まともな保定を見せて無事に終われたことで心底ホッとした。
 消毒が終わると、私と入れ替えに次の問診のために看護師が入って行った。

 怖くて心臓が持たないかと思った。手の震えが止まらない、隼人院長への苦手意識を克服出来る日は来るのか。

 あれ? そういえば、まだ朝輝先生さっきの診療している。もう三十分ちかく出て来ない、大丈夫かな。

 長い診療時間に周りのスタッフも心配そうにザワザワしたころ、ようやく出て来た。

「お疲れ様です、長いから心配しました、大丈夫でしたか?」

「泣きそうな顔で阿加ちゃんに心配されるとは男冥利に尽きる。一秒ごとに可愛くなるね」

 大変だったとか言わないし、疲れた顔も見せない朝輝先生はタフなの? それとも本心を隠して見せないだけなの?

「一秒前よりも今のほうがずっと可愛いよ、笑って」
 ニコってされたけれど笑えないよ。患者も朝輝先生も無事なの?

「大丈夫だよ、飼い主に捕まっただけ」
 いつものことみたいで平然と笑っている。

「年々ネット情報が溢れ返って、飼い主が知っている病名を俺ら獣医に挙げ続けてくる」

 確かに昨今の診療は、飼い主が納得出来るまで詳しく口頭で問いただす外来になりつつある。 
 飼い主の知識が獣医並みに。や、それ以上に豊富かも。

 だから診療時間が長かったのか。いつまで経っても終わらないし、カルテを見ると重篤な患者でもないのに話が長いのはそのせいか。

「頭でっかちになった飼い主のおかげで、無駄な検査と説明の時間がかかるようになってきた。無駄な検査は患者に負担がかかるんだよな」

 都内一等地にあるクリーレンには、お金に糸目を付けない飼い主が溢れ返っているから、どんなに無駄な検査だと諭しても引き下がらない。

 お金の心配はいらない。出すものは惜しみなく出すから、とにかく検査をしろとお金に物を言わせて納得するまで諦めない。

 その粘り強さと押しの強さが仕事にも生かされて、大金持ちになるのかと思うときもある。

「矢継ぎ早の質問は、まるで職質みたいだ」
 朝輝先生は半ば楽しんでいるみたいで安心した。

「知識だけなら獣医どころかノーベル賞もんの博士になれるね、今どきの博識飼い主様は」
 
 可愛らしい朝輝先生の顔が少し毒を薄めているけれど皮肉に違いはないみたい。

「外来の売り上げや病棟稼働率の低下が、医療の質の向上に伴って、やむを得ず派生していることなら結果オーライなのにね」
 
 病院は経営だもんね。飼い主の無駄な要望を受け入れないように。

 それに飼い主の知識の生聞きの質問を効率良く交わして、診療時間の短縮を図る。
 回転率を上げて売り上げに貢献出来るようにする。

 よく非枝チームでもユリちゃんたちと話していたことだから、波島先生の意見は興味深い。

 診断にケチをつけたり疑ったり、今のネット時代が招いた客層に考えさせられる。

「お疲れ様、波島先生。院長は? 診察室?」
 歳は三十代後半あたりか。黒髪を綺麗にうしろに束ねた看護師が朝輝先生に声をかけた。