クレスは司祭のもとへ向かって歩いていた。
ティアは少し変わりましたね。
今までは親を慕う娘のように、全幅の信頼を寄せていたピンク色の瞳が、今日は愁いを帯びていた。
なんでも思いのままに話していた女の子が、今日はなにか言葉を選ぶようだった。大人に従順で言いなりだった子供が、意志を持ち始めたのがわかった。
今までは乱れていたオーラの輝きがだいぶ落ち着きました。神聖力がコントロールできるようになったのでしょう。今までは、押さえ込むのが必死という感じだったのに。
ティアも大人になってきたんですね。
クレスは感慨深く思う。
そもそもティアは特別な娘だった。
普通魔力は、才能があるものが修行を積んで初めて発現する。しかし、ティアは子供のころから魔力が発現していたのだ。
あの子は、真っ直ぐに、純粋に育って、聖女になるべくして生まれてきた子だ。
そして、監禁部屋のティアを思い出し、思わず頬が赤らむ。
無防備なタンクトップ姿のティアは美しかった。
あの意志の強そうな目。あの子はあんなに綺麗な瞳をしていたんですね。
早く孤児院から修道院に連れて行ったほうが良いかもしれません。そして、私の手元に置いたほうが安心です。これ以上美しくなる前に――。
司祭の部屋をノックし、入る。
「司祭に大事な話があります。ティアのことですが、謹慎を解いてあげてください」
クレスの言葉に司祭は眉を顰めた。
「クレス様はあの子を贔屓しすぎです。魔力が多いとおっしゃいますが、見過ごせないこともあります。最近では私の言うことも聞きませんし。寝坊も多くて、小さな子までだらしなくなって困ります。乙女の楽園全体があの子のせいで迷惑してるんです」
クレスは穏やかに笑う。
「寝坊するだけの理由があるのでは? 最近、乙女の楽園から納められるポーションが増えました。あれはティアが作ったものでしょう?」
クレスに問われて司祭は目を逸らした。
「いえ、あれは……」
「今までは見て見ぬ振りをしてきましたが、あなたの魔力ではあれほどのものは出来ません。ティアに作らせた物をあなた名義で納めていますね? 教団としては上質な物が納められるのはありがたいですが、寝坊させるほど子供を搾取するのはどうでしょう?」
「そんな、それほど……」
「多くの魔力を使うと、体力と精神力を消耗するんですよ。あれほどのポーションです、とても疲れると思います。祭司にはわからないでしょうが」
クレスの言葉に司祭は皮肉を感じ取りカッとなる。
遠回しに、多くの魔力を使えないと指摘されたのだ。
「しかし、クレス様、あの子は嘘をついています!」
「嘘、ですか? 森の木から落ちたと聞きましたが」
「違います。シャツの破れ方がおかしいのです。大きな獣に噛みつかれたように大きな穴がふたつ開いているんです」
「穴が?」
「はい。しかも、破れたような感じではないのです。溶けたかのように、そこだけポッカリと穴が……。まるで魔獣にでもあったかのような……」
そういって、ティアのシャツをクレスに見せる。
クレスはマジマジとそれを見た。
「っ! こんな! ティアは大丈夫なのですか! 怪我は!」
クレスは司祭に噛みつかんばかりに尋ねる。
「いえ! ティアは怪我ひとつしていません!」
「本当ですか!」
「本当です! だから不思議なんです。それに乙女の楽園にこんなに大きな魔獣はいません」
「……たしかに」
「かといって、白樺の結界が破られたあともありませんし……」
クレスはあることに気がついて、ハッと顔を上げた。
「聖女の発現……では?」
司祭はクレスの言葉に小首をかしげる。
「聖女の発現ですか?」
「はい、今日、ここへ来る途中の森が前よりも豊かになっている気がしたんです」
「そうなのですか!?」
「もしそれが聖女の力なら……。魔力が急激に神聖力に傾くとき、精神状態や魔力が乱れることが多いのです」
もし聖女の力なら、とてつもない力だ。
クレスは考え込む。
「いや、でも、そんなことはあり得ない。あの子が、そんな……。あれは拾ってきた子です……。そんな力があるわけが……」
司祭はブツブツと言う。
一般的に、大きな神聖力を持つ者は、親が聖職者だった場合が多いのだ。
乙女の楽園出身の聖女は、基本、それほど大きな神聖力は持たない。
「オーラの見えない司祭にはわからないかもしれませんが、あの子は特別です」
クレスがキッパリという。
「体に傷一つなく、服に穴が開いていたのですよね? そこから強大な神聖力が暴発したことが考えられます。大いなる聖女であれば、存在だけで周囲や自然を豊かにすると伝えられていますから」
もしそうなら、すごいことだ。こんなところにくすぶっている人材ではない。一刻でも早く教会へ迎え、聖女として学ばせるべきだ。
クレスは内心興奮した。
「信じられません。あり得ない。大いなる聖女だなんて……」
「たしかに、そこまでは言いすぎかもしれません。しかし、ティアに聖女の資質があることは間違いないと思います」
「ティアに魔力があることは知っています。しかし、あの力はまだ不安定で、神聖力になるのかわからないと言っていたではありませんか。間違うと邪神力になりかねないと」
「ええ、しかし今日のオーラは間違いなく神聖力でした。なにかのきっかけで、魔力が神聖力になったのでしょう」
「そんなことがありえるのですか? 厳しい修行を積まなければ、神聖力の発露はないのでしょう?」
「はい。一般的にはそう言われています」
「私だって神聖力を得たのは十年の修行ののちでした。それが、あんな娘に……」
司祭はいまだ信じられぬと言う顔をしている。
そこでクレスは提案した。
「では、こうしましょう。お茶会の席でティアの力を試すのです」
「試す?」
「お茶を注ぐ係をティアにやらせましょう。そして、そのお茶には少しの悪意の魔力を付与しましょう」
「ティアが聖女に目覚めていれば状態異常に気がつく……ということですね?」
司祭は笑った。
クレスはニッコリと頷く。
「でも、……悪意の魔力だなんて……。私の神聖力は不安定で……。子供たちになにかあったらと思うと、クレス様の力のほうが安定して……」
そんな不安定な神聖力だからこそ、状態異常として感知されやすいんですけどね。
乙女の楽園の司祭は、神聖力のコントロールがそれほど上手くはない。だからこそ、司教にはなれず、田舎の山の中で子供の相手をしているのだ。
それに、悪意の魔力を使ったことが公になれば、司教ではいられなくなる。今まで必死で築きあげてきた今の地位を失うわけにはいきません。
クレスは安心させるように笑った。
「私の力では私が浄化できませんから」
「……そ、そうなんですか? 私はそのあたり詳しくなくて……」
神聖力のレベルでによって、学べる範囲が決まるのだ。
クレスはポンと司祭の肩を叩いた。
「大丈夫ですよ、私を信じてください。責任は私がとります」
「……これだけのことをして、もしティアに神聖力がなかったら?」
「罰として謹慎を続けさせたら良いでしょう?」
司祭はニンマリと笑った。
謹慎を長引かせ、もっとたくさんのポーションを作らせれば良い、そう思ったのだ。
「クレス様がそこまでおっしゃるんです。そうしてみましょう」
司祭はクレスの言葉にしたがって、ティアのお茶会への出席を許可することにした。