覧室の本だ。
 
「わかったのか?」

 イディオスは瞼をあげた。
 ティアは頷いた。

「この呪いを解くには聖遺物の力が必要なんです。でも、聖遺物の力が使えるのは、聖遺物に選ばれた人間だけです。エリシオンには聖遺物に選ばれた方はいますか?」
「聞いたことはない」

 イディオスの答えにティアはションボリとする。

 もしも、ループ前に『紅蓮の希望』を飲み込んでいなければ、イディオスの呪いを解くことができたかもしれないと思ったのだ。

「気にするな。そもそも呪われていてもそれほど困っていないしな。それに、今までは手がかりすらなかったんだ。手がかりがつかめれば、ほかの方法も探しようがある。……ありがとう。ティア。あなたに見せて良かった」

 イディオスが微笑んでティアは安心した。
 失望されると思っていたのだ。失敗すれば「役立たず」と言われてきたティアは、感謝されるとは思わなかった。

「ではせめて、安心できるように鍵をつけましょう。そうだ! 女性が入れなくなる結界も張りましょう!!」
「できるのか?」

 ティアは悪戯っぽく笑い頷いた。

 イディオスの部屋の中央に魔法陣を描き、ドアの外から発動させる。
 ティアは出来上がった結界を確認するように触れてみる。

 ボウンと空気膜が震え、中には入れない。

「こんな感じです。もちろん、私は結界を解くことができちゃいますが……これしか方法を知らなくて」

 イディオスは尊敬するような目でティアを見る。

「いや、充分だ。あなたはすごいんだな」
「そんなことなです」

 ティアは照れたように笑う。

「一緒に生活するんです。我慢はしないでくださいね?」
「ああ、我慢はしない。あなたも俺に遠慮はしないでください」
「はい!」
「では、必要なものを書き出して、村へ買いに行こうか」

 イディオスが言って、ティアはピョンと飛び跳ねた。