「この度『神の花嫁』に選ばれたのは、大聖女ティアである!」

 大司教の高らかな声を受け、白亜の大聖堂の中に喝采が巻き起こった。

 今日は『神の花嫁』の選定会議である。

 ここルタロス王国は、隣国エリシオン王国に侵略されているまっただ中だった。
 ここルタロス王国は、魔法と魔道具が発達した国だ。
 対する隣国エリシオン王国は、魔法は未発達だが、魔獣とともに暮らす国だった。
 エリシオン王国は、ドラゴンを扱う竜騎士を先頭に国中を蹂躙し、ルタロスは降伏寸前だった。
 
 そのため、ルタロスは最後の手段として、神に助けを求めるため『神の花嫁』を選定することになったのだ。

 ルタロスには昔から十二年に一度、神ドロメナに聖女を花嫁として嫁がせる祭り『聖婚祭』がある。

 神の花嫁は、二十五歳までの聖女の中で、清らかで、美しく、大いなる魔力を持ったものが選ばれる。選出された神の花嫁を先頭にパレードをする祭りだ。
 神の花嫁に選ばれることは、この国最大の名誉とされていた。
 
 しかし、その祭り方式では神に願いが通じないとして、今回は最初の聖婚式の方法にのっとって、実際に花嫁が神に捧げられることになったのだ。
 成婚祭のモデルとなった、最初の成婚式がおこなわれたのは三百年前である。聖婚式では、神の花嫁に選ばれたものは、神のいる湖に入水(にゅうすい)し、穏やかで楽しい神の国へと輿入れしたのだ。
 
 名前を呼ばれた大聖女ティアは聖女の席から立ち上がった。
 ティアは二十五歳だ。孤児だったため苗字はない。
 ピンクサファイアのように煌めく瞳が、黒いベールから祭壇を見た。聖女独特の黒いロングドレスの上に、瞳と同じ色の髪が真っ直ぐと滝のように流れて美しい。ルタロス王国では珍しい瞳と髪の色だった。
 美しいのはその二点のみで、覇気がなく、化粧っ気のない地味な顔立ちをしていた。
 胸には聖遺物『紅蓮の希望』が輝いている。聖遺物は持ち主を自身で選ぶ。聖遺物に選ばれた聖女は大聖女と呼ばれる。
 ティアは三百年ぶりに選ばれた大聖女だった。

「大聖女様!」
「ティア様!」

 感嘆と歓声が渦巻く中、ティアは祭壇に向かって歩き出した。連日の激務で足元がおぼつかない。目もかすれている。
 大聖女として、ティアは毎日仕事に励んでいた。昼間は貴族たちに望まれるがままに神聖力を分け与え、人々のためポーションを作った。夜は寝る間を惜しみ、新たな魔道具や魔法陣を作り出すため研究に明け暮れた。

 ティアの力は周辺各国でも有名で、なにかあると国賓との行事にも駆り出された。今では、王妃や王女を差し置いて、他国の王族たちがこぞって婚姻を望んでいるのだが、ティアには秘密にされていた。
 聖職者は結婚できないというのが建前だからだ。

 私が神に嫁ぐことで、ルタロス王国とエリシオン王国の争いが終わるのなら、喜んで神の花嫁になるわ。
 それに、神の花嫁になれば、幸せな人生が待っていると聞いているもの。
 
 ティアは思った。実はティアはループをし人生をやり直している。今回は十二回目のループである。毎回、ルタロス王国は隣国に攻め入られ、ティアは『神の花嫁』に選ばれるのだが、なぜだか神に受け入れられず死んでしまう。

 神ドロメナに向かう湖の中で、毎度「ここはお前の来る場所ではない!」と叱られ、十五歳の時点に戻されてしまうのだ。
 しかも、必ず以前の記憶と知識、身に付けた能力は引き継がれる。

 きっと、私が聖女として不十分だから神様は受け入れてくれなかったんだわ。これは神様に認められるチャンスよ! だから、今度こそ神様のお眼鏡に適うよう、精一杯頑張ろう!

 十五歳に戻される度に、ティアはそう思い、十二回のやり直しを経て、今回は大聖女と呼ばれるまでになった。

 大聖女にまでなったんだもの! 今度こそ、きっと大丈夫! こんな忙しい日々ももう終わり! 今度こそドロメナ様の妻として受け入れてもらえるはず! そして、神の妻としてのんびりだらだら過ごすの。

 様々なことを学び、誰よりも教団に尽くし、遊びも恋もすべて諦めて、神に受け入れられるために努力してきたのだ。

 ティアは祭壇の前で跪いた。大司教がティアのベールの上に青い花輪を載せた。メコノプと呼ばれる聖花だ。青く半透明の花びらが神秘的な花で、ケシによく似ていた。ルタロス王国より門外不出の花とされている。

「大聖女ティアは、これよりドロメナ神への輿入れの準備に入る」

 拍手が鳴り響く中、聖歌隊が歌い出す。

 ティアは大司教に手を引かれ、大聖堂の外へ出た。その姿を司教クレスが切なげに眺めていた。
 波打つ紫の髪が美しい彼は、ティアの出身教区の司教である。ティアが幼い頃から、聖女になるべく指導してきた司教だった。


*****

 神の花嫁になるにあたり、ティアは清めの期間に入った。
 これから十二日後に神の花嫁となる。それまでは結界の張られた部屋で過ごし、決まった食事を摂り、決まった儀式を行う。

 神の花嫁になると、もう現世の知人友人には会えない。この世では死んだことになるのだ。
 そのため、この十二日間のあいだに、それらの人々に手紙を書いたり、持って行けない身の回りのものを整理したりする必要があった。

「といっても、私にはあまり知り合いがいないから」

 ティアは笑った。ティアは孤児である。五歳で親に捨てられ路頭に迷っていたところを、ドロメナ教の女子孤児院『乙女の楽園』に拾われたのだ。それから二十年、教団のために尽くしてきた。

 乙女の楽園では、ドロメナ教へ献上するメコノプを育てて暮らしている。
 乙女の楽園の運営費は、メコノプやポーション作りで得た資金と、ドロメナ教からの支援、乙女の楽園出身の聖女からの支援が主だ。
 子供たちは、日々ドロメナ教に感謝しながら、聖女を目指す勉強をしている。

 私が稼いだお金は全部乙女の楽園に送ってもらおう。

 ティアは思い、書類を書いた。
 ティアは大聖女だけあって、多くの仕事を任され、多くの賃金を得ていた。しかし、清貧をよしとする聖女の身であっては、いくら稼いでも使い道はないのだ。
 
 このお金で、また乙女の楽園から「神の花嫁」が選ばれたらいいな。

 ティアは思う。乙女の楽園は、多くの聖女を輩出し、聖女の名門とされていたのだ。
 ティアもそのことを誇りに思っていた。

 そして……、クレス様……。

 ティアは幼い頃から憧れていた司教クレス・エモニを思い浮かべた。クレスはティアを指導し、聖女として励むティアを支えてくれた人だ。
 クロッカス色の美しい髪を持つ司教で、眼鏡の奥に見える宵闇色の瞳はどこまでも優しく、なんでも相談できる相手だった。
 ティアにとっては唯一淡い恋心を抱いた相手であった。

 しかし、神に仕える身である以上、恋愛などは出来ない。
 なんどループしても、クレスは「お互い聖職を離れたら一緒に暮らしましょう」と言うのだが、必ず彼は訂正するのだ。
「ティアなら神の花嫁になれますね。応援しています」と。

 ティアは小さくため息を吐いた。

 私も……私も聖女じゃなかったら……。

 ティアもクレスとの未来を夢見たことがある。しかし、神の花嫁はこの国の女性において最大の栄誉である。聖女として目指すべき最高峰だ。
 
 最後に私の思いを……。

 そう手紙を書こうと思い立つ。彼女は神の花嫁に選ばれるたび、今まで十二回必ず彼に感謝の手紙を書いた。
 しかし、今回はふと手を止めた。

 もしかして、この手紙が神様に受け入れられない理由なのでは? 清らかな身でないと判断されたのでは?

 神に受け入れられない場合、神に叱られ、またループする羽目になる。
 ティアはフルフルと頭を振った。そして大きく息を吐く。

 そうよ、私は神様の妻になるんですもの。人間に思いを残してはいけないわ。心を落ち着けましょう。

 そうして、床に神聖力を高める魔法陣を書き座る。

 体の神聖力を高めて、今度こそドロメナ様に認めていただかなければ。

 ティアはそう思い立ち、集中した。深い呼吸を繰り返し、精神を統一する。すると五感が研ぎ澄まされてゆき、精霊の存在までわかるようになっていた。
 この境地にまで達したのは、教団の中でもティアだけだった。