乙女の楽園にはクレスがやってきた。
突然、結界の崩壊を感知したからだ。
今の司祭は神聖力が弱い上に無能だ。子供相手ではそれでも役に立つと思っていましたが、ティアに攻撃的なのは許せません。
今回の不始末を彼に押しつけ、新しい者を管理者に据えましょう。……そういえば子供好きの聖女がいます。あとは彼女に任せましょう。
クレスはそう考えながら、乙女の楽園の門をくぐった。
結界は完全に破られている。
この結界は、複数の司教で作り上げ、毎月クレスが新しい神聖力を注ぎ維持してきたものだ。
やすやすと破られるものではないはずだったかが、見事なまでに消えている。
こんなことが出来るのは、きっと、ティアしかいない……。
クレスは思い、わくわくと胸が高鳴った。
庭はあたり一面焼け焦げていた。
子供たちはクレスを見つけると、泣きながら駆け寄ってきた。
その後ろを修道女がついてくる。
「どうしたのです? なにがあったのです?」
「ティアねー、いないの」
「ティア姉ちゃんが行っちゃったの!!」
クレスはサアッと顔を青ざめさせた。
修道女の顔を見る。
「一体なにがあったのです? ティアは無事ですか?」
修道女は弱り果てた顔で首を振った。
「それが……ドラゴンに乗って、消えてしまいました……」
「ドラゴン? そんな、まさか……」
クレスが首をかしげる。
すると子供たちが、怒ったように次々と話しだす。
「嘘じゃないもん!」
「見たもん! みんな見たもん!!」
「司祭様がたき火をしてて、その火が庭に広がったの! その火を消してくれたんだよ!!」
「青いドラゴンと白いドラゴン、キラキラしてた!」
「ティア姉ちゃんが呼んでくれたの! ドラゴンに火を消せって言ってくれたの!!」
「ほら、これがドラゴンの足跡!!」
子供が指差した地面には、いびつなへこみが四つあった。
焼き払われた庭なのに、ところどころ小さな紅色の花が咲いている。
クレスはかがみ込み、その花に触れた。ティアの神聖力を感じる。心地よい薫りが仄かに漂う。
「……これはティアの神聖力の残滓が花になったんですね」
ああ。ティアの神聖力は、どうしてこんなに心地よいのか……。
深いため息を吐いた。対照的に黒く焼けた草を摘まんでみる。
どす黒い悪意に触れて、クレスは思わず嘔吐いた。
気持ちが悪いな……。これは、あの司祭の魔力だ。
クレスは立ち上がり、子供たちに微笑んだ。
「本当ですね」
子供たちは、「でしょう?」と満足げにふんぞり返った。
修道女はオズオズと尋ねる。
「あの……ティアは、ドラゴンだなんて……ティアは本当に除籍になるのでしょうか? でも、あの子は悪くないんです。私たちを助けてくれて、そうじゃなくても、あの子がいないと……」
修道女は涙ぐむ。
「除籍?」
「はい。司祭様が除籍したと……」
胸の中に怒りが着火するのがわかる。クレスはそれでも表面的には優しげな笑顔を取り繕ったまま尋ねた。
「なにがあったのでしょうか? すべて私に話してください」
修道女は事細かくすべてを話した。
司祭が邪教の本をティアに焼かせようとしたこと。聖なる炎が、黒い突風に煽られ火事になったこと。そして、その火事を消火したのがティアとドラゴンだったこと。それなのに、司教はティアに石を投げたこと。そして、白いドラゴンに乗った男に、ティアが連れ去られてこと――。
ティアが男に連れ去られた!?
クレスは焦った。白いドラゴンに乗った男など、エリシオンの竜騎士しかいない。しかも、その男は悪名高かった。残酷無慈悲な冷血漢で人を愛することができないのだと。
そんな男に……! ティア、無事でいてください!!
クレスは祈るような気持ちになる。
「司祭はどうしているのです?」
「司祭様は自分の部屋に閉じこもり、出てこられません……」
「……そうですか。では、私がお話ししてみましょう」
クレスが優しくそう言うと、修道女も子供たちも口々に礼を言った。
クレスは足早に司祭の部屋に向かった。ティアが攫われたと聞き、怒り心頭である。
しかも、石を投げただなんて。ただでは済ませません。
司祭の部屋をノックする。
答えがないのでドアノブを回す。
鍵がかかっていたので、魔法で鍵を壊して中に入る。
「ひっ!」
司祭は驚きの声を上げた。
クレスの顔を見て安心し、ホッとため息を吐く。
クレスは黒いオーラに包まれた司祭を見て、嫌悪感に襲われる。
「クレス様でしたか……」
「司祭、話を伺いましょうか」
ピリピリとしたクレスに司祭は負けじと対峙した。
「わ、私はしかたがなかったんです。あの子がドラゴンを召喚して……。だから、私は子供たちを守るため、司祭としてドラゴンとティアを撃退したのです!!」
クレスは鼻で笑う。
「あなたにはそんな力はありませんよ」
司祭はクレスの冷笑にカッと顔を赤らめた。
「クレス様、なにもかも自分ひとりがわかっているかのように振る舞うのは止めてください。私のほうが神にはずっと長くお仕えしてきています。司教になれなかったのではない。子供が好きだからならなかっただけなのだ! 私が司教になっていたら、あなたは司教になれなかった!」
司祭の言葉にクレスは笑った。
バカバカしくて相手に出来ないと思ったのだ。
「邪教の本をティアに焼かせたと聞きました。ここの本はすでに処分されていると報告されていたようでしたが、違ったのですね」
「あっ。あ、新しい物が見つかって……」
「教団に報告せずに、子供に、焼かせたと? これは教団に報告しなければいけませんね」
「クレス様が、ティアは聖女だとおっしゃっていたではありませんか!」
「私が言ったから? まだ神に聖女と認められていないティアに邪教の本を扱わせたのですか? 危ないとは思いませんか?」
「はっ! 本当にそう思いますか? あの女はおぞましくも聖なる炎で一つ残らず焼きました! 私が教えていないのにです!! おかしいんです!!」
まくし立てる司教の言葉に、クレスは感心して微笑む。
「さすがティアです。素晴らしい……。なんとしてもあの子を探し出さなければ!」
「ティア、ティア、ティア! クレス様はどうかしている!! 司祭の私より、ティアを信じるのですか!! クレス様はあの悪女に騙されているんです!! アイツは悪の化身です! だから、竜騎士などを呼びだしてここから逃げていった!!」
「なにを馬鹿なことを……、ティアは攫われたのです」
「悪女に騙されたあなたの言葉は信じられません。それに、もう除籍届を出しました。いまからクレス様が本山へ向かっても間に合わないでしょう」
司祭は笑った。
ざまぁみろ、そう笑った。
「ティアを除籍した……?」
クレスはあまりの愚かしさに、はらわたが煮えかえるようだ。
「司祭、あなただけに見えていないんですよ。あなたは今、黒いオーラに包まれています」
クレスの言葉に司祭は驚き、自分の体をワタワタと見る。
しかし、彼には見えない。
「そんな、そうやって、また、私を騙そうと……。あなたも所詮ティアに操られて……」
クレスはクスリと笑うと、ポケットから水晶の玉のついたペンダントを出した。
そして、呪文を唱え司祭に向ける。
「それは……」
「魔力を可視化させる魔道具『審判の石』です」
「っ! それは! そんな! 罪を犯した聖職者に使う」
「正確には、『罪を疑われた』です。罪を犯していなければ恐れるに足りませんよ」
クレスは笑った。
審判の石はどす黒く濁っていく。
司祭は自分の心の汚らしさに、ドッと背中に汗をかいた。
クレスは微笑みながらそのペンダントを司祭の首にかけた。
罪の重さが司祭の首にズシンとのしかかる。
「あなたは教会に来ていただく必要がありそうですね」
クレスはそう言うと、司祭に手かせを嵌めた。
司祭はガクリと項垂れる。
「お許しください……クレス様……」
クレスは憎悪をあらわに司祭を睨めつけた。
「許すのは私ではなく、神です」
司祭は震えた。恐ろしさのあまり、髪が白く変わっていた。
クレスはそんな司祭を鼻で笑い、部屋から連れだす。
司祭は力なくクレスの後についていった。
それにしても、除籍などと馬鹿なことをしてくれましたね。
これでは、教会としてティアを探すことは出来ないではないですか。
クレスは大きくため息を吐いた。
しかし、その瞬間思いつく。
……いえ、これはチャンスです。ティアのことが教会に知られれば、きっと狡猾な司教たちに利用されるでしょう。その前に私があの子を救い出す。そうすれば、ティアは私だけの聖女になる……。
クレスはゾッとするほど美しい微笑みを浮かべた。
庭に出ると、修道女と子供たちが集まってきた。
そして、白髪になった司祭を見て驚き怖がる。
小さな子供たちは不安で泣き出した。それでなくても、子供たちはショックだったのだ。
いつもは優しい司祭が豹変し、自分たちが姉と慕うティアを傷付けたこと。
どんなに優しい振りをしていても、自分たちもいつか石を投げられ追い出されるかもしれないと感じたのだ。
クレスは、修道女と子供たちに告げた。
「司祭は罪を犯したので、教会へ連行します。後日新しい聖女が責任者として来るでしょう」
修道女は冷たい目で司祭を一瞥してから、クレスに尋ねる。
「あの、ティアは、ティアはどうなるんでしょうか」
「残念なことですが、除籍したようです」
「じょせきって?」
小さな子供が小首をかしげる。
クレスは優しくその子の頭を撫でた。
「乙女の楽園には戻れなくなってしまいました」
「うそ!」
「ティア姉ちゃん、良い子だよ!」
「悪いことしてないよ」
「……ティア……」
修道女は涙ぐむ。
「私もティアが悪いとは思っていません。探し出して、必ず除籍を取り消そうと思っています」
クレスの言葉に、修道女も子供たちもキラキラとした目を向けた。
「みんな、ティアのことが大好きですよね? でも、ティアとドラゴンのことが教会に知られたら、ティアはここへ戻れません。だから秘密にしてくれませんか?」
「うん!」
「わかった!」
クレスは子供たちと別れ、司祭とともに馬車に乗った。
ガタンと馬車が動き出す。
司祭は皮肉に笑った。
「子供に口止めなんかして……。どうせ私が全部話すから無駄ですよ」
「どうぞ、ご勝手に。そうなれば、なぜドラゴンが来る状況になったのか、説明させられると思いますが。その結果、あなたがどうなるか、私は関与しません」
クレスは冷ややかに笑った。
「っ!」
クレスは司祭の首にかけられたネックレスを掴んで、見せつけた。
「それに、こんなに黒い心の言葉をだれが信じるというのでしょう?」
司祭は、祈るように両手を握り合わせ、そこに額をつけ声もなく泣いた。
クレスは興味も示さずに、馬車から外を見た。
ティア……。どこへ行ってしまったのでしょう……。竜騎士に攫われたなら、エリシオンか……。
クレスは聖地巡礼の修行という名分で、ティアを捜す旅に出た。
ところかわって、エリシオン王国の上空である。エリシオンは小さな島々が集まってできた国だ。
栄えている島はごく一部で、多くの島は素朴な田舎だ。各島には魔獣が住み、それらを使役することに長けていた。
真っ青な海に、転々と連なる島々。
白い壁に青い屋根が特徴的だ。まるでイディオスのように美しいとティアは思う。
向かったのは、イディオスが住むドラコーン島である。
ドラコーン島はエリシオンの中でも最北端に位置し、寂れた島だった。
島の上空を旋回し、竜の谷を眺める。
岸壁には横穴が掘られ、そこには一本のツノが生えたドラゴンたちが眠っている。竜の谷はドラゴンの巣だった。
小さなドラゴンも、傷つき年老いたドラゴンもいた。
「わぁぁ! すごい!」
ティアはキラキラとした瞳で竜の谷を見おろした。
限られた世界で生きてきた彼女にとっては、なにもかもが目新しかった。
竜騎士たちがドラゴンに跨がり訓練をしている。
「あれ? みんなツノがあるの?」
ティアは思わずキュアノスに尋ねる。キュアノスはティアと主従契約を結んだせいでツノがない。しかし、竜騎士たちが乗るドラゴンにはツノが生えていた。
「竜騎士になったからと言って、ドラゴンと主従関係になれるわけではないからな。主従関係を結べるのは特別な人間だけだ」
イディオスが答えた。
「きゅう!」
キュアノスがティアに頬ずりをする
竜の谷は岩がむき出しとなった荒涼とした土地である。
谷の入り口付近には、寂れた集落があった。畑は少なく、あっても作物は弱々しい。ドラゴンの毒のせいで、土地が荒れているのだ。
ここは竜使いたちが暮らす辺境の地だった。
イディオスはエリシオンの王子でありながら、その美貌と魔女の呪いのせいで王宮からは距離を置いていた。ドラコーン島を統べる辺境伯のもとで、竜騎士として暮らしている。
イディオスがティアを抱え、竜の谷の上空に現れたとき、人々はザワついた。
なにしろ、イディオスは人に興味がないのだ。
仲間の竜騎士が怪我をしたところで、振り返ることすらない。
しかも、女に対しては毛嫌いをしている節もある。そんな男がびしょ濡れの少女を抱きかかえてきたのだ。
イディオスが城の中庭に降り立つと、竜騎士たちが駆け寄ってきた。
「ヒュウ! 突然慌てて出ていったと思ったら! やるじゃねーか、王子さま!」
冷やかすような口笛を吹いたのは、竜の谷を統べる辺境伯ラドンである。竜騎士団の団長であり、イディオスの後見人でもあった。
筋骨隆々とした日に焼けた体に、短髪のごま塩頭。ヒゲを蓄えた顔に、歴戦の跡が残る。左目は傷で開かなくなっていた。
「なんだ? 本物のイディオス殿下か? 女を攫ってくるなんて!」
「イディオス殿下って面食いだったんすねー」
竜騎士たちは興味津々でティアを見る。
男慣れしてないティアは、ぶしつけな男たちに怯え、イディオスの背にサッと隠れた。
男と言うだけでも怖いのに、生前にはこの竜騎士たちに取り囲まれ弓を向けられたのだ。
小動物の子供のような姿に、ワッと竜騎士たちが興奮する。
「うわ! かわいい! なんだ、あれ!」
「ちょ、女の子って、あんなだったっけ? うちのねーちゃんとはぜんぜん違う」
ティアは恐怖でイディオスの背をキュッと掴んだ。指先がフルフルと震えている。
その様子に、イディオスの胸がキュンと高鳴る。
なんだ……この、可愛い生き物は……。まるで生まれたてのドラゴンみたいだ。
ドラゴンに例えるのは、イディオスにとって最大の賛辞だ。
人を愛せぬイディオスだが、ドラゴンは愛すことができるからだ。
「こわくないよ、おいで、おいで。そっちの男は危ないでちゅよ? ほら、お菓子をあげよう、お嬢ちゃん」
ラドンがふざけて、ティアを餌付けしようとする。
ティアは恐る恐るイディオスの背から顔を覗かせた。
イディオスはそれを見て、焦る。ティアを取られるのは嫌だと思ったのだ。
「ふざけるな。凍らせるぞ」
イディオスが冷たく言い放つ。青い瞳が剣呑(けんのん)に輝いた。
ホワイトドラゴンが大きく口を開く。キュアノスもそろって大きく口を開けた。
ラドンは笑って両手を挙げた。
「悪い悪い。そう怒るな」
「彼女は先日話した女神だ。キュアノスの相棒、ティア」
イディオスはつっけんどんに説明した。
「女神ではないです。ドロメナ教から除籍された悪女です……」
イディオスの背中越しからオズオズと訂正するティアに、ラドンは微笑んだ。
「ティア殿、ようこそ竜の谷へ。ここでは女神も悪女も大歓迎だ!」
ティアはぎこちなく微笑み返す。
ラドンは豪快に笑う。
「ティア殿を丁重にもてなしてくれ。まずは着替えを」
ラドンの命に、城の者たちが慌てて動き出した。
「風呂には入れるか」
イディオスが問えば、執事が頷く。
イディオスはティアを抱きかかえたまま浴場へ向かった。
「あの! 歩けます! おろしてください!」
「ここは荒くれ者が多いから危険だ」
イディオスがすまして答えると、周囲の竜騎士たちは「殿下が一番怖いのに」と肩をすくめる。
ティアがイディオスの腕の中で、ジタバタしているうちに浴場に着く。
キュアノスはパタパタと飛びながらついていく。
「この城には女がいないから不便をかけると思うが、とりあえず寛いでください。湯は温泉だ」
イディオスはそう言うと、ティアを降ろした。
「ありがとうございます……」
急な展開に呆気にとられていたティアはオズオズと礼を言った。
イディオスは少しはにかんでティアに背を向け、出ていった。
ティアは広々とした浴場に目を見張った。機能的で無骨な浴場だ。竜騎士たちが使っているのだろう。余計な装飾はない。
そして、お湯は熱くてヒリヒリとする。
「お水もドラゴンの毒で少し汚染されてるのね」
ティアはお湯を浄化する。温泉の優良成分だけ残り、まったりとした柔らかく良い湯になった。プツプツと気泡が体に張り付つく炭酸温泉である。
体を洗って、キュアノスと一緒に湯に浸かる。雨で冷えたからだが温まってくる。
すると、凍えていた胸の氷が溶け出して、せり上がってきた。
石を投げられた額が、今になって熱く疼く。追い出されたいとは思っていたが、それにしてもあまりにもひどい仕打ちが悲しかった。
化け物なんて言わなくても良いじゃない……。
零れそうな涙を隠すように、乱暴に顔を洗う。
「キュウ?」
キュアノスが慰めるようにティアを舐めた。
「慰めてくれるの?」
「キュア」
「そうよね。落ち込んでもしかたがないわ。せっかく自由になれたんだもの! キュアノスと一緒に幸せになるの!」
ティアはキュアノスをギュッと抱きしめた。
風呂から上がって着替える。着替えは男ものの下着と服しかなかったが、ティアは特段気にしなかった。乙女の楽園も同じような服装だったからだ。
ただし、服が大きい。裾と袖をめくり、ダボダボのウエストを両手で押えながら廊下へ出る。
そこではイディオスが壁にもたれながら待っていた。ほかの竜騎士が寄りつかぬよう見張っていたのだ。
風呂から上がったティアを見て、慌てふためき赤くなった顔を逸らす。
濡れ髪にサイズの大きな男物の服をきた少女は、あまりにも無防備に見えたのだ。
イディオスは自分のジャケットをティアの肩にかけてやる。シャツ一枚の体のラインが透けて見えた。
「っ、すまない! 気の利いた服がなく!」
ティアは意味がわからずにキョトンとする。
それよりも、出会ったころは表情もなくひたすら怖かったイディオスが、コロコロと表情を変えるのが面白い。
「ここを縛る紐がほしいです。落ちちゃうので」
ティアはウエストをガバリと伸ばして見せる。
「わかった! わかったから早くこれで止めてください!」
イディオスは自分のベルトを抜いて、ティアから視線を逸らせたまま突き出す。
ティアはベルトを受け取って結んだ。
「なぜベルトを止めないのですか?」
「穴が足りないんです……」
シュンとして答えるティアに、イディオスはウッと声を漏らした。自分とのあまりの体格差に、守りたいと思ったのだ。胸がドキドキと高鳴ってくる。
なんだ、この胸の痛みは――。
初めて感じる痛みにイディオスは、胸元をギュッと握りしめた。
言葉をなくしたイディオスに、ティアは困ってしまう。
「……あの……?」
「っ、あ、いや、すまない。すぐに服を取り寄せる。あと、部屋は俺の部屋の隣に用意した。食事の好き嫌いはありますか? 足りないものはなんですか? 欲しいものはすべて揃える。ドラコーンにはあまり高価なものはないですが――」
堰を切ったように話しだすイディオスにティアは苦笑いをする。
「あの、お仕事をください」
ティアの答えに、イディオスはポカーンとした。
「……仕事……?」
「はい。お仕事です」
「なぜ?」
イディオスは不思議に思う。イディオスの周囲にいた貴族の令嬢たちは仕事などしないのがあたりまえだったからだ。
「? なにもしないで生きていけないですから」
ティアは当然のように答えた。小さなころからずっと働いてきたのだ。
「それと、小さなお家を貸してください。できれば庭があると嬉しいです。家賃は払います」
「俺の部屋の隣では不満ですか?」
イディオスは冷たい顔で尋ねた。背中にはブリザードが吹雪いて見える。
ティアはゾッとして後ずさった。
キュアノスがティアを守るようにして、イディオスの前にはだかる。
困ったようにブルブルと唇を震わすティアを見て、イディオスはハッとした。
どんなに怒りをあらわにしても、女どもは見蕩れるように俺を見た。それなのに、ティアは違う。怖がらせてしまった……。
イディオスはシュンとして怒気を収めた。
「すまない。怖がらせるつもりはなかった。理由を教えてください」
ぎこちなく笑顔を作ってみせた。
「……あの、私、お城で暮らしたことがないですし……。悪女が城にいるなんて変ですし。……ここは男の人がたくさんで……こわい……ので」
小さなころから、聖職者以外の男性と目を合わすなと言われてきたティアにすると、男だらけのこの城は緊張する。
今でも廊下を通り過ぎる竜騎士たちが好奇心むき出して、ティアとイディオスのやりとりを眺めていくのだ。
「男が怖い……。俺もですか?」
イディオスはシュンとしてティアに尋ねた。
なぜか、ティアに怖がられるのは悲しい。
ティアはブンブンと両手を振った。
「イディオスはなんども私を助けてくれた恩人です! 怖い顔をするときはちょっと怖いけど、いつもは怖くないです!!」
「本当ですか? 無理してないですか?」
子犬のように縋るイディオスの瞳を見て、ティアは胸がキュンとする。
冷徹竜騎士なんて噂だけだったんだ。この人、こんなに可愛い……。
ティアはイディオスの袖をちょこんと摘まんだ。
そして上目遣いで彼を見る。
「本当です。信じてください」
イディオスはそんなティアを見て抱きしめたいと思う。
「抱きしめても良いですか? 怖いですか?」
律儀に尋ねるイディオスにティアは噴きだした。
「いいですよ?」
答えると同時にイディオスがティアを抱きしめる。
「あなたはとても可愛いな。まるで紅蓮の子ドラゴンのようだ!」
……紅蓮の子ドラゴン……? って褒められているのかしら?
独特の比喩に首をかしげた瞬間、イディオスに力を込められて思わずグエと息が漏れる。
「おいおい、抱き潰す気か?」
ラドンが現われ、注意されイディオスは我に返った。
「すまない……」
「大丈夫です」
イディオスとティアのやりとりにラドンは微笑ましいものを見たように、ニマニマと笑った。
「さすが悪女を自称するだけはあるな。人を愛せない冷徹竜騎士をここまで手懐けるとは」
「ラドン!」
イディオスはラドンを睨みつける。その冷ややかな表情で、ビュウと冷たい風が吹いたような気がした。
食事の時間になった。
だぶだぶの男物の服をきたティアの肩にはキュアノスが乗っている。
ダイニングではラドンとイディオスが待っていた。
テーブルの上には、黒いパンにチーズ、モンスターの肉がたっぷりと、野菜は少なめで、デザートは果物が用意されていた。
ルタロス王国の食事とは違ったワイルドなものだ。
「わぁ!!」
ティアは目を輝かせた。ルタロス王国のパンは白い。肉もこんなにたっぷりと出されたことはなかった。
まったく違う食文化に、自由になったのだと感じる。
初めて食べる黒いパンは、白いパンに比べ重く、どこか酸っぱかった。かみ応えがあるパンである。
「美味しい~!」
上機嫌で答えると、ラドンはホッとしたように笑った。
「このへんじゃ、小麦が貴重でね。古代麦を使ったパンなんだ。お嬢さんの口に合わないんじゃないかと心配したんだが、そりゃ良かった」
ティアはパンを頬張ったまま小首をかしげる。
「イディオスはなにも考えないであんたを連れてきたんだろうが、実のところ俺の領地はエリシオン国の中でも貧しい土地だ。ドラゴンの毒が土地にしみこみすぎていて土壌が悪い。ドラゴンの巣があるため竜騎士団の駐屯としてやっと成立してるような場所だ」
ラドンは気まずそうに頬を掻いた。
イディオスは無表情だ。
「お嬢さんは豊かなルタロス出身だろう? エリシオンでも別の島なら良いだろうが、ここでの暮らしは厳しいだろう。かといってイディオスは他の場所では暮らせないだろうからな」
ラドンが困ったようにイディオスを見た。
イディオスはこくりと頷く。
「俺はドラゴンがいない場所では暮らせない」
キッパリと言い放つイディオスにラドンは肩をすくめた。
「ほら、これだ。お嬢さん気持ちなんで微塵も考えられない男だ。イディオスになにを言われてついてきたのか知らないが、きっと後悔する。コイツの良いところは顔だけだ」
ラドンの言い草にも、イディオスは表情一つ変えない。
ティアは黒パンをモグモグと咀嚼してゴクリと飲み込んだ。
「そんなことないです。イディオスは良い人です。命を救ってくれて、悪女だと罵られ追い出された私を救ってくれました」
ティアは真っ直ぐにラドンを見つめた。
「そもそも贅沢なんていりません。自由に生きたいだけだから」
サファイアピンクの瞳が覚悟に燃えている。その眩しさにラドンは目を眇めた。
「ティアは仕事が欲しいと言っている。……あと、小さな家……だ、そうだ」
「ん? 仕事、仕事か……お嬢ちゃん、なにができるんだ?」
「ティアはドラゴンの怪我が治せる!」
イディオスが即答する。
ラドンは疑い深そうにマジマジとティアを見た。
「ほんとうかぁ? ドラゴンは傷つきにくいが、傷ついた場合、回復が遅い。治せるのは『紅蓮の希望』に選ばれた大聖女だけだって伝説だぞ? 今、紅蓮の希望に選ばれた大聖女はいないはずだ」
ティアは冷や汗をかく。
「キュアノスがそう言った。ドラゴンは嘘をつかない」
「きゅあきゅあ!」
イディオスの言葉にキュアノスが加勢する。
「でもなぁ……、イディオス。お前は当たり前のように竜の巣に入るが、普通は竜騎士だって中には入れん。そんなところに、細腕のお嬢ちゃんをなぁ……」
「俺が守る」
「きゅあ!」
キリとした眼差しをイディオスとキュアノスが向けた。
ラドンは小さくため息をつく。
おいおい、イディオス殿下がこんなに表情を変えるなんて、呪われて以来初めてだぜ? 殿下はまだ気がついてねーかもしれないが、呪いが解けるかもしれねぇな。そうとなりゃ、おじさんが協力してやんねぇと。
苦笑いしつつ、ラドンは少しだけ思った。
「まぁ、とりあえずドラゴンの治療をしてくれよ、お嬢ちゃん。無理は禁物だ。危なくなったら逃げるんだぞ?」
「はい! ありがとうございます! 頑張ります!」
ラドンの提案にティアは元気いっぱい返事をした。
「あと家か。小さな家なら村はずれに空き家が一軒あるんだが、すぐには使えねぇ。家の準備ができるまで、城で過ごしちゃくれねぇか。それと、城から出て暮らしたいなら、当分はイディオス殿下を護衛に連れていってくれ」
「でも、申し訳ないです……。キュアノスがいるから大丈夫……」
ティアが言いかけるとイディオスはキュアノスをギュンと睨んだ。
「ぅきゅぁ……」
キュアノスがプルプルと震えてティアにすり寄る。
「お嬢ちゃん、キュアノスのためにもイディオスを連れていってくれ」
ラドンが言うと、キュアノスは同意するように「きゅあ、きゅあ」と頷いた。
「でも、迷惑じゃ……」
「迷惑じゃない! です!」
ティアの言葉にイディオスはかぶせて答える。
ティアは呆気にとられながら、微笑んだ。
「ではお願いします。本当は心細かったんです」
ティアが笑うと、周囲は薔薇色の薫りに包まれたようにほんわかとする。
ラドンは眉間のあいだを押さえた。
「……おい、殿下。とんでもねぇ悪女を攫ってきたな」
イディオスは胸をおさえ、小さく同意した。
ドラコーン島での生活が始まった。
イディオスが着替えにと用意してくれたのは、町娘たちがよく着ているワンピースだった。
イディオスの瞳と同じサファイヤブルーのワンピースに、白いブラウス、腰には乙女の楽園で身についていたエプロンバッグをつけた。
ルビーレッドの髪はポニーテールに縛る。聖女のころは髪を結い上げたことすらなかったので新鮮だった。
イディオスはティアをまぶしそうに見た。
「紅蓮のドラゴンのように美しい……」
ボソリと呟くが、ティアは意味がわからず首をかしげるばかりだ。
イディオスにとっては最大の賛辞だが、ドラゴンにたとえられ喜ぶ女性は多くない。
「キュ!」
キュアノスがウキウキとティアの肩に乗った。
今日はイディオスとキュアノスとともに竜の谷に来ている。
イディオスの側には白いドラゴンが佇んでいる。
竜の谷では、竜騎士たちがドラゴン操縦の訓練をしていた。ほとんどのドラゴンにはツノが残っている。主従契約を結んでいないドラゴンである。
ティアはイディオスの白いドラゴンに乗って、岸壁の洞穴を目指した。
長いこと怪我に苦しんでいるドラゴンがいるのだ。
ドラゴンの体は頑丈だ。大抵の物理攻撃はもろともしない。
しかし、神聖力の込められた武器による攻撃は別だった。そして、一旦傷を負うと治るまでに十年単位の時間がかかるのだ。
「このドラゴンは傷ついてからもう三百年も経っている」
イディオスが説明する。緑の古竜だった。
当たり前のように巣に入っているが、本当はとても危険だ。しかも、手負いの獣は普通凶暴である。
しかし、イディオスとドラゴンには信頼関係が結ばれているらしく、緑のドラゴンは大人しい。
キュアノスは興味がなさそうに「キュア」とあくびをした。
イディオスは魔力の玉を作ってやると、ドラゴンに食べさせてやる。
そして、愛おしそうに撫でながらティアを紹介した。
「ドラゴンよ。彼女はティア。お前を癒やしてくれる者だ」
ドラゴンはグルグルと鳴く。
「もう諦めただって? たしかに今までどんな治療も効かなかったが、もう一度だけ試してみてくれ」
人には冷たいイディオスだが、ドラゴンに関しては一生懸命である。
「イディオスはドラゴンの言葉がわかるんですね」
「ああ、ドラゴンと自由に会話ができるのは、ここ竜の谷でも俺しかいない。人を愛する心と引き換えに、ドラゴンと心を通い合わせる力を手に入れたといわれている」
イディオスはなんでもないことのようにサラリと答えた。
逆に、ティアの胸がチクリと痛む。
「そんな顔をしないでください。俺は満足だ。ドラゴンは人より気高く強く美しい。そしてなにより、人は嘘をつくがドラゴンは嘘をつかない」
イディオスはそういうと、愛おしそうに緑ドラゴンを撫でた。
「ドラゴンよ。お願いだ。ティアの治療を受けてくれ」
嫌々と頭を振るドラゴンに、ティアは一歩歩出た。
そして、手のひらに神聖力の固まりを作って、緑のドラゴンに差し出した。
それを見てキュアノスが、キュアキュアと欲しがる。
「キュアノスにはあとでね」
ティアが言えば、キュアノスは「うきゅう」とよだれを垂らして、恨めしそうに緑ドラゴンを見た。
「はい、どうぞ」
緑ドラゴンはマジマジとイディオスを見た。
イディオスは安心させるように頷く。
キュアノスは、バタバタと羽をばたつかせ、いらないならよこせと抗議をしている。
緑ドラゴンは値踏みするようにティアを見つめた。
ティアはニッコリと微笑んで、神聖力の玉を差し出す。
緑ドラゴンは小さくため息をつくと、渋々といったようにティアの神聖力を飲み込んだ。
その瞬間、緑ドラゴンのたてがみがぼわりと膨らむ。驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと舌なめずりをして、満足げに瞼を閉じた。
そして、ホウとため息を吐き出して、心地よさそうにグルグルと喉を鳴らす。
「美味しかったのね」
ティアはホッとする。
キュアノスが、次は自分だとティアを甘噛みして主張する。
「はい、キュアノスも」
「キュアァァァン」
キュアノスは神聖力の乗った手のひらごと飲み込んで、味わうようにしゃぶる。
「くすぐったいよ」
ティアが笑えば、緑ドラゴンは物欲しそうにゴクリと喉を鳴らした。
「もっと欲しいのか?」
イディアスはなぜか不機嫌そうに緑ドラゴンを見上げた。
「あの子の魔力は特別? そんなことは俺が一番知っている。彼女なら治してくれるかもだって? だから俺はそういっただろう? 都合のいいやつだな」
口げんかを繰り広げるドラゴンとイディオスを見て、ティアはクスリと笑った。
本当に心が通じ合っていると思ったのだ。
人を愛せないなんて可哀想だと思っていたけれど、そんなことないわ。イディオスは幸せそうだもん。
ティアがドラゴンに向かって両手を広げると、イディオスがあたりまえのように抱きしめてきた。
「違う! 違います!! 緑ドラゴンを治療するんです」
ティアがアワアワととすると、イディオスは頬を赤らめ、慌ててティアから離れた。
ドラゴンたちがニヤニヤと笑う。
ティアは咳払いをして仕切り直す。
「緑のドラゴンさん、首をおろして?」
緑ドラゴンはティアの言葉に従って首をおろした。
ティアはギュッとドラゴンの首に抱きつく。
そして、そこから神聖力を送り込み、傷を探索する。
すると、ドラゴンの内部にはたくさんの魔石の鏃(やじり)が打ち込まれていることがわかった。種類の違う魔石同士が反響し、いまだにドラゴンを蝕んでいる。
しかも、長い年月が経ちすぎ、それらの魔石はドラゴンの皮膚より下に食い込んでいた。
「……これは……ひどい……」
ティアは魔石の埋まっている場所に手をかざし、ひとつづつ丁寧に取りだした。ドラゴン退治に使われた魔石は最上級のものだった。しかも、ドラゴンの体の中で更に強い力を得ている。
ドラゴンの体から取り出された魔石は特殊な魔力を持つため、ドラゴン産の魔石と呼ばれ特別視されていた。
「これが伝説のドラゴン産の魔石……」
ティアはため息をつく。
ルタロス王国の貴重な聖遺物にはドラゴン産の魔石が使われているのだ。『紅蓮の希望』も例外ではない。
しかし、ルタロスではドラゴン自体が珍しかった。古くから邪神の使いとして退治されてきたからだ。
その上、ドラゴンは人気のないところで隠れて死ぬ。
そんな理由もあって、ドラゴン産の魔石はルタロスでは破格の価値があった。
「珍しいのですか?」
「もちろんです! 最上級の魔道具が作れます。エリシオンでは違うんですか!?」
「エリシオンではすべて魔獣で事足りるから、魔法や魔道具をほとんど使わない。昔は魔法陣があったらしいがその本も今はあまり残っていない」
イディオスの答えに、ティアは文化の違いを感じた。
魔法や魔道具の発達したルタロスに対して、エリシオンは魔獣操舵に長けた国だった。魔石に対する価値観が違った。
「……でもこれは将来役立つはずです。ラドン様に渡しましょう」
「そうなのか?」
「ドラコーン島になにかあったとき、交渉の切り札になるはずです。使い方によっては、エリシオンの王家だって、ドロメナの王家だって脅せます」
ティアはクククと思わずほくそ笑む。
「あなたはたまに悪女らしいことを言う」
イディオスが笑う。
ティアはコホンと咳払いしてから、ドラゴンの治療に専念した。魔石をすべて取り出すと、もう一度ドラゴンを抱きしめて体全体で治癒の魔法を送り込む。
「恩愛(カリス)」
ティアの体がピンク色に輝き、ドラゴンを包み込んだ。
大きなドラゴン相手では、キュアノスと同じというわけには行かない。
しかも、古くて大きな傷だ。
ありったけの神聖力をドラゴンに送り込んだ。
緑のドラゴンは、グルルと一鳴きすると翼をバタと羽ばたかせた。
どうやら、傷が治ったらしい。
ティアはドラゴンから離れた。
クラリと目眩がする。
神聖力が枯渇したのだ。
ふらついたティアをイディオスが抱き留めた。そしてあたりまえのようにお姫様抱っこする。
疲れた果てていたティアは大人しく抱かれていた。
男の人はまだ怖くても、イディアスは怖くない。
緑のドラゴンは静かに起き上がり、洞窟の入り口に向かって歩いていった。
そして大きな雄叫びを上げる。歓喜の咆吼だ。
ティアは思わず耳を塞いだ。
緑のドラゴンはティアに振り返ると深々とお辞儀した。
そして、洞窟の入り口から大空に向かって飛び出していった。
イディオスはティアを抱いたまま洞窟の入り口へ向かう。
そこからは、竜の谷の空を喜びながら舞う緑の竜が見えた。
空を舞う緑のドラゴンを見た、ほかのドラゴンたちも喜びながら空を旋回しはじめる。
緑のドラゴンを中心にして、ドラゴンの輪ができた。
まるでお祭りのように喜び合う姿を見て、ティアは思う。
「ドラゴンも人といっしょなんだ……」
思わず呟けば、イディオスが嬉しそうに微笑んだ。
「本当にドラゴンが好きなのね」
ティアが問えば、イディオスは満面の笑みで頷いた。
「ああ、好きだ」
今まで見たことのない慈愛に満ちた表情に、ティアはドキリとする。
そして、無表情で冷徹と言われる竜騎士に、そんな顔をさせるドラゴンたちが少し羨ましいと思った。
イディオスは自分の白いドラゴンを撫で、いっておいでと囁いた。
白いドラゴンは嬉しそうに飛び立って、ドラゴンの輪に交ざっていく。
「キュアノスも行って良いのよ?」
ティアがいうと、キュアノスは関心なさそうにフンと鼻を鳴らした。
「キュアノスは興味がないらしい。コイツは生まれたときから一匹狼(おおかみ)だからな。ドラゴン相手でも群れないんだ」
イディオスが笑った。
「そうなのね」
ティアはキュアノスを撫でる。キュアノスは嬉しそうにティアの頬に頭を擦り付けた。
大量の神聖力を使ったティアは思わずふらつく。
「そう言えば、神聖力を使うと疲れるんだったな。少し休んでください」
そう言われ、連れていかれたのは緑ドラゴンの巣の奥だった。
埃っぽく汚れた行き止まりには、古いなにかが積み重なっていた。
イディオスは積み重なったものの上に優しくティアをおろすと、壁の溝に立っていた蝋燭に火を付ける。
ティアは自分の下にあるものを確認して驚いた。
スリスリと頬をすり寄せる。皮なのに、サラサラとして、しなやかで柔らかい。
「わぁぁぁぁ!! 気持ちが良い!」
「そうだろう? 俺も疲れたときはここで休む」
そう言ってイディオスはポスリとティアの隣に腰掛けた。
「これって、ドラゴンの脱皮した皮でしょう!?」
無造作に積み重なっているお宝を見てティアは大興奮だ。
「ここに……こんなに……存在するのね!! しかも、奥には卵の殻まで……!」
緑が白っぽく色あせているのは、グリーンドラゴンの脱皮した皮だからだ。ドラゴンの脱皮した皮は、もとの皮より白っぽく変色する。
「そんなに嬉しいものか? なら、全部あなたにあげよう」
「は!? 駄目ですよ!」
「竜の巣の奥にゴミのように積み重なっているものだ。これらもルタロスでは珍しいのか?」
「ルタロスでなくても珍しいです! エリシオンでもめったに流通していないはずです。ドラゴンの皮は、丈夫な上、防水なんです。しかも、夏は冷たく冬は暖かい不思議な皮で、とっても価値があるんですよ!」
「そうなのか? 知らなかった。ティアはとても詳しいんだな」
イディオスは感心するように呟いて、ティアの頭を撫でた。
ティアは思わずボッと顔を赤らめた。
美形とふたりきり、暗がりの洞窟で、しかも布団のようなドラゴンの皮の上で、そんなことをされたら心臓が持たない。
バクバクとした胸元を押え、ティアはプイと顔をそらした。
イディオスは人を愛せない。ドラゴンの子供にするように褒めただけよ! 誤解しちゃ駄目!
自分に言い聞かす。
イディオスは顔を背けられショックだった。こんな経験はなかったからだ。
「……すまない。嫌……でしたか……?」
ションボリとするイディオスにティアはブンブンと頭を振った。
なによ! 卑怯じゃない? そんな子犬みたいな顔。人を愛せないはずなのに、なんでそんな悲しそうな顔をするの? そんな顔されたら――。
「違います! でも、むやみに女性に触れると誤解を生みますよ? だから控えたほうが良いです」
「誤解とは?」
イディオスはまったく意味がわからないというように小首をかしげた。
「~~!! ……だから、その、イディオスが……好意をもって……るんじゃないかと……」
ティアの声は段々と小さくなる。
イディオスは真っ赤になって身を縮める少女をマジマジと見た。
「俺があなたを?」
「! っ、わかってます! そんなことあり得ないのわかってます! イディオスは人を愛せないのでしょう? だから私は誤解しないですけど、でも、ほかの人は誤解します、ってことです!!」
そう怒鳴ってから、自分の頬をパンと叩き、ハァと大きく深呼吸した。
「もうこの話はおしまい!! ドラゴンの皮でなにを作るのほうが重要です!」
ティアは気まずくなった空気を払うべく、話題を変えた。
ループした過去では、ドラゴンの皮がティアに献上されたことがある。
その皮はここにあるものほど状態は良くなかったため、教会は見向きもしなかった。
しかし、ティアはそのアンティーク具合が気に入って手袋に仕立てた。
するとたちまち注目を集め、貴族のあいだでドラゴンの皮のついた革製品がステイタスとなったのだ。
教会はティアにドラゴンの皮を渡すように命じ、ドラゴンの皮を独占して販売した。教会はだいぶ潤ったはずだった。
だったら、ルタロスで流行するより先にこちらで売ったら良いんじゃない? もらった皮よりもずっと状態も良いし、量も多い。いろいろなものが作れそう!
ティアはクククとほくそ笑む。
キュアノスとイディオスはギョッとしたように、ティアを見た。
「ぅきゅ……」
「……ああ、あれは悪い顔だ」
ふたりは顔を見合わせた。
ティアはふとイディオスの足もとを見た。竜騎士たちは使いこまれたブーツを履いていた。イディオスのブーツもボロボロだった。
「そうだ! まずはイディオスのブーツを作りましょう! 靴屋さんを教えてくれる?」
ティアの言葉にイディオスは瞬きした。
「俺のブーツ?」
「ええ、防水で頑丈な皮だから、きっとイディオスを守ってくれるわ! 白ドラゴンの皮があれば、白いブーツが作れるでしょう? きっとイディオスにぴったりだと思うの!」
「そうか、そうしよう」
キラキラと瞳を輝かせ語るティアの姿に、イディオスはつられて微笑む。
「そうと決まったらドラゴンの皮を集めて靴屋さんに行かなくちゃ!」
「キュアキュアキュア!」
「キュアノスも皮をくれるの?」
「キュアン!」
ティアとキュアノスは盛り上がっている。
「初めての物が俺の物か……」
当たり前のように提案されてイディオスは嬉しかった。
ティアと一緒にいると、冷徹王子と呼ばれる男の心が溶けていく。
イディオスは小さく呟いた。
「……誤解……なのだろうか……」
その呟きは、ティアには届かなかった。
竜騎士団の演習場である。
怒濤の勢いでイディオスは練習に励んでいた。
周囲には竜騎士たちが力尽き、死屍累々として積み重なっている。
「おいおいおい、どうした?」
ラドンがへたり込んだ竜騎士のひとりに声をかける。
「理由はわかりませんが、殿下が殺気だっておられまして」
「これ全部、アイツのせいか!」
筋骨隆々とした竜騎士たちが涙目になってコクコクと頷いた。
「なんだかなぁ……。最近は少し人間くさくなったと思ってたのに」
「そうです。ティアちゃんが来てからの殿下は、『人を愛せない呪い冷徹王子』なんて思えないほど……」
竜騎士が呟いた瞬間、カーンと甲高い音で模造刀が吹き飛ばされ、ラドンと竜騎士のあいだに刺さった。
地面に突き刺さった模造刀がバインバインと左右に揺れる。
イディオスはふたりを険悪な眼差しで睨みつけた。
「ヒィッ」
竜騎士は腰を抜かし、ラドンはため息をつく。
「なんだ。荒れてるじゃねぇか」
「暇そうだな。ラドン、たまには俺の相手をしてくれ」
ラドンは肩をすくめた。
「しょうがねぇな。これ以上ほっといて、竜騎士団を潰されたら敵わねぇ。ったく、老人にむち打つんじゃねぇよ」
ラドンは地面に刺さった模造刀を引き抜いた。
ふたりの男の好戦的な目が絡み合う。そもそも、彼らは戦うのが好きだ。騎士の中でも、最も強く、最も戦闘が好きなものが、竜騎士を目指すのだ。
模造刀を打ち合う、乾いた音が演習場に響き渡る。リズミカルなその音はタップダンスを思い出させるほど軽快だ。
ふたりは打ち合いながら会話を繰り広げる。それはふたりの実力があってこそである。
「で、どうしたんだよ、王子サマ。荒ぶるなんてらしくないぜ」
「最近、竜騎士団員がなまっているようだから、気を引き締めさせている」
「なまってるぅ?」
「ああ、ドラゴンもだ」
「ドラゴンも」
「どいつもこいつも、ティア、ティア、ティアと! 気軽に話しかけすぎだ!!」
イディオスはラドンの剣を、力任せに三回打った。彼には珍しいことだ。
呪いのせいか感情表現が乏しいイディオスは、嫌な目に遭っても表情を変えず、心が傷つくことなどないのだと言うようだった。
今まではこんなふうに八つ当たりのように演習をしたことはない。
「はぁ? しかたがないだろ? ずっと病んでいた古竜を治したんだ。ドラゴンはみんなティアを慕うだろうよ」
「ドラゴンは百歩譲ろう。しかし、団員は関係ない」
「いやいや、関係あるだろ? ドラゴンの皮のブーツは最高だし、治療技術も的確で、ポーションだって作ってくれる。しかも可愛いんだからな。話してみたいだろう」
ティア発案のドラゴンの革製ブーツをイディオスが竜騎士団で見せびらかしたことがきっかけで、そのブーツは竜騎士団の制服として採用されたのだ。
「ふざけるな! ティアは男が怖いんだ! 俺の背に隠れるくらいなんだ!」
「最近はそんなことないだろ? お嬢ちゃんからだって話しかけてるし。城に慣れてきたのは良いことじゃねぇか」
「わかっている! だが、嫌だ!!」
カーンとひときわ高い音が響いた。
それって恋だろ!?
ラドンは心の中でツッコミを入れつつも、半信半疑でもある。
イディオスは十三歳で魔女から人を愛せない呪いをかけられて以降、人に興味を持てなくなっていたからだ。
なんのきっかけもなく呪いが解けるとも思えなかった。
「わー! すごいですね!! ふたりとも格好良い!!」
ティアの天真爛漫な声が演習場に響き渡った。
その瞬間、イディオスはパッと顔をほころばせ、動きを止めた。
「隙あり! 王子様」
ラドンはそう言うと、イディオスの胴を模造刀で殴る。
イディオスはその場に膝をついた。
ラドンは力加減などしてやらなかったのだ。恋の八つ当たりで竜騎士団をボロボロにしたイディオスへの罰でもあった。
「おお! ティア、どうした」
「そろそろ休憩時間かと思って、おやつを持ってきたんです」
ティアはそういって、おやつの入った籠を掲げた。
竜騎士団たちがティアの周囲にワラワラと集まる。
古代麦で作ったクッキーの中央には、ティアの瞳のような赤いジャムが載っていた。