遊び人の敬太先生の腕の中にいるのがショックで涙が溢れ出す。

「泣くなよ、手がかかる子ほど可愛いな」
 むにゃむにゃしていて敬太先生、寝ぼけているの?

「おいおい、お嬢ちゃん、きみだったのか。子ども泣きかよ、ごめんよ」

 眠たそうだった敬太先生の目が、私と分かった瞬間に輝きが宿り精悍な顔つきになった。

葉夏(矢神先生)と間違えた、わざとじゃない」
 敬太先生とふかふかのソファに体を取られた格好で体が動かせない。
「ホントにこの子には、まったく男の反応が起きない」

「いつまで塔馬の胸に寝そべってんだ、離れろ」
 敬太先生から剥がされて、ひょいと軽く隼人院長に起こされた。 

「ダッ! びっくりしたな。院長、いつの間に起きてたんすか、静かに隣にいないでくださいよ」
波島(朝輝先生)、お前も手が早いから油断出来ねぇな」  

道永(隼人院長)、心配なのかよ」
「風紀が乱れたら誰が責任取るんだよ? 抱いたお前が辞職するのか、え?」
「間違えただけだろうが」

「本当に間違えたのかよ。矢神(葉夏先生)と違って、胸もくびれも色気もない。抱き心地が全然違うだろうが」
 隼人院長も、わりと辛辣なことを言う。

「俺には葉夏がいる、わざわざ遊び相手にガキなんか選ぶほど不自由してねぇよ」

 髪の毛をかき上げながら、目をこすり気だるそうに葉夏先生がやって来た。

「いったい、なんの騒ぎよ?」
「なんでもない、もう葉夏と揉めたくない」
「なによ、気になるじゃないよ、言ってよ」

「矢神先生、ソファの跡が顔にありますよ。なかなか消えないお年頃なんすから、早く洗面所に行ってください」

「研修医! 生意気な奴ね」
「また言う、僕は波島っす。カリカリしたら皺が増えるっすよ」
「増える? ある前提? あんた、私に怒鳴られたいの?」
「もう怒鳴ってるじゃないっすか」
「今、なんて言った?」
「はいはい、洗面所に行って行って」
 朝輝先生が葉夏先生の背中を押して歩かせた。

「研修医、あんたね冗談は顔だけにしときなさいよ」
 葉夏先生が、背中を押している朝輝先生の手を払い落とすと診療の準備を始めている。

「貧乏くじ」
 隼人院長の声がする。誰のことなんだろ?

「おい、貧乏くじ、しれぇと突っ立ってんなよ、お前のことだよ」
「さっきのこと、本当に私が貧乏くじなんですか?」
「俺かよ?」
「いいえ」
「それより誰に付きたい? 俺と塔馬と人見の中で」

「葉夏先生は?」
「あいつが教えるタマか。せいぜい課外活動で酒の飲み方でも教われよ」
 お酒強いってことかな。

「朝輝先生は?」
「奴に恥をかかせたいのか。あいつは研修医だ、()いては俺の恥になる」
 
「彼は入職してまだ日は浅いですが、即戦力として十分に通用するだけの豊富な経験を備えています」

 馬鹿にされた朝輝先生を庇うように、葉夏先生が冷静でありながら抑えた怒りを隼人院長に静かにぶつける。

「十分に通用するだと? まだ獣医としてニ、三年だろう? 過大評価も甚だしい」

 どちらの言い分が本当の朝輝先生の実力かは分からない。でも隼人院長の言い方は思いやりがなくてきつい。

「誰がいいんだ? 俺と塔馬と人見の中で」
「隼人院長」
「俺か?」
 隼人院長の口角が微かに上がった。
「以外で」

「なんだよ、じゃあ誰に付きたいんだよ」
「俊介先生がいいです」
「即答だな。ところで俊介って誰だよ、下の名前で言われても知らねぇよ」
「人見先生ですよ、隼人院長も覚えてください」
「覚える気はない」
「ルールですよ?」

「はい、そこまで。こっちにおいで」
 んんん、優しいいい。ふにゃって甘い声で呼ばれると私の口もとはゆるみ、俊介先生のもとに駆け寄った。

「なんだよ、逃げんのか、俺が嫌か?」
「や、そうじゃないです」
「んじゃ、俺に呼ばれても笑顔で走って来い」
「はい出来るだけ!」